第三章 鳥葬

1994年8月28日〜9月25日

目次

ナマケデリック

OH、LAMA!

貘 IN LHASA

碧落のド真ん中

足跡

ナマケデリック

8月28日

「この調子だと、あと一週間は成都かな」ホテルのロビーで他人事のように考えていたら、到着したばかりの日本人の若いカップルが、フロントでの手続きを済ませ、部屋へ向かわずこちらへやって来た。
「ここの三人部屋、きれいですか?」開口一番、男が訊く。どこかで見覚えがあると思っていたら、大理で同宿だった薫くんだ。そして彼の隣りで「そんないきなり…」と真っ白い丸顔を苦笑いさせている女性は、美希と名乗った。彼女は北京で語学留学の後、昆明の大学で雲南少数民族の民俗研究をおさめ、今回は日本へ帰るついでの旅行なのだそうだ。
俺のガイドブックに気がついて薫くんが訊いてきた。「もしかしてチベットに行かはるんですか」
そんな訳で、二人と一緒にラサへ飛んでしまうことになった。

8月29日

中祢という青年も加わり、四人で西南航空のオフィスへ。誰も*旅游証なんて持っていないが、すんなり票代1490元と保険料10元の合計1500元の出費。

8月30日

飛行機はぶっきらぼうに飛び立った。
四川盆地の水田地帯は瞬く間に茶褐色の波打つ大地に変わり、少しすると右手にひと際高く抜きん出た印象的な白山が見えてくる。
やがて地表は雲海に覆われる。それでも時折現れる雲の切れ間に、しかし、相変わらずの山、山、山、…。単調な景色を持て余し、退屈しきったところで左手にナムチャバルワの巨体が現れる。いつしか雲は消え、眼下にヤルツァンポの広い谷がどこまでも続く。
地面が随分近くに感じられるので「この辺りの標高は高いんだろう」と思っていると、写真そのままのサムイエが見えてきて、それを過ぎると機体は高度を下げ始めた。
機体は何の迷いもなく下降を続け、ぐんぐん川面に向かって落ちてゆく。操縦ミスで河に不時着かと一人心配している間に、水面が滑走路に変わり、着地した。
先を急ぐ人民に続いてタラップに立つ。空気がサラサラしている。なんとなく空気の薄さは感じるけれど、全く気にはならない。タラップの下で待っているバスなんてないし、乗って来た飛行機以外に民間機も軍用機もない。だだっ広い敷地には囲いすらない。ただ、あっけらかんと、硬い日差しが射している。川の向こうでは山の群れが静かに佇んでいる。そして空を見上げる。アハハ、青い!
ラサへ行くバスは30元もした。当然外国人料金だ。それでも外国人とチベタンと人民を平等に乗せて、バスは出発した。
雨季のせいでヤルツァンポが黄土色の濁流になっていたのは残念だが、キ・チュの流れは濁っていなかった。また前回で印象的だったラベンダーの花絨毯は季節を外したが、その代わり翠柳や牧草が瑞々しく生き生きとしている。そしてゴジラの尻尾みたいな尾根の先から懐かしいポタラの姿が現れると、いよいよ一年三ケ月振りのラサだ。
スノーランド・ホテルに着いたときは四人して疲れ切っていた。チェックインの為にレセプションで降ろした重いザックを再び担ぎ、チベタンの服務員について階段を上がる。二階に差しかかり、「二階の部屋、二階の部屋」と想念を送るが服務員の彼女には伝わらず、尚も彼女は無造作に登り続け、三階、つまり最上階のこれまた最奥の四人部屋へと案内してくれた。階段を登りながら「これはもうミニ・トレッキングやね」と弱音を吐いたが、誰も何も言わなかった。
部屋で一息入れてから食事に出掛ける。空腹を満たすとようやく人心地がつき、ミルクティーを飲みながら、チベットにいるんだなあと、やんわり実感した。
宿へ戻る前にヤク・ホテルに寄り、連絡の有無を確認したついでに掲示板にも目を通す。大半はツアーのメンバー募集で、その中でもカイラスへのツアーが一番多く、次いでチョモランマBCやサキャ、ギャンツェなどを訪れながら*ダムへ向かうツアーが多い。他にもダムへ直行、空港まで、ナムツォやヤンバーチェン、知らないところ、色々。日本語、韓国語、英語、ドイツ語、フランス語、ヘブライ語、広東語、売りたい、買いたい、譲る、欲しい、元気?、○○にいます、尋ね人、注意、広報、宣伝、意味不明、等々。ビザに余裕のない薫くんはボーダーまでのツアーを探していた。
美希ちゃんの留学生仲間の一人が彼女にメッセージを残していた。その人は西蔵(シーザン)大学でチベット語を学ぶ為に現在ラサに滞在中とのことだ。
部屋に戻って横になり、直ちに眠りに入る。そして目醒めて吃驚した。
中祢くんも薫くんも美希ちゃんも、蜂に刺されたように顔中を赤く腫らしている。しかし彼らも驚いた目をこちらへ向けている。不安に駆られて鏡を覗き込む。同じようにボコボコに腫れ上った赤ら顔の化け物が、こちらを見ている。何だこりゃ!思わず顔を触ろうとして再び狼狽えた。鏡越しの手や腕、そして首も、気がつくと脚も腹も胸も背も、全身が赤く腫れ上がり、これじゃまるで赤いマシュマロマンだ。おまけに全身が妙にだるい。明日みんなで病院へ行こう。そう言おうとしたが声が出ない。声にならずに喘いでいると、やっと蚊の鳴くような声が、と思ったら今度こそ本当に目醒めた。
ザックの中身をいじっていると、何やら指にぬるっとした感触がする。見ると、シャンプーが容器から吹き出しているではないか。慌てて荷物を確認すると、衣類の一部と本一冊が被害に遭っただけで、幸い他の物は無事だった。
引き続き荷物を整理していると、スプレー式の消毒液に目が留まった。試しにノズルを開けてみるとピューと勢いよく中の液体が独りでに迸った。標高差三千メートルの威力はなかなか可愛い悪戯を見せてくれる。

