第四章 祭儀

1995年6月2日〜6月22日

目次

罰金500元

風の気まぐれ

足跡

罰金500元

6月6日

「今、阿里で捕まったら罰金500元だって」他人事のようにニコニコしながらヒロさんはそう言った。なんてこった。今回はどうも雲行きが怪しいぞ。

六月二日
カトマンドゥのバス・スタンドで兄弟の少年ラマ二人と出逢い、カサに住む姉の家まで弟を連れて行ってくれと兄から頼まれ、快く引き受ける。
少年はとてもいいヤツだった。コダリで出国手続きをしている最中にゴゴゴと地響きがして思わず彼と目を合わせた。その時の彼の真ん丸目玉は当分忘れられない。
友誼橋を渡り切ってパスポート・チェック。簡単なチェックで済み、行こうとすると係官が少年をネパール側へ追っ払った。問題なく素通りのポーターのクリシュナが、「パスポートを持っていないからだ」と言う。少年の眼差しが、俺に縋りつく。
「どうしてなんだ」係官に掛け合ってみたが無駄な抵抗だった。何度も何度も振り返る彼を見ているのは辛かったけど、先を急ぐクリシュナを無視して未練たらしく立ち尽くした。

六月三日
前日、交渉はできなかったがシガツェ行きのトラックをいきなり見つけ、移動については楽観していた。
しかしこの日、旅游証なしではどのドライバーも相手にしてくれなかった。たとえ旅游証を持っていたとしても800元などと吹っかける。正直これには焦ってしまった。
そこへジャンムー・ホテルの男が現れ、旅游証も車もアレンジしてやろうと言ってきた。ラサまで800元、シガツェまで600元。高いとは思うが、自力で探しても変わりなさそうなので、シガツェまで頼むことにしてパスポートを預けた。
夕刻、パスポートを受け取りにレセプションで聞いた部屋へ出向く。すると、なんてことだ、扉にはCITSの四文字があった。

六月五日
前日、ドライバーが金儲けに走っている間に雨が土砂降り、出発は延期された。
そしてこの日、11時に出発。ドイツ男のウーリッヒ(以後ウリと呼ぶ)とフランス女のエリザベートとの三人だけのゆったりランクル・ツーリングだ。一方、旅游証なしでヒッチに成功した欧米人のグループは、一足先に出発したものの、程なく戻ってきた。チェックに引っ掛かったのだと言う。そのチェックポストはダムの外れにあった。
今回はシェーカル手前のチェックポスト以外に、このダムとニェラムとで旅游証のチェックを受け、更にラツェの手前でもパスポートをチェックされた。旅游証のことといい、チェックといい、前回に比べると状況は随分厳しくなっている。
しかし天候は良く、ティングリ手前の遺跡が点在する谷は美しく、かつ壮大だ。車を止めて降り立つと、エリザベートは「ノルウェー中部のようだ」と吐息を漏らし、それを聞いてノルウェーを旅してみたくなった。
ラツェ手前の道路工事で大きく迂回して道を見失ったが、地元の人間に訊いたりして何とか道なき道を行き、ラツェに着いた時にはもう暮れかかっていた。
一夜明けて今日、ラツェからカイラスを目指すエリザベートにメッセージを残して、日の出前に発つ。
道路工事の迂回を繰り返し、特にシガツェ手前ではかなり大きく遠回りして、川を走ったり、泥濘みを進んだり、それでも何とか無事シガツェに到着した。
サイクリスト・モードに切り替えたウリを羨みながら、徒歩でテムジン・ホテルを目指す。そして自由市場の十字路でヒロさんと再会し、この日記の冒頭につながる。
シャワーを浴びたりしているうちにヒロさんは出掛けたようなので、ウリ、そして同宿のケンさん、ヤギさんと、四人で昼食に出る。
ヤギさんの名前に聞き覚えがあり、「ポカラにいましたか」と訊いた瞬間、思い出した。カトマンドゥで「坊主」さんが愚痴っていたあの話___彼女と二人旅だった坊主さんが落ち合う約束だけして一時的一人旅をしている間に、彼女Kの心をTという男に奪われた。そのTと同じ名前だ。
「どこかで逢いました?」と訊き返されて言葉を濁していると、彼は少し間を置いて言った。
「カトマンドゥでKという女性に逢いませんでしたか」
ヒロさんからカイラス情報を仕入れに二階のドミトリーを訪れる。でもヒロさんは外出中で、部屋にいた日本人の小池、山田の二人と雑談しながら待つことにした。
しかし夕食時になってもヒロさんは帰ってこない。「どうせまた、あそこに行けば居るでしょう」と二人が口を揃えるので、連れ立って「あそこ」へ出掛けると、「やっぱり」ヒロさんがもう一人の日本人と食事をしていた。
山田くんは米国への留学経験があり、英語が達者で、少し英語訛りのような話し方をする。かなりの毒舌家で負けん気も強く、一見ボサボサの髪に日焼けした無精髭の顔が、カトマンドゥで買ったチベット着の汚れ具合と相俟って、まるでチベタンのようだ。
一方、長髪、無精髭、褐色の乾燥肌、草臥れた服装、飄々とした物腰、等々、一見して長旅の猛者のような小池くんだが、海外は今回が初めてで、日本を出てからまだ二ケ月しか経っていない。なのに日本を発って一ケ月後のヴァラナシで、早くも長期旅行者に勘違いされたそうだ。彼は貸スタジオでフリーターしているミュージシャンで、俺と同い年だ。
そんな二人に「チベタンみたいやね」と印象を述べると、二人して心外そうにする。
「そんなに汚いかなあ。でも山田くんよりはきれいでしょう」
「ええー俺の方がきれいだし清潔ですよ。頭だって毎日シャンプーしてますもん」
小池くんと俺は口を揃えて言った。「嘘だ!」
ところで、ヒロさんと一緒に食事している男性に見覚えがあると思っていたら、二年前ポカラで出逢い、その三ケ月後にギルギットで再会した林さんだった。
そういえばヒロさんとの初対面も同じ二年前のポカラなら、次に出逢ったのも同じ三ケ月後のギルギットだ。そんな奇遇がありながら、なぜか三人一緒になったことがない。その為、俺の中ではヒロさんと林さんとの間に連想回路がつながらなかったのだ。そのうえ記憶も曖昧で、今回のポカラでヒロさんと再会した時に「以前どこかで逢いましたよねえ」と訊き合った程だ。でも林さんは俺のことを確り覚えていた。それなのに俺は臆面もなく「どこかで逢いましたっけ?」と、またやらかしてしまった。
ちなみにパキスタンの後エジプトへ向かった林さんは、カイロに本拠を構えているヒロさんと再び巡り逢い、それを機にプロカメラマンのヒロさんを「師匠」として写真に目醒めたそうだ。「師匠に騙され」て来たチベットではニェラム周辺に一週間滞在してフィルムを30巻使うなど、そんな彼を「このまま行けばプロになるしかない」と「師匠」は評す。しかし彼のお気に入りのチベット製革ベルトは「仮面ライダーみたいだ」と皆から不評で、その感覚だけは理解できないと「師匠」は首を捻る。尤も、「師匠」も以前帰国した際にチュパを着て銀座を闊歩し、皆から白い目で見られたというからお互い様だ。
なんとなく店の外へ目をやると、整列した直立不動の武装警察を荷台に載せたトラックが、ゆっくり通り過ぎた。林さんが言うには、チベタンへの示威行動を兼ねた巡回パトロールで、数日前にはチベタンの喧嘩に割って入り、棍棒でチベタンを殴っていたそうだ。
日本で読んだ新聞には、自治区内での新たなゴンパ建設が禁止されたとの記事が載っていたが、再びチベットへの締め付けが厳しくなっているようだ。

