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明日、2010チベット人権デモ行進です。

『自由への道―チベット』 ― 世界人権デーにチベットの人権を訴えるデモ行進―

チベットの人権状況は何も変わっていません!

2010124日(土)は新宿に集合!   

 

▲動画:テンジン・デレック・リンポチェ解放

 

『自由への道―チベット』

― 世界人権デーにチベットの人権を訴えるデモ行進―

 

1959年のチベット民族蜂起から既に50年が過ぎました。いまでも「言論・教育・宗教の自由」を求める発言や平和的抗議を行ったチベット人たちは、中国共産党による一党独裁政権により政治犯として囚われています。不当に連行されたチベット人たちが酷い拷問を受けていることは、釈放された方々の多くの証言によって明らかにされており、私たちはこの深刻な人権侵害を危惧しています。

そして2008年、北京オリンピック開催の年に起きた武力弾圧は、皆さんの記憶に新しい事と思います。このときの行方不明者は数千名余と報告されていますが、中国は内政干渉として未だに国際機関(国連拷問禁止委員会等)による調査を受け入れていません。

チベットにおける人権状況は何ひとつ変わっていないのです。

また、今年に入り授業での中国語使用を強制する中国青海省での新政策に対し、多くのチベット人学生がチベット語の保護を求め抗議しています。言語を奪われる、それは民族文化の魂までをも失うことになるでしょう。中国政府による人権弾圧は、チベット人として生きる権利を奪い、言葉を奪い、文化を奪い、さらに彼らが大事に守ってきた環境までも破壊し奪っています。地球の大事な宝が消されつつあるのです。

これは遠いどこかの国で起きているのではありません。私たちの住む日本の隣国で起きているのです。  チベットの人権が侵され続けている現実を、黙って見過ごすわけにはいきません。

世界人権週間に臨み、今も暗黒の世界で苦しむ声無き声を伝えるため、日本の方々に訴えて歩きます。

 

     日時:12月4日(土)  12:00開始(雨天決行)

     集合場所:新宿区柏木公園(新宿駅西口徒歩5分)>>Google Map地図で見る

     主催:2010チベット人権デモ実行委員会

     協力団体:在日チベット人コミュニティー

Students for a Free Tibet

チベット交流会

ルンタ・プロジェクト

     賛同団体:宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会(スーパーサンガ)

                   Free Tibet Japan

四方僧伽

チベット問題を考える会

 

 

一般の方々から賛同の得られる内容とし、チベットのイメージを落とさないデモ行進を目指します。

追記:ブックレットで投稿したら、レイアウトが崩れてもーただ。。T T

チベット人学生ら数千人がデモ、中国語での学習強制に反発 : AFPBB News

http://www.afpbb.com/flash/detailArticle.swf

中国共産党の独裁支配は早晩崩れるか否か、それは軽々には判断できない。一つの国の体制がそう簡単に崩壊する筈はなく、また実際にそうなった場合、10億人以上の人たちの混乱は想像を絶する。
しかし、中国共産党独裁体制は確実に危険な綱渡りをし始めていることは確かだ。

Leaving Fear Behind

http://video.google.com/googleplayer.swf?docid=8048230761996582635&hl=ja&fs=true

とりあえず動画だけ。あとで文章を追加する(つもり)。

要するに、やっぱりFREE TIBET なんだわ私はね

正直、今回はどうでもよい。何故なら批評するに値しない戯言の批判だから。

ただ最近まともな批判していない(血迷いGo!勒のオチャラケくらい)から、たまには鈍ら刀の錆を落としとかないとまともな記事が書けなくなる。などと己の無能を棚に上げてと、さて、書きますか。ああ、かったるい。。。

 

林田力「チベット問題に日本が消極的であるべき理由」2010年10月02日 08:15 JST PJ NEWS

 

