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60周年だと?それがどないした!&「もうひとつのチベット現代史」読了

1951年10月26日張国華を軍長とし譚冠三を政治委員とする主力1万6千の大部隊がラサに到着した。

それから60年、中国共産党によると今年はチベット開放60周年だそうだ。私のツイッターのチベット垢Tibet_G_Newsでも、稀に中国当局発信の60年の成果を誇示するニュースをピックアップしているけれど、勿論これはこの60周年に関係してのプロパガンダ。そもそもチベット侵攻以降、チベットにおいては反乱鎮圧、大躍進、文化大革命に至る惨禍は80年頃まで続き、経済発展どころか飢餓が発生して文化消滅の危機に瀕していた。教育にしても自然環境保護にしても、勿論経済発展にしても、その輝かしい「成果(数字)」ほど白々しいいモノはなく、民族の文化的独自性を全く度外視したものばかり。もっとも、中国当局発信の情報なんてそんなんばっかだけどね。

ま、そんなことを意識したわけではないけど、「もうひとつのチベット現代史」(阿部治平著、明石書店)を本日読了。結果的に良いタイミングであった。

History-mouhitotunotibetgendaisi

何年前か忘れたけど、図書館で見かけて以来ずーっと気になっていたけど、なんせ分厚いから後回しにしていたんだよね。

で、今回読んでみて、もっと早くに読んどけば良かったと思った。そうすればチベットの現代史をもっと立体的に理解できた。特にチベット人共産党員たちの視点が如何なるものなのか、それがうかがえる書物は、この本の他に私は知らない(無いとは言わんよ)。

本の副題”プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯”の通り、この本はプンワンことプンツォク=ワンギェル(平措汪傑)の生涯を描いているのだが、その生涯を中心軸にチベットの現代史をも描き出している。それも、よくありがちな「フリチベ好み」の歴史とはひと味もふた味も違ったものだ。

プンワンは中国共産党に入党し、チベット侵攻部隊の通訳として大活躍したカムパ(東部チベット人)である。そして冒頭のラサ入城した赤い軍隊の中に彼はいて、ラサの市民から「赤いチベット人」と陰口を叩かれた。もしアナタがプンワンを知らないフリチベの人なら(特に2008年以降の熱烈なフリチベなら尚更)この二行で拒否反応を起こしすかもしれないけれど、でもね、寧ろそう言う人にこそ読んで欲しい気がする。ダライ・ラマ法王やチベット仏教関連、雪の下の炎など体験もの、オカメインコ先生の著書とか、要するに亡命チベット側の立場にたった著書もいいけど、そればかり読んでいても視野は広がらない。

マルクスレーニン主義に夢を描き、チベットを真に解放してチベット人のユートピアを実現しようと奔走したチベット人が本当にいたのである。勿論それがどのような結果を招くことになったかは、今のチベットを見れば言うまでもないが、現実に裏切られてもプンワンは逃げることなくチベットの現実を必死で支え続けた。(あ、誤解を避ける意味で念のため断っとくけど、“逃げる”は現実から逃げるという一般的な意味で、現実の出来事を暗に指し示すものじゃないからね)間違いなくチベット現代史のキーマンの一人である彼の足跡を辿ることは、チベットへの理解を一層深めてくれるだろう。おススメ。

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Inside Tibet:1943年のチベットのカラー動画

Inside Tibet : National Archives and Records Administration : Free Download & Streaming : Internet Archive

http://www.archive.org/flow/flowplayer.commercial-3.2.1.swf

未だ中華人民共和国が存在しない時のチベット!
これはチベット好きには涎もの。
サイトが英語なので正確には判りませんが、おそらく1943年のトルストイとドランの合衆国使節団の記録映像だと思う。
セラ寺六千人、デプン寺1万人なんて、今じゃ想像できない人数だな。
つか、あの空気の薄いところでよくこれだけ踊れるもんだわ。
凄い!