6月7日

小池、山田の二人はギャンツェへ行った。また朝から姿を見なかったウリは、タシルンポへ出掛けていたらしく、撮影料が一部屋20元もするとぼやいていた。
三時頃食事に出かけ、食後は散策。
新市街をフラついていたら、人民服の男の後ろで空飛ぶスーパーマンのような格好をした剥製の山猫が、人民自転車に揺られて飛んでった。
旧市街を歩いていると、家の外壁の黒を指で塗り直している婆さんがいた。デプンのラマが黒の顔料として乾電池から炭を採取していたのを、ふと思い出す。その先のT字路では犬がチベタンのガキを吠えたてている。チベットの犬は根本的にヒトを恐れているものだと経験的に思い込んでいただけに、いくら子供とはいえ、この光景は驚きだ。しかし彼にも人間としての意地がある。石を投げて反撃にでた。
ホテルに戻るとラサから来た日本人がいた。二人はランクルでダムへ、他の二人はトラックでカイラスへ、それぞれ向かう。
ダムへ行く二人のうち、一人はカシュガルからチベット入りした「罰金500元」の張本人で、南ルートの川越えはランクルだとぎりぎりの水嵩だったらしく、「もう今頃はトラックでないと無理でしょう」と言っていた。
長居できない俺には関係ない話だが、7月中に旅行者がチベットから追い出されるとの噂がラサで流れているそうだ。なんでも8月に何かの30周年の記念式典がラサであり、中央の幹部たちも出席するらしい。だから治安上の不安材料は一掃しろ、といった所か。30年前といえば1965年、*たぶん自治区が設立でもされたのだろう。
またラサではサムイエへの旅游証が個人には発行されなくなり、取らずに行って見つかった旅行者が500元の罰金を払わされた、という話も耳に届いている。今回のチベットは気が重くなる話ばかりだな。

6月8日

朝、ウリは自転車でラサへ向かった。いよいよ彼のチベットが始まる。 コーヒーを飲みながら地図を眺めて今後のことを考えていると、ヒロさんが朝の仕事から戻ってきた。白黒フィルムには昼間の光はコントラストが強過ぎるので、早朝と夕方とに撮影するそうだ。
地図を見ているとカイラスへの未練はますます募る。でも南ルートは川の水位が既に高く、トラックのヒッチはまず期待できない。ランクル・チャーターなんて余裕ないし、500元の罰金は下手をするとバンコクにさえ辿り着けなくなる。残るTC600ドル。親からの借金という切り札は使い尽くし、帰国すれば滞納という名の借金御一行が手ぐすね引いている。そこへヒロさんからの駄目押し情報、───最近、阿里で日本人旅行者が公安の制服を着た男に殴られて、持ち金全部を捲き上げられた……。
ヒロ、林、ヤギ、俺で食事に出掛け、八宝粥という文字に釣られて漢族料理の店に入る。
さっそく弦楽器を弾きながら歌う乞食少年が現れた。が、この手の演奏にろくなものはない。歌もがなるだけで、はっきり言って迷惑だ。無視していると、彼はムキになって声を張り上げる。そのうち店の男が一元札を握らせて追い出そうとするが、少年は仕切り板にしがみついて必死に抵抗する。呆れた店員の手を振り解くと、更に力一杯弦を引っ掻き、殆ど絶叫のようにがなる。煩くて話もできない。暫くして再び店の男がやって来て、今度は容赦なく外へ押し出し、少年の指の汚れだけが、白い仕切り板に残った。
みんなで呆れていると、ガラスの外からガキがクチクチする。すぐさま店員から一喝されたが、彼は腹いせに店員の顔へ唾を吐き掛けた。逆上した店員は、どこまでも少年を追いかけ回し、トムとジェリーのように仲良く喧嘩していた。

6月9日

朝、歯を磨いていたら二階の中庭に山田くんが現れた。小池くん共々、昨夕には帰っていたそうだ。そして今度はヒロさんがギャンツェへ向かった。
山田くんと小池くんと三人でティングリのことを話題にしていた時のこと、ガイドブックを弄びながら偶然開いたページに、ティングリから見たヒマラヤの写真が載っていた。何となくチョー・オユーの左側にある山の括れに目が留まる。「そういえばここに峠があるんだ……」途端、なけなしの知識が頭の中を高速で駆け巡り、そして宣言した。
「決めた。俺、カイラス諦める代わりに、この峠を越えてネパールへ行く」
しかし、この峠に関する知識は微々たるものだ。かつてはティングリとナムチェとを結ぶ交易ルートだった事、それが今ではチベタンの亡命ルートになっている事、それだけ。名前も知らない。標高も知らない。無謀かもしれない。勿論非合法の越境で、国の主権を無視した行為だ。でも国境そのものに疑問を抱いている者としては有意義かもしれない。そんなことを真剣に考えている側で、小池、山田の二人は盛り上がる。
「ハブさんの獄中記、期待してますよ。毎日三食ダルバートばっかりでしょうが、でもインドじゃなくて良かったですね」
「インドだとやっぱりターリーばっかりかな」
「やっぱ、そうじゃないの。だから中国に捕まったら毎日中華かもしんないし」
「あ、それいいなあ。ハブさん、捕まるんならやっぱ中国ですよ、中国」
「でも獄中記としてはダルバート地獄でしょう」
「どうせならインドもネパールも中国もパキも、色んな国の牢屋を制覇したらどうです」
「そして獄中食評論家になる」
「完璧じゃん」
再び武装警察のトラックを見かける。前回と異なり単なる移動中のようで、立ったまま荷台に詰め込まれた彼らに緊張感はない。俺がカメラを取り出そうとすると、全員が一斉にこちらを振り向き、トラックが進むに従って顔をこちらへ回す。無邪気な中国人と不気味な武装警察、どちらも同じ人間の姿だとは、どうしても信じられない。
雲行きを怪しんでいたら、珍しく夕立のような激しい雨が降ってきた。仕方なく部屋で本を読むうち活字の世界に没入したので、どれくらい降り続けたのかは判らないが、食事を誘う山田くんの声で我に返った時には、既に雨は止んで窓の外が明るかった。
誘いに乗って部屋を出ようとすると、扉の外で山田くんが何かをじっと眺めている。何だろう。そう思って外に出てみると、虹の塊が一つ、遠くない西の空にふわふわと低空を漂っている。去年ラサで見た入道雲を縁どる虹と同じく、雲の水滴がプリズムのように太陽光を反射しているのだろう。あれは麒麟だと俺が口にすると、山田くんは龍だと言い張る。小池くんはどちらでも構わないと笑った。
いつもの店で夕食をしながら与太話していると、そこへ荷物を担いだヒロさんが現れた。最終バスを逃してしまい、ジープやトラクターなど三回乗り継いで、たった今ギャンツェから戻って来たところだと言う。やはり日帰りでは無理があり、カメラマンとしては収穫があまり無かったそうだが、ギャンツェの村そのものは気に入ったらしい。
「公安がチベタンを殴ってるのを見かけたから、嫌味たっぷりに間近でシャッターを切ってやったよ。でもジャーナリストにはなりたくないから、これは作品にはしない」
飄々とした彼の語り口は砂漠の砂のようで、どんな話もさらさら流れていく。