既にタイトルが述べているけど、要は何故「日本社会が中国の民族問題に消極的であることは賢明」なのかという説明である。そして続く段落以下で理由を挙げて説明している。

な、わけで理由を一つ一つ覗いてみる。

「第一に二重基準批判は無意味である。」

二重基準とは、よく右翼が左翼と人権活動家を一括りに批判する馬鹿げた手口で、パレスチナのこと訴えているくせに何故チベットのことを無視するんやと言うことで、記事に書いてある通り「世の中には不正義が数限りなく存在するが、その全ての問題に神ならぬ人間が取り組むことは不可能である。」

ただ、これは個人に対する一般論であって、日本社会と云う大きな集団には当てはまらない。判断力という意味で成人だけに限っても数千万人いるのに、2つ同時は無理なんて言えますか?いくら限界があるといってもね。

 

「第二に日本でチベット問題を取り上げる層の動機に疑念がある」

単に中国共産党が憎いだけではないか。

反中国の運動に利用されてしまう危険がある。

コレは私も同意見だが限定的。実際に真摯にチベット問題に取り組んでる方もいて、単なる共産党憎しの弊害をむしろ問題視しておられる。

確かにフリチベの右傾化は現実としてあるが、日本のフリチベ運動は、単純なアンチ中国はチベット問題の解決に繋がらないという立場である。これはTSNJやSFT日本主催の活動を見ていれば判るはず。もしかして取材も何もせずマスコミからの印象だけで書いてしまっているのだろうか。

つーわけで理由というには余りにも弱すぎる。

 

「第三に市民運動には中国に好意を抱き、中国への評価が甘くなるだけの理由がある。」

その理由とは「中国には平和五原則や非同盟諸国の結成など世界平和に貢献した輝かしい歴史」があり「平和憲法を持ちながら、米国の核の傘で再軍備し、冷戦の一翼を担った日本とは大違い」なのだそうだ。中国共産党のプロパガンダか?

記者の歴史認識は兎も角、毒餃子、尖閣諸島を挙げるまでもないほど今の日本社会は明らかにアンチ中国の流れが強い。記事では次の段落では「単に眼前の状況だけから中国脅威論を導き出すことは短絡的である」とあるが、中国に好意的で評価が甘くなる傾向にあるのなら中国脅威論など出てくる筈がないのだが、そこら辺どうなんよ?

それに日本人の大多数は「中華人民共和国建国からの経緯を踏まえて現代中国を判断」することなく「一貫性のある姿勢で」はないらしいが、とまれ、これのどこが中国に好意的だと言うの?どういう分析してんだろうか。

 

つーわけで、ここまでの理由は全て却下だが、取り敢えず先へ進む。

 

このようにチベット問題に積極的に取り組めない理由は複数存在する。ただし、これらはチベット問題に消極的でなければならない理由としては弱い。

なるほどメインの理由はコレからなんやね。つーことで次の文章__

「チベットに不正義が行われていることが事実ならば、いかなる事情があろうと、いかなる思惑があろうと不正義を批判することは悪いことではない。

…はあ?まあ確かにその通りだけど、それがどう主張に繋がるのかまるで話が見えない。もはや期待してないけど、せっかくなので最後のどんでん返し__

「日本が消極的でなければならない最も重要な理由は、日本に中国の民族問題を悪用した前科があることである。」

日本が傀儡の満州国を建国したから、「チベット問題で日本が突出すれば、中国側が偽満州国を持ち出して反発を強めるだけである。それはチベット問題の解決を一層遠ざける」だって。ちなみに、北京オリンピック騒ぎの頃ですらネットにチベットに関係する記事で中国側が満州を持ち出して反発した記事など一つも見なかった。嘘だと思うなら当時の私の拙ブログ(血迷い510)を見るがよい。

あ〜あ、もうちょっとましな理屈ないんかい?我慢にも程がある。だいたい前の段落で「いかなる事情があろうと、いかなる思惑があろうと」ともっともらしいこと述べてるけど、最後の「最も重要な理由」こそ、その「いかなる事情」の事情じゃないの?つまり「日本に中国の民族問題を悪用した前科がある」としても、「チベットに不正義が行われていることが事実ならば」「不正義を批判することは悪いことではない」のではないのん?