8月31日

中祢くんが鼻をかんで鼻血を出した。ティッシュを詰めている彼の横で、なんの躇いもなく鼻をかむ。あ、鼻血だ。薫くんも昨夜鼻をかんで鼻血を出した。中祢くんも俺も風邪気味だというのに、これでは安心して鼻もかめない。それでも「乾燥してるからすぐ凝固する」と高を括っていたら、豈はからん鼻血が止まらない。旅用語で「ティッシュ」、日本語でトイレットペーパーをあたふたと詰め替える。すると、そこへ美希ちゃんが外から戻ってきた。
「どうしたんですか!」
気がつくと散乱した大量の赤い「ティッシュ」に包囲されていたので、咄嗟に「生理が始まっちゃったの」と言うと、彼女の目が大仏さんになった。
西蔵大学の留学生が美希ちゃんを訪ねてきた。名前は小川くん。学生寮に入ったはいいが、肝心の留学生がまだ数人しかラサに到着していない為に本来なら始まっている筈の授業が未だ開始の目処が立たず、おまけに西蔵大学が外国人向けに講座を設けるのは今回が初めてのことで、そのせいか大学側の対応が不手際だとぼやいている。尤も、北京や昆明の大学でも似たようなものだと、彼は付け足した。
小川くんは更に素敵な土産を携えていた。曰く、鳥葬を見させてくれるゴンパがあるそうだ。おまけに鳥葬場の近くには露天風呂があるらしく、これを鴨葱と謂わんで何が鴨葱たい。ばってん、途中までは路線バスで行けても、その先はトラックやトラクター等をヒッチすることになる。それなら*ランクルをチャーターしてしまおうと考えた彼は、挨拶ついでに同行者を募りに来たという次第だ。無論、この棚ぼたに皆くらいついた。
夕食は小川くんといつもの四人、そして向かいのドミトリーに泊まっている二人の日本人学生とで繰り出した。
学生の一人コジマくんは、中祢くんと同じ金沢市内の近所同士だと判明するや意気投合し、何かというとぎこちない関西弁でツッコミを連発し、もう一人の名古屋のカメラ小僧は、初対面の時に頭を泡だらけにして中庭をうろついていた。シャンプーしている最中に断水が始まったらしく、目に染みる泡を何とかしようともせず、ただひたすら自分の窮状を訴えていた。