6月10日

ミニ・バスは8時過ぎにシガツェを発ち、2時過ぎにラサに着いた。ヤル・ツァンポは既に濁流に変わっており、道は去年に比べて舗装が随分荒れていた。またラサに近づくにつれて頻繁に道路工事がなされていた。
久しぶりのスノーランド・ホテルは、中庭の洗い場に蛇口の付いた流し台が作られて使い易くなり、なによりトイレが清潔な水洗式になっていた。しかし、便座にしゃがみ込んで目の前のレバーを捻っても水は出ない。入り口にあるドラム缶の水を事前に汲みおきして、自分で流すのだ。でも、あの強烈な臭いが駆逐されただけでも俺は評価したい。
昼飯はおさむちゃんの店で取ったが、なぜか値段が高く感じた。懐状態が心理的に影響しているのだろうか。
ヤク・ホテルに寄って掲示板を眺めていると、ヤギくんと出逢った。ウリも今日の昼頃ラサに着いたらしく、「ハブはどこへ行ったのだ。いないじゃないか」と騒いでいたそうだ。
日記を付けているうちに移動の疲れで眠ってしまい、そして馬鹿でかい声に跳び起きた。
メガネを掛けると、白人男性が物凄いバカ力で握手してくる。朦朧としたまま再び横になるが、あまりの騒音に安眠を諦め、仕方なく会話に加わった。
その白人はポタラに登ったらしく、至るところに監視カメラが隠してあったと言うと、部屋の隅へ行って「まさかここにはないだろうね」と盗聴マイクを本当に探し始める。何でもマジックマッシュルームに譬えてみせ、陽気さこの上ないが、彼こそが小池、山田、ヒロの三人が楽しげによく口にしていたパワフルなスイス人、レミーおじさん、その人だ。なるほど、寝ぼけた頭は納得する、彼が笑えばアルプス中に雪崩が起こるだろう。
ところでラサの野良犬がめっきり減っている。気のせいかも知れないが、去年はもう少し姿を見かけたような気がする。もしかして例の30周年式典と関係があるのだろうか。

6月11日

10時頃散歩に出掛ける。
未だ建築中の新華書店を素通りし、T字路を右へ折れる。すると左側の歩道のセメント・ブロックが軒並み剥がされ、文化公園の塀も壊されて、大々的な工事が為されていた。これも30周年記念行事かと思いながら、目抜き通りに差しかかると吃驚、ポタラの城壁から文化公園に至る何もかもが跡形なく取り払われ、土木工事が行われているではないか。隠れていた城壁が現れ、ポタラの麓はすっきりしたが、それ以上に観光の見世物に引きずり落とさんとポタラを丸裸にしてレイプしているような観がある。あの美味しい水餃子の店も韓国焼き肉の店もなくなっている。一体何をするつもりなんだ。
写真を撮っていると小池くんがぷらぷらやって来たので、そのまま一緒に散歩を続ける。
ポタラの少し先で、黒ずんだ大岩の前にチベタンたちが列を作って並んでいる。見ていると、岩へ体を擦りつけて拝み、岩の窪みの白っぽい粉を指につけて舐めている。天神さんの牛の像と同じようなものだろうか。とりあえず列に加わって真似てみる。チベタンたちの無数の願いに岩肌は磨かれ続け、その部分は光沢のある窪みになっていた。
少し歩くと軍の巨大な広報看板があり、西蔵自治区防衛の絵が描いてある。ジェット機やミサイルだけならまだしも、防毒マスクをした兵士たちや、きのこ雲の絵まである。不気味な回答からは敢えて目を逸らし、二人して白々しく解釈に悩んでみた。
歩き疲れてホリデー・インの喫茶店で休憩する。ウェイトレスがとても可愛らしく、またチベットの民族衣裳をユニフォームにしているので、コーヒーのお代わりをもらった時に「トゥジュチェ」と愛想よくした。するとその娘は真顔になり、「私はチベタンではありません、チャイニーズです」と言った。
乗合バスで市内に戻り、パルコルへ行く。噂通りダライ・ラマの写真は一枚もなかった。これも式典と関係があるのだろうか。
ジョカン裏手の小さな脇道に入ってみた。その路地は南へ延びる短い小路で、右側に二階建てのゴンパがある。仏間の出入り口や廊下、小路端には老人がずらりと並んで座り、マニ車を回しながら口々に経を唱えている。
小路を突き当たりまで進むと、左に中庭のような空間が現れる。大きな竈が中央に陣取り、キャンパス地の天幕が頭上を覆っている。そして北側に面しているのが本堂らしきゴンパの入り口だ。
階段を上がって堂の中へ入ると、正面でラマたちがプージャを行い、その周りで翁媼たちがマニ車片手に経を唱えている。堂奥は二メートルほど高くなっており、短い階段を上ると仏壇やそれを取り囲む仏像があり、当然ダライ・ラマの写真も祭られている。
このゴンパにはどこか老人の集会所めいた雰囲気が漂い、そのせいか、今まで訪れたどのゴンパよりも庶民の信仰の匂いが濃密に充満しているような気がした。
帰ろうとすると、なぜか急に雨が降ってきた。不思議に思って見上げると、ラマが二階から俺たち目がけて水を掛け、ニヤニヤしている。「コラー」と怒ってみせると、ラマは建物の中に隠れた。それを見て周りの爺姥たちがヒョーヒョーと笑った。
昼寝の後、本を読んでいると、「何やってんの」と出し抜けに廊下から声がした。顔を上げるとヒロさんが荷物を担いで突っ立っている。「ヒロさんこそ何やってんの」と小池くんが言葉を返すと、「林さん知らない?」と訊く。「さあ」と答えると「どーこ行ったんだろう」とそのまま視界から消え去った。とりあえず、変な二人もラサに着いた。