 

もう十分やね。

いろいろ思うことがあって記者の個人サイトをチェックしたが、もう何をかいわんである。

ああ、それにしても虚しいことに時間を使ってしまった。

 

チベットは国名ではないのか?

このところ気持ちが腐ってメインのブログですら更新する気力が萎えている。いわんやTIBET BLoG…。

なので意識的に更新しないとブランク長くなっちゃうので今回はムリヤリ感満載でポストしました。でも大切なことだから、いいや。

私は無条件でチベット独立を唱えるつもりはないですが、しかし中国の実質支配を認めるつもりは更にない。私が中国に求めるのは、隣人の幸せを脅かすなということだ。
そげな私がカチンときたのは、中松氏の件ではなくて、次の「雑誌」文章中の表現である。

「チベット」というと国名と勘違いしている方もいるようですが、正確には国ではなく、平均標高4000mを越える中国西方の広大な自治区のことを指します。高度も高けりゃハードルも高い、“秘境”への道のり web R25 7月30日(金) 10時 5分配信 / エンターテインメント – エンタメ総合
何をかいわん、である。
元々独立国だったチベットは中国に武力で強引に統合されてから現在までその占領下にあり、亡命政府がインドにある。こんな事は旅行ライターなら知っていて然るべきことで、その史観からすればチベットは国の名前でもあるのだ。そういった見解の存在を読者に考慮させずに自治区に限定してしまうようでは、提灯記事と評されても仕方がない。

日本では「国の公式見解=正しい」という大いなる誤解があるが、国の公式見解はあくまで時の政権にとって都合のよい解釈のことであって、必ずしも正しいとは限らない。特に国の沽券に関わること、存続に関わる重大事であればあるほど恣意的に捩じ曲げられる可能性は高くなる。チベットなどはまさしくその良い例で、もちろん民間が従わなければならない義務はない。

さて、旅人の心は自由であるべきだ。でなければ本当の姿が見えず、できる限りの縛りを注意深く避けることで旅は良いものになる。むろん公式に従うことを気にするなんてもっての外で、これは旅のスタイルの如何に関わらず、たとえ団体のパックツアーであっても同じこと。”尤もらしい”即ち”胡散臭い”が旅人の基本である。だから“尤もらしい”ことに意味がある日常生活からすれば旅人とは胡散臭い存在で、何食わぬ顔で日常生活の心を少しでも丸裸にしようとして心の扉を遠慮なくノックする。旅人とはそういうものだ。
もちろん日常生活に於いても多少の差はあるにせよ同様のことはある。その意味では旅人とは心の持ちようであり、だからこそ普段の生活領域でも旅人になることはできるし、逆に旅行をしてるのに旅人になれない単なる旅行人(あ、この表現は問題あるかな?)なんてこともあり得る。
これ以上書き進めると本格的に脱線してしまいそうなので本線に戻るけど、さて、この文章は旅人の書いたものだろうか?
少なくとも旅に関心のある人向け、それもタイトルからして秘境に関心のある人を対象にしており、執筆者(複数)はチベット経験者のようだが、私には当たり障りのない役人の挨拶みたいな印象しか無い。そりゃま「諸般の事情」による営業判断もあるのだろうが、それにしても地球の歩き方の方がまだ面白みがあるってもんだ。

以上、カチンときたついでに書いてみた。

チベット人は一枚岩か?