9月1日

八月に五十年振りの大タンカがポタラで開帳されたが、朝食へ向かう途中、早速そのときの質の悪い写真、もしくは写真の写真、もしかするとそのまた写真を、一枚だけ路上に置いて売っているのを何人か見かけた。
朝食後、四人でポタラへ向かう。月・木曜日は巡礼者に紛れてほぼ確実チベタン料金で入れる「巡礼の日」なのだ。俺はポタラには登らなかったが、ゲート前まで付き合った。
門の辺りでは、銀細工やトルコ石、山サンゴ等の装飾品を腕一杯に掲げたり地面に並べたりして観光客や巡礼者に売りつけようと、チベタンの女子供が頑張っている。少しでもゆっくり歩こうものなら腕を掴み「ハロー、ミルダケミルダケ、ドレスキ、ドレ、ヤスイヤスイ、ディスワン、グットクヲリティー、ユーイクラ、ハウマッチ?」とひつこく食い下がる。早速マイペースな薫くんとスローペースの美希ちゃんがしっかり捕まっていた。
二人の近くで売り子たちの攻勢をのらりくらりと去していると、売り子の一人が付けている綺麗な髪飾りに目が留まった。母から娘へ代々受け継がれているのだろうか、トルコ石や銀細工のかなり立派なものだ。似合っているから指さして「ディ、ヤポドゥ(これ、良い)」と褒めると、彼女はニヤリとして「ハウマッチ!」
買う気がないとみれば、売り子たちはこちらの持ち物に興味を示して「コレコレ、チェンジネ」と手を変える。そういえばポカラでも土産物を売り歩くチベタン娘の一人が、顔を合わす度に俺のサンダルを指して売り物の指輪などと交換しようと言ってきた。
それにしてもチベタン女の粘り腰は凄まじい。これは少女であっても同じこと、なかなか強かに育っている。おまけに可愛いから、いやはや、大変なのだ。しかし男の子は駄目。すぐに癇癪を起こして刃の無いナイフを振り回したり、殴り掛かったり、石を投げてきたりする。それを逆手にとって遊びに持ち込もうとすると、たまに馬鹿にされたと勘違いして余計ムキになって向かってくるガキもいる。勿論、誰も本気でそれを止めようとはしない。それどころか、それを手掛かりに何かを売りつけようとするお姉ちゃんの方が多いくらいだ。そんな子供たちを見ていると、去年デプンの参道にいた姉妹弟を思い出し、気分がほろ苦くなる。
ホテルに戻ると日本人男性が掲示板を見ていた。声をかけると、彼もカイラスを目指しているとのことで、去年のカイラス行のことを話してやる。すると「ああ、あなたがラッキーボーイですか」と言われた。ヤク・ホテルの日本人の間で俺はラッキーボーイと呼ばれているらしい。今回、ヤク在泊の人と話をしたのは彼が初めての筈なのに、なぜ俺のことを知っているのだ。考えられる情報の出処はただ一つ、ポカラで暇つぶしに延々書き込んだ情報ノートだが、それにしても、ラッキー・ボーイ…、なんか恥ずかしい。
そのうち帰ってきた三人から早速ポタラの感想を訊くと、「疲れた」と口を揃える。巡礼者が多くて立ち止まれないし、それでも膨大な部屋数で時間が足りず、最後は裏口から追い出されるようにして退出したそうだ。無数の宗教画なども「知識が無いからすぐ飽きる」らしい。「やっぱそうか」と頷いていると、「でも上から見たラサの眺めは良かったですよ。あれを目にしただけでも登った甲斐がありました」と中祢くんが言い、「ねー、きれいでしたよー」と美希ちゃんが意地悪く追い討ちを掛けた。
夕食は小川くんを含めた五人で中国料理の店へ行った。経営者はやたら元気なチベタンで、漫才師のぼんちおさむにそっくりだ。店に入ると「コンニチワー」と大きな声で「おさむちゃん」が握手して迎えてくれる。他にもチベタン女性の店員が何人かいて、皆陽気だった。