6月12日

窓から通りの様子を眺めていた。
ブロック状に乾燥させた香草を路端に積み上げ、その横におっちゃんは腰をおろす。すぐさま立て続けに2、3人が買っていく。しかし、それ以降はちっとも売れない。そこへ女の同業者が現れ、5メートルくらい離れた所で商売を始めようとする。すると早速一人のチベタンがやって来て、大量注文したのか、かなりの量の乾燥ブロックを彼女に待たせて先導する。それをおっちゃんはじっと目で追う。向こうの食堂の入り口では乞食が5人集まり、余り物をもらって分かち合っている。その中の一人の少女は、分け前をピンクのプラスチックの椀に入れ、手掴みで食べ歩く。と見ているそばから、まだ残っている残飯を路上へ空け捨て、少女はその場を去ってしまう。おっちゃんが自分の売り物を女のところへ運んで一緒にして並べ始める。理解できぬまま観察していると、おっちゃんはそのまま女と一緒に商売を続ける。結局、おっちゃんと女は身内同士で、恐らく父娘だろう。そのすぐ後ろで雨シフトを採っていた鞄屋は、雨が降らないとみてディスプレイの改善に余念がない。しかし、誰も見向きもしない。
昼食の後、ヤクで掲示板を眺めていると、いきなり背後からヤギくんに声を掛けられた。
「ハブさん、女と同棲しているんですって」
「…はあ?」
きのう用事でホリデー・インに寄ったウリが「髪の長い女」と俺がお茶している所を目撃したそうだ。黙ってそういう事にしておこうかとも思ったが、それにしても随分汚れた「女」だ。確かに女の長い黒髪は好きだが、無精髭の「女」は願い下げです。
廊下で日記を付けていると、その「髪の長い女」が女物のバックを持って戻ってきた。チベタン娘に英語を教えてやった報酬らしい。その娘からスイスへ行きたいので誰かスイス人の知り合いを紹介して欲しいと頼まれ、快く引き受けたと言う。まさか…。
「うん、レミー」小池くんはニヤっとした。
夕刻、パルコルはごった返していた。
右回りの本流の中でチベタンより更にゆっくり歩き、ジョカンの正面へ出る角を曲がる。すると拉薩市佛教会という看板の掛かった大きな門の脇に、人垣ができていて、チャルメラのような音が漏れてくる。覗いてみると、行商人の喇叭を数人のラマが試し吹きしながら値踏みしていた。
それにしても何かがいつもと違う。でもすぐに判った。普段は閉まっている門の扉が、全開になっているのだ。途端に興味はそちらへ移り、見物はそこそこに門をくぐる。
そこは二階建ての建物に取り囲まれた中庭で、北側以外の三面は廻廊になっていた。一階の廻廊には、中庭との仕切りにキャンパス地の帳が下ろされ、その内側に雛檀状の三段の台があり、火を灯したバターの燭台がずらりと並んでいる。中庭を奥へ進むと左手に通用口があり、入って行くとジョカンの中庭に出た。
物凄い人混みを擦り抜けると、サキャダワの用意をしている光景にぶち当たる。男たちは木組の中にツァンパを突き固めて10×10×30センチのブロックを作り、表彰台のような形に積み上げる。その横で女たちがツァンパを捏ねて擬宝珠を象り、食紅のようなもので赤くする。別の所では、燭台にこびりついたバターを火で溶かして回収し、布で汚れを拭き取っていた。
ジョカンをコルラする。少しでも多く周回を重ねようと、みんな急ぎ足だ。そんな中を、一人だけ、のんびりゆっくり呑気にフラフラ。
正面へ戻れば、腰を下ろして四方山話に花を咲かせる婆さんたちや五体投地の男がいる。ふとしたことで一人の少女と仲良くなった。
階段をのぼって屋上へ出る。奥の方でラマたちが気合いを入れながら問答をしていた。正面へまわると逆光のラサのど真ん中にポタラが聳え、目を落とせば真下でチベタンたちが五体投地をひたすら繰り返している。そして振り返ると、金色の堂宇が西日に輝く。
ジョカンには細部の装飾など見るべきものは多いが、一番興(おもしろ)いのは、そこかしこに現れる架空の生き物たちの姿だ。特に気に入ったのは赤ちゃん体型の*迦陵頻伽(かりょうびんが)で、妙に愛嬌があってユーモラスだ。
正門わきの通用口から出ると、待ち構えていた一人の少年ラマがクチクチ絡んできた。逃げられないよう首に腕を回して駄々をこね、これではタカリと変わらない。
腕を振り解こうとして足を滑らす。無数の五体投地が敷石を磨き、表面をツルツルにしているのだ。ねちっこい少年に苛々しながら、足の裏で庶民の信仰心に感じ入った。
雑沓の中をホテルへ帰ろうとすると、ポンと誰かが背中を叩く。振り返ると、さきほど仲良しになった少女の笑顔が、母親と手をつないで歩きながら振り向いていた。

6月13日

今日はサキャダワ。でも、とりあえずの仏教徒には釈迦に関係した祭りだという知識だけで十分だ。
遂にジョカンの正門をくぐる。両脇の木像は熱心に拝んでいるチベタンたちの後ろから一瞥するだけで素通りし、さらに中庭の人混みを掻き分けて最前列まで出る。すると、プージャの真っ最中だった。
正面中央の仏壇へ向かって一本の通路空間が延び、その両翼に細長い座布団が二列、そして通り路としての間を挟んで更に二列ほどの細長い座布団が並んでいる。蛯茶色の法衣で身を包んだラマたちは、中央の通路に向かって座布団の上に座り、独鈷杵を手にして経を唱え、おりふしベルを鳴らす。両脇のラマはあまり声が出ておらず有耶無耶言っているように思えるが、しかし中央の何人かは丹田から地を這うような声を出し、じっと聴いていると頭が共鳴してぼーっとしてくる。
目の前で仏壇に向かって五体投地を繰り返す婆さんがいる。そのすぐ横ではラマがせっせと大量の布施を勘定し、時々思い出したようにラマたちへ分配する。直接一人ずつ布施を配るチベタンもいる。見ていると動いている額が半端でない。札の山を目の当たりにしていると、百元札を五枚ばかり、くすねたくなる。
とりあえず左へ向かう。昨日作っていたツァンパの供え物は完成しており、前には堆く菓子も供えてある。
中庭の奥へ進むと、ジョカンの中へ続く行列ができていた。列に加わり、そして、やっとジョカンの中に入った。
他のゴンパと基本的な配置は同じだが、仏壇を取り囲む仏像の代わりに小部屋が並び、その中に様々な仏像や仏画などが祭られている。行列は小部屋の中まで続き、最初の部屋で酸欠とバター臭とで気分が悪くなった。それでも一番奥の小部屋に鎮座する釈迦牟尼像には、かなり心惹かれるものがあった。
二階は床の大部分が大きく吹き抜け、周囲に残った床が広い廊下になっている。吹き抜けから見下ろす巨大な仏像の眺めは、なかなかの迫力だ。
一階と同様、周囲には小部屋が並び、順々に見てまわる。しかし集中力に欠け、全く散漫になっていた。そして気分的にだれきった頃、一組の眼に睨まれた。
闇のような黒壁に、その眼は出し抜けに描かれていた。それまでの仏の目のように半覚醒したものではなく、カッと見開いているが忿怒尊の眼でもない。得体の知れぬ美しくも不気味で冷やかな眼が、暗闇の中から真っすぐこちらを射竦める。心が凍てつきそうな感覚に慌てて目を逸らし、その場を離れた。
中庭へ出たが、代わり映えのしないプージャに退屈し、とりあえず屋上へ上がる。しかしそこにあるのは昨日と同じラサの眺望。僅かでも変化のあるプージャを天幕の透き間から見下ろして、無聊を慰める。
そのうちラマたちが全員退場し始める。昼休みだと思っていると、隣のラマが「別の場所でファイヤー・フェスティバルがある、ついて来なさい」と歩きだす。面白そうなので彼の後に続くと、拉薩市佛教会の中庭の廻廊へ連れていかれ、そこで待たされた。
中庭を見下ろすと、南端の東寄りに座面の高い椅子が北向きに置かれ、その正面の脚もとに鉄板が据えてある。その脇には大鍋があり、溶けたヤク・バターのような黄色い油が入っている。また椅子の手前に少し離れてツァンパや雑穀などを盛った皿が台の上に並べられ、そして細長い座布団が、中庭のやや北寄りに東西方向に一本、更にその西側の端から直角に南へ向けてもう一本、L字型をなして敷かれている。
そのうちラマたちが現れ、細長い座布団の上に座る。そして刺繍の凝った祭事用の法衣を羽織り、仏塔の形をした黒い帽子を被ると、仏の描かれた五枚の板を花弁のごとく帽子の周りに括り付ける。椅子と対面する東西方向の布団には高僧が座し、真ん中の僧の前には箱のような卓子が置かれている。
やがて徐に大僧正が椅子につき、プージャが始まる。
鉄板の上に大僧正が火のついた藁束を投げ入れる。そして油を注ぎ、護摩木を投げ入れ……、要するに護摩の法要だ。人垣から一歩踏み込んだその場で、婆さんが五体投地をずっと続けていた。
法要が終わると、ラマたちは建物の中へ消え入った。何となくこれ以上いても仕方がなさそうなのでホテルへ戻ると、山田くんが本を読んでいた。
夕方近くなって小池くんやヒロさんたちも帰ってきた。
彼らの話によると、大きな巡礼路のような道筋があり、チベタンが延々と行列をなして巡礼しているそうだ。しかし二人が感心しているのは巡礼者の行列ではなく、乞食の方だ。道沿いに座る乞食が延々と何処までも続き、喜捨された元や角の分厚い札束を、全員が両手に持っていたらしい。
「ドイツ人の言っていた『世界最大の祭』の意味が、あの行列を見て初めて解ったよ」
羨ましいような、悔しいような、でも今から出掛けるのは、もっと面倒臭い。
夕食の後、夜のパルコルへ行ってみた。
ジョカンの中からプージャが響いてくる。会話する声は耳に届かず、五体投地のザーザーと地面を擦る音が周りをとり囲み、ごもごもと唱える経が追い抜いて行く。そして満月の光が、それらの実体を朧げに浮かび上げる。
お祭り騒ぎ___そんな言葉はこの祭りには無い。夕刻、全ての法要が終わったのか、供え物のツァンパが崩され、皆が取り合った。騒ぎといえば、これくらいだ。その時、せっかく手に入れた少しのツァンパを、見知ぬ少女が二つに分けて俺にくれた。女の子は照れ笑いして母親の顔を見上げ、そんな彼女の頭を母親は微笑んで撫でてあげた。俺はしゃがんで合掌し、トゥジュチェと言った。
仄かな青い光の中で、ザーザーと音をたてて黒い影が蠢き、もごもごと黒い影が抜き去って行く。ふと思う。この祭りは生きている。
ジョカンの正門前にくると、電球の黄色い光の中で、幾つものチベタンの黒い背中が、何回も、何回も、何回も、五体投地を繰り返していた。