どもども、チベットのことを書かないチベットブログでございます。駄目じゃん。
そんなブログとして開き直って先ずはこんな記事キャッシュ)の紹介から。

はい、中東の話ですが何か?
この記事を読んで私の心の奥底が少し熱くなりました。
勿論これですぐさま中東から暴力の連鎖が無くなるとは到底思えないけど、やはり民族問題は最終的に非暴力の政治闘争で解決すべき問題なんだな。
だけど、チベット問題では亡命政府側はとっくの昔に政治闘争に切り替えたのに、中国側は暴力を誘導して圧倒的な暴力で押さえ込む方法を止めようとはしない。更に近年では経済力を背景に巧みな外交力を発揮して外国からの批判や介入をかわし、排除することに成功しているので、「西部」弾圧は更にエスカレートしている。
そんな状況に危機感を覚えた若者たちが直接暴力に訴えてでもと考えることは仕方のないことであろう。
しかし、それでは中国政府の思う壷であり、チベットにとってはドツボだ。むろんそんな事はチベット人自身も解っていて、だからチベット人の全体会議で皆が中道路線で足並みを揃えることになった(少なくとも私はそう解釈している)けれど、個人個人の感情は果たしてどうだろう。同じチベット人でも内地と亡命社会とでは違うだろうし、亡命社会でも世代間の意識のズレはある筈だ。
ここでいったん中東に話を移すと、パレスチナ問題ではPLOとハマスの対立が大きなネックになっているといわれている。ガザ支援船の騒ぎでも、ガザ封鎖解除(緩和)に唯一ブレーキをかけていたのは他でもないPLOだった。PLOにとってハマスは対イスラエルの同胞である前に政敵であり、ガザの困窮市民より権力闘争の方が大事だとみえる。
ここで再びチベットに目を戻せば、中国政府がチベット人の暴力を引き出そうとすることの意味がもう一つ浮かび上がってくる。
今はダライラマ法王が確りチベット人のアイデンティティを一つにまとめているけれど、その先のことを考えるとパレスチナと同じような内部分裂が起こりはしないかと物凄く心配になる。「ガザ支援船は1万発のロケットもなし得ないことを成し遂げた」かも知れないが、ダライラマ法王はそれ以上のことを成し遂げているからだ。そして猊下を上回る指導者の出現は望めそうにない。チベット人はどこまで一つにまとまっていられるだろうか。

 

では、そんな不安を抱きつつ、もう一つブログをご紹介。

 

 

宗派による権力闘争が起こるようなことがあれば、それこそチベット史終焉の危機だ。
何れにしても前途多難であることに変わりはない。

7月6日はダライラマ法王 75歳のお誕生日

7月6日はダライラマ法王 75歳のお誕生日
ダライラマ法王のお誕生日を迎えるにあたり、世界のあちこちで様々なイベントが企画されています。
世界中のチベット支援団体で構成されるITSN(インターナショナル・チベット支援ネットワーク)では、お誕生日の特別なお祝いとして、ダライラマ法王・胡錦濤主席会談を実現させてくれるよう、世界で最も影響力のあるG8リーダー(欧州議長を含む)に要請するアクションを作動させています。
両者の会談が実現することにより、チベットの将来に関する現実的な協議の進展をはかる意図がある大変重要な意味を持つアクションに、是非ご協力ください。

実は途方に暮れていたりする

再開しておいて、未だにこんなこと書いてるんかと思うと情けないけど、自分の中でFree Tibetをどう扱っていいのか、正直わからない。何がどうわからないかも判らない。PCに小さな不具合が蓄積してゆき、ついにシステムクラッシュ…みたいな気分である。

もしかしてチベットへの気持ちがこのまま消えてしまうんじゃないか、所詮はその程度のものだったんかなあ…なんて思うこともある。でも、それならこの16年間は何やったんや?単なる熱病なんか? それはあまりに虚しすぎて受け入れ難い。
確かに気持ちの問題なので可能性の覚悟くらいは、と思ってはいるけど、ただ、そうじゃないことを自分に対して意地でも示したい。後付けではあるものの、このブログを再開したことには、そんな意気込みというか願いもある。チベット解禁という衝動が本物であることを自分に示したい。
そんな訳でいきなりぶつかったのがFree Tibetという壁。そう、今の私には壁である。
前にも書いたけれど、「チベット断ちもどき」を決めたつもりが本当にチベット断ち状態になり、そして自分の認識不足を痛感した。だからといって認識が深まるほど便利な世の中ではないが、ブログを再開するにあたって改めていろいろ考えてみると、少なくとも自分がフリチベを持て余していることに気がついた。いや、持て余すどころか途方に暮れたの方が実感としては近いかな。
ま、ともかく、ポカ〜んと口を開けてばかりもいられんから、少しずつ進んでいこうと思いますです。
なので、再開に際しての「宣言もの」はこれで最後にします。どこぞのバンドみたいに本番よりアンコールの方が多いとか、某たかじんみたいに歌より喋りの方が多いとか、そんな事はしないつもりです。
よろしく。

