新しい可能性へ

今朝ツイッターにピックアップしたけど、チベットやウイグルの運動家と中国人権運動家の結びつきは注目すべき動きではなかろうか。

記事の中にもあったけど、これまでチベットやウイグルの抗議運動と中国人権運動とは、連携が皆無というわけではなかったが、大局的には別々に動いていた。おまけに中国の人権運動と云えば法輪功絡みの一部の運動しか(少なくとも外部には)見えてこなかった。

先のオリンピック開催を機に起こったチベット・ウイグルの大規模な激しい抵抗運動でも、外国のフリチベが手を組むべき人たちを勢い余って攻撃してしまい、中国の一般民衆の反感を買うことを危惧していたし、実際そうなった。法王が中国の一般市民に直接語りかけたり、ことさら中道を説かれたのは、相当苦慮されてのことだったに違いない。10億人以上いる中国の一般の人たちを敵に回しては中国政府の思う壷でしかない。彼らだって人権を疎外されている人たちなのだ。同じ方向を向くことは充分可能だ。いや、そうしない限り中国政府によって「民族対立」という低次元なジレンマ状態に監禁され続けるだけである。そしてケイタイという手段をほぼ封じ込まれたチベットとウイグルは、更なる壁の中に閉じ込められた。

しかし時代は常に流れ続け、一瞬たりとも止まらない。地方政府の腐敗と急速な経済発展に歪められた社会への不満に対して、既にネットの普及が状況を醸し、ツイッターという突破口を開いたのだ。巨大な「ダム」をかいくぐらねばならないとはいえ、もう北京まで陳情しにいかずとも直接全国に訴えることができるのである。

そんな時代の流れをドンブラコドンブラコと流れてきて巨大なダムに体当たりしたのが劉暁波氏のノーベル平和賞である。今や中国の一般庶民は錦の御旗を手に入れたのだ。そして彼らの向かうべき方向とチベットやウイグルの向いている方向がついに一致したのである。

勿論楽観など出来ない。あの巨大な政権が変化するにはそれ相応の時間が要るし、過去の経緯から個人的心情が事態を複雑にする可能性もある。あくまで私の私見である。

でも、これは大きな可能性を秘めた結びつきではなかろうか。桃園の誓いを連想した私は、楽天的ですかね?

広告

タグ: , ,

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。