風の気まぐれ

6月14日

オレンジ・ジュースが爆発した。
買って帰った粉末ジュースを早速作ろうとして蓋を回すと、コンビーフの缶を開けるような感触がする。ギ、ギ、ギ、パン!。淡いオレンジ色の煙幕が手許を包み、床にオレンジの粉末が飛び散った。ラベルを見ると製造工場は広州。逆に考えれば、それだけ確りした密封性ということになる。

6月15日

8時頃、昨日小池くんが頼んでおいたランクルの件で、ホテルの男が呼びに来た。小池、山田の二人に任せて、俺は三人も要らないと眠る。その結果、ダムからの復路に客が確保できたら2500元(一人833元)、駄目なら3000元(一人1000元)ということになった。国境まで直行ならランクルで350元という口コミは、何処へ行ったのだ。
とにかく人数集めに向かう。しかし17日出発では急過ぎて誰も誘いに乗ってくれず、なんとか見つけた二人の日本人も「18日なら」という条件つきで、そのうえ取り敢えずの保険といった口ぶりなので全く当てにならない。
とはいえ、350元の情報はガセではなかった。毎朝ではないが、たまに朝早く出発直前のドライバーがヤクで人集めするらしい。念のため、もし誘いがあれば我々のことを伝えてくれるよう、ヤクの日本人に頼んでおいた。またミニ・バスなら話はざらにあるが、ラサまでの道中を鑑みればランクルは譲れない。ちなみにヤクで交渉したドライバーは、最高六人乗りの「ミツビシ」に七人までOKだと言ったが、値段を3500元より下げなかった。CITSは5000元。代理店が絡むと値段が一気に跳ね上がるというのが、どうやら結論のようだ。
ところで、やっと峠の名前が判った。ナンパ・ラ5716メートル。予想はしていたものの実際に標高の数値を目の当たりにすると、もう言い訳が始まり、止めたくなってきた。

6月16日

朝、昨日ヤクで話をしたドライバーとその仲間とが部屋を訪れ、今すぐ出発するから一人350元でどうだ、と持ちかけてきた。しかし、ネパールのビザを申請中の小池くんと俺は11時までラサから身動きが取れず、山田くんは散歩中。それに俺は準備が全く整っていない。「一時まで待てないか」と小池くんは食い下がる。しかし「駄目だ。今すぐここを発つ。どうなんだ、行かないのか」とドライバーはせっかちだ。仲間の男は交渉したい素振りだったが、痺れを切らしたドライバーの後を追って行ってしまった。
二人して考え、やはりみすみす見逃すには惜しい話なので「2時まで待ってくれるなら3人確実だ」と交渉し直すことに結論を着け、慌てて彼らを捜しに出る。が、ドライバーは見つからなかった。何も知らない山田くんは、帰ってくるなりパルコルで買ったアイスクリームを「旨い、旨い」と興奮して叫んでいた。
昼食後、ヤクへ向かう途中で、ヤギくんから今朝ボーダーへ向けてウリが出発したことを知らされた。但し自転車ではなく、ランクルに乗って。道中の村の名を事前に調べ、その発音をドライバーに確認してメモを取り、ティングリ近くではオーストリア人のサイクリストから情報をもらって上機嫌になっていた。チベットを自転車で走るのを、ウリは本当に楽しみにしていた。そんな彼を知っているだけに他人事でも悔しくてならない。パートナーに拘泥らず一人でも行けばいいのに。
ヤクの掲示板を見ていると、若い日本人女性が声を掛けてきた。
「日本人のカメラマン知りませんか。Tっていうんですが」
「ああ、一人同じホテルにいますよ、めちゃ性格の悪いのが」
訊けばヒロさんから「一緒にカイラスへ行こう」と誘われたのだそうだ。
冗談でヒロさんを悪人に仕立てあげながら、ムッとした様子の彼女をとりあえず部屋まで案内したが、ヒロさんは外出中だった。しかし林氏とも知り合いのようで、眠っている彼をわざわざ起こして話し込んでいた。
パルコルへ買い物に出掛ける。
ジョカンの裏手に差しかかると、店先沿いにロープが引かれている。よく見ると、ロープの外側でチベタンたちが何かを待っているようで、ロープの内側では一人の公安官と私服のチベタンおやじが偉そうに怒鳴り散らしている。よくは判らないが、とにかく二人がいなくなれば何かが起こる。そんな気がして眺めていた。ところが公安官が去っても、おやじが何時までも居残り続けている。チッと舌打ちして歩き始めようとしたその時、おやじが何か合図をした。その途端、脇で大人しくしていたチベタンたちが一斉に道の中央へ殺到し、布を広げて商品を並べ、あっという間に路上売りの列が道の真ん中に出来あがった。
さっそく数人の公安官が何らかの料金四角を徴収し始める。その横柄な態度に腹を立てながら見ていると、公安官の一人が売り物の万年筆を一本手に取って店の男に何か言い、万年筆を胸のポケットへ差し込んで、そのまま徴収を続けた。
夕食はいつもの団結飯店ではなく、別の四川料理の店へ行った。その店の可愛い娘は雪のように色が白く、*オコジョのような顔立ちをしていた。
俺の真後ろのテーブルでチベタンの中年夫婦が揉め始めた。振り返ってジロジロ見る訳にはいかないが、夫が頼んだ鷄の丸焼きに妻が文句をつけているようだ。山田、小池の解説によると、…夫の注文の品がこうして目の前に来てしまっているというのに、妻よ、お前は夫の、この私の面子よりも財布の中身を採るというのか、財布の中身の為に、この私に恥を掻けというのか…、沸々とした怒りと、惨めで情けない思いと、裏切られた悔しさと絶望と空しさと、見栄と、今にも崩れそうな危うい感情の平衡に男は打ち震え、目には涙を浮かべていた、らしい。俺は同情する、鷄の丸焼きはさぞ居心地が悪かったろう。