フリチベ@ニッポン

まず断っておきます。
私、マジで現在のチベットの状況を把握してません。
さすがに地震のときは気になりましたが、あとはサッパリ。亡命チベタンたちや日本のフリチベの動向も然り。特に避けていたわけではないけれど、自然とこうなりました。確かにmixi脱退で主な情報源にしていたコミュとの繋がりが断たれたのは大きいけれど、情報がまったく入らないわけではない。その気になれば今でも手の届く範囲に充分あるのだ。そう、その気になればだが。

では何故その気になれないのか。
それまで躍起になっていた反動もあるにはあるが、それは小さく、やはりチベット問題に触れる機会が激減を通り越して殆ど皆無になったことが大きい。メジャーなメディアに日々いろいろ流される情報の中からチベットに関する情報はなかなか見えてこない。埋もれているのかもしれないが、どのみち表に現れることは稀である。こんな状況でチベット断ちみたいなことしたのだから意識するどころか、どんどん影が薄くなっていったのだ。

チベットに強い関心を持つ私ですらこうなのだ。そうでない人にとってはチベット問題なんて既に過去の話である。何故あのような騒動になったのか疑問すら持たれず、あげくの果てには、そういえばオリンピックで大騒ぎになった「アレ」で済まされる。チベットに対する関心や認知度は多少上がったかもしれないが、チベット問題に関しては2008年3月までのレベルと大して変わらないところまで落ち込んでしまった観がある。
龍馬伝じゃないけど、この日本ではチベットは所詮チベットぜよ、遠い異国の話じゃ。どんなに頑張ってもチベット問題はちっぽけな存在でしかない。わしゃそのことを今回ほど痛感したことはないぜよ。

他方、いわゆるフリチベに勤しむ人たちの中では情報のやり取りは活発で、個人的に毛嫌いしている2chは勿論、mixiコミュ、ML(リンカなど)など、それぞれ異なる色合いの場が存在している。一部の活発な発言(投稿)者の意見ばかりが罷り通る傾向や、反対意見が見苦しい攻撃の対象になるという馬鹿げた状況も散見するが、とまれ、活発な情報のやり取りそのものは素晴らしいことである。
ただ、その中にどっぷり浸かってばかりいると井の中の蛙になりやすく、チベットに対する思い込みが激しいほど、その危険性は高くなる。井の中の蛙ならまだしも、チベットへの強い思いがドンキホーテになってしまったとしたら余りにも哀しいではないか。

我々はチベット問題を誰に向かって訴えているのだろうか?
共感を求めていながら、独り善がりな価値観で相手を見下してはいないだろうか?
知らないから意識が低いのではない。その機会がなかっただけのこと。
最後に、何故こんなことを書くのかというと、フリチベ関連の動きがまったくと云っていいほど「外側」に伝わってこないからだ。
たとえばツイッターで#tibetを見ても日本語が少ない。ユーザー数だったかな?今や国内ではmixiを抜き、国別ではアメリカについで2番目。ダライラマ猊下ですらアカウントを持つ御時世なんだから、よりオープンなスペースでの情報交換があって当然だと思うんだけど…。
尤もブログ休止してからは積極的に情報収集していないから、たまたまそんな印象を受けるのかもしれないが、それにしても無さすぎのような気がする。せめて石濱裕美子先生がツイッター始めてくれたらなあ〜。大学がうるさいんかな?
何れにせよ利用できるものは何でも利用する強かさは必要である。それは即ちよりオープンになることである。その過程で当然入り込む異質を受け入れる強さが試されることになるけど、もうそんな事で躊躇っている場合ではないのだ。