国旗

意匠

 白い三角形は雪山で、「雪山に囲まれた地」(カンジョン)としてのチベットを象徴している。太陽は、チベットの民が自由を平等に享受し、精神的世俗的な繁栄を手にすることを象徴している。

 赤青6対の光線はチベット民族の起源となった6氏族(ミュドゥンテゥク)を象徴し、また赤と濃い青の光線が並ぶことで、チベットの2つの守護神(赤=ネチュン、濃青=シュリ・デビ)の堅い決意により、国の精神的、ならびに世俗的な伝統が護られていることを象徴している。

1対のスノー・ライオンは、チベットの精神的、および世俗的な方策が完全な勝利をおさめることを象徴している。

チベットの民にとって精神的な拠り所となる3つの源に対する尊敬の念を象徴している。3つの源とは、具体的にはブッダ、法(ダルマ、ブッダの教え)、僧侶(サンガ)たちを意味する。

陰陽の表象は、十善業法と十六浄人法による自律を象徴している。

 黄色の縁取りは、仏教がすべての場所で永遠に栄えることを象徴し、縁取りのない一箇所は仏教以外の教えや思想にもオープンであることを示している。

チベットハウスHP より編集)

歴史

ナショナル・ジオグラフィック1934年9月号表紙

国旗の起源は、6世紀、ソンツェン・ガンポ王の時代にさかのぼる。王の軍隊の各部隊は、それぞれ異なる旗を使用していた。ヤル・トゥ連隊の軍旗は、向かいあった一対のスノー・ライオンで飾られていた。 ヤル・マ連隊の軍旗は一頭のスノー・ライオン、Tsang-Ru Lag連隊では直立した一頭のスノー・ライオンが空へ向かって跳躍していた。

スノー・ライオンの旗をチベット軍の軍旗に用いるこの伝統はその後も継承されたが、1912年、第13世ダライ・ラマ法王の時代になると、新しくデザインされた軍旗を軍に関連するすべての組織で使用するよう宣言された。

現在のチベットの国旗は、このときのデザインが基となっている。チベット国内では1959年まで、インドのチベット亡命政府のダラムサラをはじめ、自由な国では現在も使用している。
以上、チベットハウスのサイト (ダライ・ラマ法王日本代表部事務所HP>チベットを知るために>チベット国旗)からの引用(一部書き換えて編集)であるが、同ページ内に「中国当局の主張」として
2008年3月31日、新華通信はCao Kai記者による「ダライ・ラマは単なる僧侶ではなく、政治家である」とする論説を発表した。いつもの主張の繰り返しはさておき、記事によれば

「亡命政府の立場をより確かなものにするため、ダライ・ラマとその支援者たちは、1959年以前には存在しなかった”チベット国歌”と”チベット国旗”をつくりあげた」という。

とある。また人民網日本語版は「ダライ集団『亡命政府』の現状分析(1)2008-05-01」 の中で

ダライ集団は仏教の説教と「チベット独立」の幻想を合体させた「国歌」を創作し、チベット仏教旗と旧チベット軍旗を1つにした「雪山獅子旗」を「国旗」と定めた。

と書いている。
これら中国政府側の主張は、しかしながら、チベット亡命政府側の反証に照らせば全くの言い掛かりでしかないことが判る。「嘘を百回繰り返せば真実になる」と毛沢東は言ったが、中国共産党政府はまさにこれを実行しているのである。

エピソード

「日本人がデザインした」___うーん…、、、いくら何でも書き過ぎです。

(チベット軍の教練に関する記事に続けて)而してこの日初めて新定の軍旗を使用したが、その模様は下半部に富士山形の雪山を描き、唐獅子の図を配し、上半部即ち雪山の上には地色を黄いろくして日本の軍旗の半分を写し取ったような旭日を置き、その片隅に月を小さく銀色に描いてある。これらの日、月、雪山及び唐獅子は西蔵の記号で、司令官と予が戯れに図案を作ってみた紙片が図らず法王の目に止まり、当分仮にこれを軍旗に採用せられることになったのである。この新軍旗は時々風に翻る調子で日本の軍旗のように見えるので、更に改訂するはずであった。ちなみに旧軍旗は三角形の赤地に唐獅子と雪山とを大きく描き、日月を上部に小さく遠方からは見えないくらいに附加えたものである。(青木文教『秘密の国 西蔵遊記』中公文庫版, 1990 p.114)

国旗と軍旗の違いはともかく、少なくとも青木氏一人の考案ではない。「司令官と予」つまりチベット人と一緒に「戯れに」(遊びで)作ってみたら偶然にも法王の目に止まっちゃったのだ。それで「あれは予が考案した」なんて言ったら、一緒に「戯れ」たチベット人から手柄の一人占めだとクレームがつく。確かに旗の図案制定に日本人が関係したことは事実だが、まるで日本人が考えだしたみたいな書き方は慎みを欠く。
デザインと云ってもあくまで遊びだし、それもチベット人との共同作業。まして法王がとり上げなかったら実現しなかったのだ。そもそも組み合わされた個々の素材はチベットの伝統的な図案で、その蓄積を考えれば、青木氏は「きっかけ」を与えたにすぎない。国旗を考えたのも、作ったのも、やはりチベット人なのである。

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