6月17日

昨日の日本女性と昼食を一緒した。そして彼女がカズミさんだということに、やっと気がついた。ヒロさんと林氏の話によく登場する京都の画家さんだ。大凡の歳はヒロさんから聞き知っていると言うと、「アイツそんなことまで言い触らして、許せない」と、また怒らせてしまった。

6月18日

真夜中に悪寒で目が醒めた。なんだか熱がありそうだ。小便をしにトイレへ行ったが、足取りがふらふらしていた。
朝食から部屋に戻ると、チベタンが訪ねてきた。今日の午後ランクルをダムへ向かわせるが、もし良ければドライバーに引き合わせてやると言う。もちろん小池、山田の二人が彼に同行し、その結果、ドライバーが一人350元で承諾したのに、たまたまその場に居合わせた代理店の男が5人以内で最低2000元だと譲らなかったそうだ。3人で割れば約670元だが、5人揃えば一人400元。まだ交渉の余地があると二人は診ている。
寝ている場合ではない。ここでもし一人居残ったら俺のことだ、ずるずるとラサに無駄な長居をしてしまう。薬で熱を抑え込み、パッキングに取り掛かる。一方、この話を聞いた林氏が、どうしても人数が揃わない場合はと、頭数に入ることを承知してくれた。
その後もう一度交渉して、3人だと1500元、4、5人なら2000元ということになった。つまり頭数が3、4人なら一人500元だが5人なら一人400元になる。でも、その五人目が難問だった。
そうこうしているうちに、山田くんが「こうなったら何も日本人に拘泥る必要はないんじゃないの」と呪文を見つけ出した。すると直ちに勇者デイビッドが現れ、頭数が揃った。彼の武器はリメンバー・パールハーバー・アップルポパイ。なんのこっちゃ。
ところでヒロ、林、カズミの三人は、何やら揉めている様子だ。カズミさんは何故かまたまた不機嫌だし、ヒロさんと林氏の二人は彼女を不機嫌にさせた責任のなすり合いを呑気にしている。事実関係はまるで判らないが、傍で見ている分にはとても楽しい。
「あの三人には色々ありそうだから、僕たち子供は大人の世界には近づかない方がいい」厳かに小池くんが言い、山田くんと俺は神妙に頷いた。
そのせいなのか、どうなのか、結局林氏は行けなくなり、面子が四人になってしまった。しかし勇者デイビッドは快く諒解した。
瞬く間に時間が経って5時、スノーランドを出発する。そして橋の辺りで嫌な事に気がついた。灯油を入れたボトルを、ホテルに忘れてしまった。
道中は恙なく順調に進んだ。
7時頃渡し場のところで夕食を取り、10時30分頃シガツェに到着、テムジン・ホテルにチェック・インする。すると山田、小池、ヒロの三人とダムからシガツェまで一緒だったドイツ女性と再会し、彼女とその連れが一人250元でヒッチすることにOKした。

6月19日

6時、準備を済ませて待機する。
30分後、ドライバーが現れ、さっそく新しい乗客と揉める。始めは乗せることも承知しなかったドライバーだが、100元の追加料金でなんとか合意し、7時前に出発した。
ラツェの手前でエンジンに水が入って遂にストップ。だが、それ以外にこれといったトラブルは無く、ラツェで給油して先を急ぐ。
ラツェの村の裏手から迂回路へ出ようとして川に阻まれ、仕方なくドライバーは本道を進むが、すぐ工事区間で行き止まった。道の真ん中に砂利の小山が列を作り、道脇には六人程の若いチベタン娘と二十歳前後の軍人らしき男が二人いた。
さっそく娘の一人が駆けて来て、無遠慮に中を覗きこむ。しかし色黒の男がすぐに追い払い、今度は彼が眺めまわす。
もう一人の小役人面した色白の男が、両手をズボンのポケットに突っ込んで、ガムを噛みながらドライバーの方へやって来た。
彼に二、三質問して、ドライバーは車をゆっくりバックさせ始めた。すると男は、何を思ったのか両手をポケットに突っ込んだまま片足を車のボディーに掛けた。そして車の動きに蹌踉めき、慌てて顔を紅潮させる。尚も意地になって片足で車を押さえていたが、諦めると、今度は見境なくバックミラーに掴みかかった。
ドライバーが車を止めると、男は走って来てドアの窓ガラスをドンドン叩く。窓を開けて男と短く言葉を交わすと、ドライバーは外へ出て道端で彼と密談を始めた。その隙に色黒の男が運転席へ乗り込み、知りもしないのに弄ろうとするので、デイビッドがキーを抜き取った。
やがて戻ってきたドライバーは、色黒の男を追い出してエンジンを掛けると、前進して砂利山の脇を走り抜けた。程なく着いたチェックポストで、ドライバーが山田くんに何かを訴えかけるように話していたので、気になって後で訊いてみると、男に百元も支払わされたと憤慨していたそうだ。
その後は何事もなく順調に進み、二時頃ティングリに到着。
とにかく食事を取りに漢族料理の飯屋へ入る。
英語と中国語の二つの菜単(メニュー)があり、英語の菜単の方が一元くらい外人料金している。だけど菜単の英語くらいは読めちゃう日本人、もちろん漢字はお手のもの。況して図太く遠慮知らずときては、最も厄介な観光客だろう。当然のように中国語の菜単で確認しながら清算する山田くんを、店の女は忌々しく睨みつけていた。
アドレス交換を済ませ、ドライバーに急かされて店を出る。荷物を降ろしてみんなと握手をする。二人に何か話しかけようとして何も思い浮かばず、在り来りの言葉を交わす。みんなは車に乗り込み、そして行った。遠ざかる車の後ろ姿は小さくなるだけで、いつまでも見えていた。
途中で見送りを切り上げ、チェック・インを済ませる。どうして俺はティングリで降りてしまったのだろう。穴蔵のような部屋の中で、急速に寂しさが募ってきた。
散歩に出ると、白人の旅行者が子供たちのクチクチに辟易している。ほっとしながら眺めていると、「日本の方ですか」と背後から声を掛けられ、振り返ると、雰囲気の良い*日本人女性が立っていた。彼女たちはカトマンドゥ発の一緒のツアーで、今日はティングリには泊まらず、シェーカルまで行ってしまうらしい。
橋の方へ進むと、チョモランマもチョー・オユーも確り見えていた。しかし風が強く、かき氷を急いでかき込んだ時のような頭痛がし、耳も痛くなる。少しだけ写真を撮って夕食に避難した。
ハロー、マネー、ハロー、マネー、マネー、*ガンピー、ピクチャー、…、去年はこんなに酷くなかったのに、ティングリの子供たちのクチクチには眉を顰めてしまう。言葉だけでなく、セーターを引っ張って自分のテリトリー内に押し止めようと必死だ。
しかし、ホテルの敷地内や飯屋の中へは絶対に入ろうとしない。ここは漢族の店ということもあろうが、皆店の入り口から中を覗いているだけだ。
そのうち店の子供が泣きながら戻ってきて、そのまま奥へ引っ込んだが、暫くして再び現れた。今度はビスケットを包みごと抱えており、入り口で腰を下ろすと、これみよがしに食べ始めた。するとチベタンのガキたちが彼を取り囲み、なんとかビスケットを手に入れようと頑張る。愛想笑いをしてゴマをすったり、他所へ気を逸らせて隙を窺ったり、ひたすら頼み込んだり…。でも店の大人が近づくと少しだけ逃げ、離れて見ている。まるで犬だ。
そんな様子をぼんやり眺めながらガキたちの行く末を思い描くと、なんだか無性に腹が立ってきて、漢族の子供からビスケットを取り上げて頭を張り倒したくなった。
店を出ると建物越しにチョモランマが夕陽に輝いている。急いでゴア・カッパを羽織り、丘に登る。
チョモランマ、ギャンジュンカン、チョー・オユー、…舂く秋陽にヒマラヤは光り、雲は淡紅に染まる。濃密な空はどこまでも深く、空と雲が混じり合い、反発し合い、滲み合い、無限の水彩画が静かに変化してゆく。カンパ・ラはあの丘の向こう。これはヒマラヤが呼んでいるのだろうか、それとも、これで我慢しろと慰めてくれているのだろうか。ヒマラヤは、ただ絶え間なく冷たい疾風を吹きつける。

