チベット概史その二

本当は昨日アップするつもりだったけど、ちょっと時間がなくて今日になりました。
前回の引用で、チベットが決して中国の一部ではない歴史的に独立した国であることがザックリでも解ると思う。今回は、そんな独立国チベットが現在の監獄のような現状に陥るに至った経緯です。

「囚われのチベットの少女」解説 今枝由郎 より抜粋

その後、今度は満州族が明を打倒し、清朝(1616−1912)を打ち立てた。今までみてきたことからも分るように、中国の歴史は決して一貫した漢民族の歴史ではなく、異民族による支配と、漢民族による支配とが交互に繰り返された複雑な歴史である。
そのころチベットでは、15、16世紀と政治的に不安定な2世紀の後、5世ダライラマのガワン・ロサン・ギャムツォ(1617−1682)が登場し、1642年にはモンゴル族の軍事勢力を背景に全チベットに覇権を樹立し、国情が安定した。現在にまで続くダライラマ政権の始まりである。5世ダライラマは清の康煕帝(在位1661−1722)と、パクパとクビライの関係に似た友好的な関係を打ち立てた。彼の治世は、古代の吐蕃王国以来の黄金時代といえる。5世ダライラマが「偉大な5世」と称されるゆえんである。
この当時チベット文化圏は、チベット本土を中心に、西はラダックから東は青海省、四川省まで、北はモンゴルから南はヒマラヤ山脈を越えてネパールの北部、インドのヒマチャル・プラデーシュ、シッキム、アナルチャル・プラデーシュ州の北部、ブータンにいたる広大な地域に広がった。チベット仏教(※)を中心にしたチベット文化は、中国、インドとならぶアジアの偉大な文化の一つである。※原文では「いわゆるラマ教とよばれる大乗仏教」とあるが、現在ラマ教という呼称はあまり使われなくなり、より使われるようになったチベット仏教の方が妥当でもあるので変えました。
清朝は、歴代中国王朝のなかでもっとも侵略的、植民地的な国家で、北方および西北方に貪欲な版図拡大を開始した。その結果、中国の領土は明の時代と比較すると倍増した。そしてその触手がチベットにも向けられた。
チベットでは6世ダライラマ(1683−1706)の正当性の問題がもつれ、政情不安定な時期を迎えた。7世ダライラマ(1708−1757)は中国とチベットの辺境地域に生まれたが、彼をチベットの首都ラサに護送すると云う名目で、中国軍はチベットに侵攻した。1720年のことである。このとき清朝はラサに「西蔵平定碑」を立て、チベットを征服したと主張した。以後20世紀初頭まで、アンバンとよばれる軍事司令官を長とする小規模な中国軍がラサに駐屯した。しかし、中国がチベットの内政に干渉することはなかった。この時期、清朝はチベットに対してゆるい宗主権のようなものを行使していたといえる。それはインドを植民地支配していたイギリスも、チベットに関して中国と交渉していることからもうかがえる。
1912年に中国最後の王朝清が滅び、中華民国が成立した。このときチベットは中国のあらゆる軛(くびき)から解き放たれ、13世ダライラマ(1876−1933)は独立を宣言し、国内の整備と近代化に努めた。しかし中国は東チベットのカム地方から侵略を始め、チベットを脅かした。
日本がチベットと始めて直接的に接触するのはこの時期である。接触といっても、国と国との大がかりなものではなく、ほんの一握りの「探検家」たちによるものであった。もっとも知られた人々としては、河口慧海、多田等観、青木文教などがあげられる。
1949年に、中国共産党がほぼ中国全土を支配し、中華人民共和国が成立した。チベットは中国の一部であると宣言し、「平和解放」の名の下に、チベットの東部カムと北部アムドを、おのおの四川省、青海省に編入し、中央チベットは西蔵自治区として中国に併合・占拠された。
1959年3月、14世ダライラマ(1935年生まれ)は、中国軍による拉致を恐れてインドに亡命し、現在に至っている。彼の後を追って、十万人近いチベット人がインドに亡命した。
その後、チベットにおける中国の残忍さは、文化大革命(1966−1977)中にその極に達し、宗教は禁じられ、国内に数千あった寺院は、いくつかを除いてすべて破壊された。こうした弾圧はその後いくぶん緩和されたとはいうものの、中国による弾圧、抑圧は現在も変わることはない。チベットに残ったチベット人も、亡命チベット人も、世界各地で中国の不当な占拠を告発し、独立運動を継続している。この連綿と続く非暴力的独立運動の指導者として、ダライラマがノーベル平和賞を授与されたことは、よく知られている。
今まで見てきた中国・チベット関係という歴史的観点からして、また第二次世界大戦後、多くの民族国家が独立したことに鑑みても、中国によるチベットの占拠は不当以外のなにものでもない。(略)チベットがチベット人のものであるというこの正当な主張が、独立運動として厳しく弾圧されているところに、チベットの悲劇がある。政治的、軍事的、経済的な面からして、格段に優位に立つ中国は、その力を盾にチベット人の人権を無視してこの占拠政策を継続している。チベット人は自らの国で囚人となっている。この絶望的な状況のなかで、チベット人は勇敢にも孤独で悲壮な闘争を続けている。
(以下略)

以上で引用は終わり。
先日のオバマ大統領との面会で中国政府が猛抗議したことからも、中国政府にとってチベットが大きな軛であり、触れられたくないアキレス腱であることは明らかだ(ま、今さら言うまでもないことだけど)。アメリカとは本気で喧嘩したくない中国が斯くも「怒った」態度を示す理由については、経済や政治の専門家からいろいろ分析されているのでそちらに任せするとして、日本政府ももう少し、最低でも人権問題として毅然とした対応をとるべきだ。

ところで、ツイッターでフォローしている某氏がトンデモ左翼から自分のブログに極端なコメントされたと怒っていたが、当ブログでも「バカ右翼」と「バカ左翼」とはお付き合いしたくない。
て、その前に、コメント来ませんねえ^^;
誰も来ない所で一人黙々…。いいもん。自己満足でいいもん。

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