チベット民主改革年表 by北京週報を見つけたので

 

1949年10月1日:中華人民共和国成立。

1950年10月16日:人民解放軍、西蔵(チベット)に進駐。

1950年11月17日:第14世ダライ・ラマ(当時15歳)による親政が開始。

1951年5月23日:中央人民政府とチベット地方政府、北京で「チベット平和解放に関する協定(17カ条協定)」を締結。

1951年10月24日:第14世ダライ・ラマ、中央人民政府の毛沢東主席に打電、「17カ条協定」の合意と実行を表明。

1954年秋:第14世ダライ・ラマとパンチェン・ラマ、北京で開催された第1期全国人民代表大会にチベット人民代表として出席。ダライ・ラマ、人民代表大会常務委員会副委員長に選出。

1956年4月22日:チベット自治区準備委員会が創設。第14世ダライ・ラマ、主任委員に就任。

1959年3月10日:チベット上層支配集団が中国からのチベット独立を企て全面的な武装反乱を起こす。

1959年3月17日:第14世ダライ・ラマ、インドに亡命、その後ダラムサラに留まる。

1959年3月28日:国務院、チベット地方政府の解散を宣言、西蔵自治区準備委員会がチベット地方政府の行政を担当。中央人民政府と西蔵自治区準備委員会、チベット人民を導き武装反乱を迅速に平定。民主的改革を実行、政教一致の封建農奴制を撤廃した。封建身分制度、人身従属関係、野蛮な各種刑罰を廃止し、百万人の農奴と奴隷が解放された。

1961年:チベット史上初の総選挙がチベット各地で行われる。解放された農奴と奴隷は、歴史上初めて、主人公になる民主的権利を獲得した。

1965年9月:チベット自治区成立。

「人民網日本語版」2009年3月13日

 

探しモノしていたら目に入ったので。
数年前にも同じものを見かけた気がするけど、日付から察するに、時々こうやってアップし直しているんやろうね。あるいは数年前のは別のサイトで見たのかもしれない。ま、どっちでもいいけど、

チベットは国名ではないのか?

このところ気持ちが腐ってメインのブログですら更新する気力が萎えている。いわんやTIBET BLoG…。

なので意識的に更新しないとブランク長くなっちゃうので今回はムリヤリ感満載でポストしました。でも大切なことだから、いいや。

私は無条件でチベット独立を唱えるつもりはないですが、しかし中国の実質支配を認めるつもりは更にない。私が中国に求めるのは、隣人の幸せを脅かすなということだ。
そげな私がカチンときたのは、中松氏の件ではなくて、次の「雑誌」文章中の表現である。

「チベット」というと国名と勘違いしている方もいるようですが、正確には国ではなく、平均標高4000mを越える中国西方の広大な自治区のことを指します。高度も高けりゃハードルも高い、“秘境”への道のり web R25 7月30日(金) 10時 5分配信 / エンターテインメント – エンタメ総合
何をかいわん、である。
元々独立国だったチベットは中国に武力で強引に統合されてから現在までその占領下にあり、亡命政府がインドにある。こんな事は旅行ライターなら知っていて然るべきことで、その史観からすればチベットは国の名前でもあるのだ。そういった見解の存在を読者に考慮させずに自治区に限定してしまうようでは、提灯記事と評されても仕方がない。

日本では「国の公式見解=正しい」という大いなる誤解があるが、国の公式見解はあくまで時の政権にとって都合のよい解釈のことであって、必ずしも正しいとは限らない。特に国の沽券に関わること、存続に関わる重大事であればあるほど恣意的に捩じ曲げられる可能性は高くなる。チベットなどはまさしくその良い例で、もちろん民間が従わなければならない義務はない。