6月20日

共食いする人間たち。A部族の者はB部族の者を食う。しかしその逆は、まずあり得ない。肉体的な強さではなく、政治的軍事的序列の反映のようだ。そんなA部族の女とB部族の男が恋に落ちる。しかし些細な事で喧嘩を始め、勢い余って女が男を咬み殺し、そのまま無心に食べ続ける。純白の顔をした女の口から真っ赤な鮮血が滴る。食べられている男はいつの間にかグズリになり、と思うと女は黄色いテンになり、ミンクが側で脅えている…。変な夢を見てしまった。
夢の気分が続いているのか、風邪なのか、空腹なのか、何だか気分が悪い。それに、布団が重すぎるのか、あるいは昨日丘に二回登ったからなのか、下半身が妙に疲れている。風邪薬は一回分しか残っていないし、この調子ではナンパ・ラ越えは自殺行為だ。朝は思考が消極的になるが、今回はきっぱり諦めよう、仕方がない。
10時頃、気分転換に散歩へ出掛ける。
丘の西麓を流れる小川に沿って南下して行くと、時折丘の上の方で奇妙な風の音がする。地上は無風でもすぐ上空には強い風が吹き、それが丘にぶつかってこんな音を出すのだろう、などと考えながら気にせず歩いていると、向こうから二人のチベタン男がマニ車を回しながら丘に沿ってコルラしてきた。
今度は鋭い笛の音がどこか遠くで響いた。口笛だろうか。妙な胸騒ぎを覚えながら耳を澄ましていると、少しして丘の向こうの視界が徐々に開け、チョー・オユーが姿を現し、遠くに人影も見えた。4、5人、そして少し離れて1人、それらから50メートル程離れて10人以上の団体がいる。遠すぎてよく判らないが、服の色や動きから察して軍人たちのようだ。
パン、パパン。乾いた音がした。すると丘の上を、ヒューン、ヒューン、と空気を切り裂く音が飛んでいく。まさかと思ってそのまま歩き続けていると、パン、パン、パパン、…ヒューン、ヒューン、ヒュヒューン………。
立ち止まり、ズームレンズの望遠側で覗く。4人くらいが並んで機関銃のようなものを構えている。笛の音が聞こえた。パンパン、パン。発砲音と同数の弾道音が、頭上の空を劈いた。
一体何を考えているのだ!民間人の村がすぐ近くにあり、いくら上空といえども、民家のある方向へ銃口を向けるなんて言語道断もってのほか。丘の裏には外国人を泊めるホテルもあり、中尼公路が走っている。それに、そもそもここは演習所か?。チベタンへの示威行為だとしても無神経すぎる。体調が良かったら俺は迷わず丘に登っていただろう。そう思うと恐ろしくなってきて引き返した。風邪でふらつきながら急いで戻る間にも、ヒューン、ヒューン、と不気味な弾道音が頭上を追い越していく。そしてその先は空き地ではなく、遊牧民の生活の場だ。
なんとか部屋に戻り、薬を飲んでほっと一息つくと、ヒューン……また聞こえた。
目醒めた時には物凄い汗だった。汗はすぐ乾いたが、トイレへ行く足取りは未だふらふらする。トゥクパを頼もうか迷ったが、折角なので粉末ミルクを混ぜたツァンパを試した。不味くはないが、まだまだ工夫の余地が残っている。
6時頃チェックインした外国人グループの中に、二人の日本人がいた。よく見ればシガツェで出逢ったカイラス・ツアーの二人だ。カイラスの後は南ルート経由でダイレクトにこちらへ来たそうだが、明日は*ロンボクへ行き、明後日ダムへ向かうらしい。
夕食後、ホテルの庭でミニバスが目に入ったのでドライバーに声を掛けてみると、明朝7時台にダムへ向けて発つ予定だと言う。とりあえず100元で話をまとめた。

6月21日

朝早く起きて準備万端整えた。が、バスが何処にも見当たらず、結局振り出しへ戻る。
朝食の後、ロンボクへ向かう準備を眺めていると、武装した軍の隊列が通りを歩いて行った。
やがてホテルを発つトラックを見送り、気分転換に川の方を散策する。すると目敏くやって来たチベタンのガキが、マネー、ハロー・マネー、ピクチャー、マネーと煩く、帰ろうとすると必死で邪魔をする。苛々が急沸して殴りたい衝動に駆られたが、親の目を意識して我慢した。仕方なく散歩を諦め、ホテルへ戻る。
トイレで小用を足している時だった。東方に砂埃が巻き上がっているのに気がつき、目を凝らす。ランクルだ。急いで門を出ると、アレ?何も見えない。目の錯覚だったのか。引き上げようとすると、ひょこり小さな姿が道から現れ、どんどん大きくなる。豪快に土煙を巻き上げているのは、やはりランクルだった。
橋の手前で一旦スピードを落としてそのまま近づく車に、ヒッチの合図を送る。助手席の男は駄目だと手を振る。しかしホテルの中へ車の後を追って入り、下車したドライバーに食い下がる。
ドライバーはダムへ行くとは答えたが、それ以上何か言おうとすると、助手席にいた男を指さして手を振る。直ぐさまその男に交渉を持ち込み、150元で即決した。
30分後、ホテルを発つ。
出発して間もなく、道路脇の土手に伏せている軍人たちを車窓に認めた。彼らの脇には機関銃がセットされ、銃口がこちらを向いていた。
大平原の素晴らしい眺めを通り過ぎ、最後の峠の上りに差しかかる。
シガツェへ向かう時には気がつかなかったのか、それとも開花していなかったのか、ティングリの丘で目にした赤紫の花の仲間が、巨大な丘全体を覆い尽くしていた。よく見ると、ここでは一つの株が複数輪の花を放射状につけている。
それからも花ばかり観察していた。
四十道班を過ぎた辺りから急速に植物相が賑やかになり、ニェラムを過ぎて雲の辺りまで下がると、草花だけでなく灌木まで花を咲かせ始める。
小鳥の姿が増えてゆき、喬木林が山の急斜面を覆う。蔓草やシダ植物などの下草が生え、滝が轟音を上げる。
胸が内側から圧迫されて息苦しくなり、呼吸が浅くなる。
頭に痒みが蘇る。
小糠雨のダムに到着した。