さて、旅人の心は自由であるべきだ。でなければ本当の姿が見えず、できる限りの縛りを注意深く避けることで旅は良いものになる。むろん公式に従うことを気にするなんてもっての外で、これは旅のスタイルの如何に関わらず、たとえ団体のパックツアーであっても同じこと。”尤もらしい”即ち”胡散臭い”が旅人の基本である。だから“尤もらしい”ことに意味がある日常生活からすれば旅人とは胡散臭い存在で、何食わぬ顔で日常生活の心を少しでも丸裸にしようとして心の扉を遠慮なくノックする。旅人とはそういうものだ。
もちろん日常生活に於いても多少の差はあるにせよ同様のことはある。その意味では旅人とは心の持ちようであり、だからこそ普段の生活領域でも旅人になることはできるし、逆に旅行をしてるのに旅人になれない単なる旅行人(あ、この表現は問題あるかな?)なんてこともあり得る。
これ以上書き進めると本格的に脱線してしまいそうなので本線に戻るけど、さて、この文章は旅人の書いたものだろうか?
少なくとも旅に関心のある人向け、それもタイトルからして秘境に関心のある人を対象にしており、執筆者(複数)はチベット経験者のようだが、私には当たり障りのない役人の挨拶みたいな印象しか無い。そりゃま「諸般の事情」による営業判断もあるのだろうが、それにしても地球の歩き方の方がまだ面白みがあるってもんだ。

以上、カチンときたついでに書いてみた。

ラサ市民蜂起記念日はさむかった。そして、ありがとう浜村淳です。

本日は東京空襲の日ですが、私にとってはラサ市民が蜂起した日でもあります。
今年は51周年。大阪ではお坊さんたちが行脚されました。おそらくその後には一般参加の方々も続かれていたことでしょう。私は13日のピースマーチに参加するつもりです。六本木なんて何年ぶりやろ。ただ、あくまで予定という断りが取れないのが辛いところ。

今日は昨日ほどではないものの寒かった。ただ、昼前から雲の切れ間が見え始め、それを室内から眺めていた私はすっかり騙されて薄着で出てしまった。

でもまあ車やし、大丈夫やろ___予定通りならね。
でも、物事の大半は思いつきと偶然だったりする。特に私の場合、かなり100%に近い。
そんなわけで、予定外の図書館へ。
とまあ持って回った書き方をしたのには理由がある。
図書館と云っても、美術館や博物館なども含まれる広ーい自然公園内の施設の一つで、駐車場はその広ーい公園の駐車場。図書館までは結構距離がある。それでも陽射しがポカポカして温かければいいのだが、飛沫のような小雨まじりの冷たい風。て、アーメン独裁。!!!ああめんどくさい、です___要するに薄着で寒かった。ほんで、ほんで、なんだったっけ?
ああ、そうだった、そえで帰り道、目についたスズカケ楓の実を何となく拾って帰った。
という、どうでもよい日記でした。写真も適当にて失礼。
おう、そうそう、忘れるところだった。といっても、ここから先は特に読みたまえと腰に手をやるほどのことではないが、試しにGoogle翻訳で「ありがとう」を翻訳してみた。もし文字化けしていたら許したまえ(上から目線)。
Takk アイスランド語
Go raibh maith agat アイルランド語
Dankie アフリカーンス語
شكرا アラビア語
Faleminderit アルバニア語
Grazie イタリア語
דאַנקען イディッシュ語
Terima kasih インドネシア語
Ddiolch ウェールズ語
Спасибо ウクライナ語
Aitäh エストニア語
Bedankt オランダ語
Gràcies カタロニア語
Grazas ガリシア語
Ευχαριστώ ギリシャ語
Mèsi クレオール(ハイチ)語
Hvala クロアチア語
Tack スウェーデン語
Gracias スペイン語
Vďaka スロバキア語
Hvala スロベニア語
Asante スワヒリ語
Хвала セルビア語
ขอบคุณ タイ語
Salamat タガログ語
Díky チェコ語
Tak デンマーク語
Danke ドイツ語
Teşekkürler トルコ語
Takk ノルウェー語
Köszönöm ハンガリー語
धन्यवाद ヒンディー語
Kiitos フィンランド語
Merci フランス語
Благодарности ブルガリア語
Cảm ơn ベトナム語
תודה ヘブライ語
Дзякуй ベラルーシ語
با تشکر ペルシア語
Dzięki ポーランド語
Obrigado ポルトガル語
Благодарам マケドニア語
Grazzi マルタ語
Terima kasih マレー語
Pateicība ラトビア語
Ačiū リトアニア語
Mulţumesc ルーマニア語
Спасибо ロシア語
Thanks 英語
감사합니다 韓国語
謝謝  中国語