6月22日

深夜1時40分頃、ドアをドンドン乱暴に叩きながら「開門(カイメン)、開門」と煩い誰かの中国語で目が醒めた。熟睡から覚醒へ無理やり引きずり出されて、最悪級の不機嫌でロウソクを灯し、のろのろとドアに向かう。
多分公安だろうが、それにしても随分せっかちな野郎で、まだ鍵の掛かっているドアを力任せに引っ張ってベニヤ板の貧素な壁ごと揺らし、「開門、開門」と更に大声で喚く。「煩い、どアホ」と怒鳴り返し、やっと鍵を外すと、男はドアを一気に開けて懐中電灯の強力な光をいきなり俺の顔に当て、「パス!」と言って部屋の中へ入り込んだ。公安だ。
パスポートを取り出す僅かな間に、公安官は部屋の中を懐中電灯で一瞥し、パスポートを渡すと、俺の顔とパスポートを懐中電灯で照らしてビザと証明写真をチェックした。
やっと室内灯に思い当たってスイッチを入れる。が、怒りはもう収まりがつかない。
公安官に英語で名前を訊く。やはり英語は通じない。この手の中国人は白人と英語に大抵コンプレックスを持っている。立場の弱い旅行者にできる精一杯の仕返しだ。もう一度更に力を込めて「ホワッチュユアネーム」と詰め寄ると、彼はパスポートを投げ返して急ぎ戸口へ向かう。逃がすものか。
「ホワッチュユアネーム、お前は名無しか、ホワッチュユアネーム!」
立ち上がろうとすると、男は振り返ってスタンガンを構えた。バヂッ、火花に動きが止まる。しかし口は止まらず、スタンガンに怯んだ分、ますます声を張り上げる。色の白い男の顔は、血の気が失せていた。
「ソーリー、彼はポリスマン、チャイニーズ・ポリスマンだ」ホテルの従業員らしき声が廊下からした。すると男は「チャイニーズ・ポリス」と叫び、ホッとした気配を見せる。が、「ノー!、ユア・ファーストネーム」一瞬、男の顔が蒼白に戻ったかと思うと、「チャイニーズ・ポリス」と大声で繰り返しながら男は部屋から逃げ出した。俺はベッドの上で思いつく限りの罵声を張り上げ、それから一時間、悶々として眠れなかった。
余計な物は全て置き去りにして、10時頃ホテルを出る。
パスポート・コントロールの係員は色白の横柄な男だった。だから見せる必要のない旅游証を中に挟んだままパスポートを提出したのは失敗だった。
回収された旅游証を「返して欲しい」と頼むと、男は「ネパールへ去れ」と英語の命令形を返す。記念にするだけだと粘ってみると、目も合わさずあっちへ行けと顎先で言う。なんとか抑えて「サンキュー・サー」と定型句を述べたが、パスポートをしまって背中を向けると大声で叫んだ。
「糞ったれ!、ファッカ・チャイニーズ!」
車は一台も無く、でも下りなのでポーターの誘いを断り、先を急ぐ。
カサの村に差し掛かると、「ハロー」と横手から声が来た。振り向くと、丸坊主の少年が笑顔で飛び出して来る。私服でもすぐ判った。国境の橋で追い返された少年ラマだ。
思わずしゃがみ込み、彼の両肩を掴んで顔を覗き込む。「良かった、良かった」と繰り返しながら眼が熱くなる。今は姉の家で暮らしていると言って、彼は元気な笑顔を見せてくれた。
「良かった、良かった」他の言葉が出てこない。「良かった、良かった」そればかり口にしていた。周りのチベタンたちは笑っていた。でも、本当に良かった。
後ろ髪を引かれる思いで少年と別れて先を急ぐ。
少し歩くと、母親に髪を洗ってもらっている最中なのに、頭も顔も泡だらけのまま少年が道へ飛び出し、「ハロー」と元気な声を掛けてきた。
あるバラックの壁には、錆びた灯油缶や壊れた魔法瓶、使い古されたポリタンが、木切れで作った棚に並べられ、花が植えられていた。
ショートカットを繰り返して斜面を降りていく。意外ときつく、すぐに膝が笑いだし、そしてガクガク悲鳴をあげる。それでもネパール紳士に励まされ、何故か子牛に威嚇されながら、なんとか下り切った。
チェックポストを素通りし、橋の上から激しい濁流を見下ろす。これまで心の奥底に沈殿してきた鬱憤や怒り、様々な蟠り、それら全てを猛り狂う激流がどんどん呑み込んでいく。
「終わった」口を吐いて出た言葉を素直に受け止めながら、何かの始まりを感じる。振り返って見上げれば、朝陽の中でダムはあっけらかんとしている。
「ナマステ!」
後ろを振り返ると、髪を短くしたクリシュナが、笑みを浮かべて立っていた。

pagetop☝

足跡

※たぶん自治区が設立

大当たり。1965年8月西蔵「自治」区が設けられた。本文に戻る☝

※迦陵頻伽

上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物。サンスクリットの kalavinka の音訳。その声は非常に美しく、仏の声を形容するのに用いられ、「妙音鳥」、「好声鳥」、「逸音鳥」、「妙声鳥」とも意訳される。本文に戻る☝

※オコジョ

イタチ科の小型肉食獣。
この店員がよほど可愛く印象に残ったのか、後の変な夢に繋がるのであった。本文に戻る☝

※日本人女性

後日再会したヒロさんの話から推察すると、彼女はヤギくんが気にしていたKである可能性が高い。ヒロさんはラサでヤギくんの消息を訊かれたそうだ。本文に戻る☝

※ガンピー

中国語で鉛筆のこと。漢字も同じ「鉛筆」だけど簡体は「铅笔」。さすがに今はガンピーをねだる子どもなんていないだろうね。本文に戻る☝

※ロンボク

旅行者にとってはチョモランマ北面トレッキングの代名詞で、ロンボク寺がその起点になる。金銭的に帰るしかない私にとって非常に悩ましい響きであったが、それ以上に日本人二人が同じツアー仲間のヨーロピアンから小馬鹿にされているのに腹が立った。本文に戻る☝

pagetop☝

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。