9月2日

タシで朝食。ボビーというものを初めて食す。ベジタブルとヤクの二種類あり、ベジタブルにした。
さて、今みなさんの目の前には、幾つかの小皿に盛られた品と、そしてお皿にはチャパティーのような薄皮がございますね。小皿の品は見ての通り、所謂野菜炒め、賽の目に刻んだトマト、胡瓜の酢漬け、ジャガ芋のカレー煮、等ですが、そこでちょっと注目して頂きたいのが、そこにヤクのクリームチーズがある、てことですね。いいですか皆さん、もし何か足りないものがあるようでしたら、今すぐタシのお姉さんに頼んで下さいね。いいですね、有りますね、じゃあ先進めて宜しいですね。さて次に、いよいよボビーを頂くわけですが、このままでは「ボビーはチベットのターリーだ」、なーんて早とちりさんが必ず出ます。しかし、ボビーとターリーは全く違う料理です。これからそのことを皆さんにお教えいたします。ではまず、この皮ですが、このようにしてクリームチーズを塗り付けておきます。ええ、それはもう適当にお好きなだけ塗って下さって結構ですハイ。そしてですね、この上に小皿の品を適当に載せてゆきます。分量と組み合わせは皆さんのお好み次第で結構ですが、但し、あまり載せ過ぎないようにして下さいね。そうそうそれ位かな。はい、皆さんちょっと手を休めてこちらをご注目下さーい。大体これくらい、そうですね皮の三分の一ってところですかね。そしてこれをですね、春巻きみたいに皮でこのように、包んで、くるくるくるーっと………、はい皆さん、これでボビーの完成です。簡単ですよね。ただ包めばいいんです。では皆さんちょっとやってみましょうか。要は欲張り過ぎないことです。それから申し忘れましたが、皮が破れやすいので注意して下さいね。尤も、破れたからって食べてしまえば一緒ですけどオホホホホホホ、あ、そうですね、そんな感じでそうそう。うんうんうん。どうしました、そこ。気分が悪い。何…クリームチーズを…全部、五皿も!!あらあらあら、いくらガンジャの後のスイートが旨いからって食べ過ぎですよ、全く。さあ、皆さんできましたね。ほらそこ、もたもたしない。確かに皆さんの中には醤油味とカレー味と酢の味とクリームチーズという組み合わせに一抹の不安を抱かれる方もおられることでしょう。でも、ひと口、はい何ですか。はあ? シバが漬物にされた…。しば漬けのどこがいけないんですか。な、なんですか。なに怒ってんですか。でですね、一口このようにかぶりつけば…、はい、今度は何ですか。トトロ…。とろろなら知ってますが。で、要するに、はい、…何? …紙? ナフキンならそこに、えっ?…ああ神。そうですか、見ましたか、そりゃ良かったですね、えーえーダライラマと毛沢東が球根ですか、そうですね、はいはいはい。要するに「ボンシャンカー!」…じゃなくて、ボビーは意外と旨いのです。ただ、上手く包まないと皮がすぐに破けて「ムーミンがサザエさんを強姦する!」んじゃない、えーと欠点があるんです。それに包む作業が楽しく「ったって〜悲しくったって〜コートの中では♪」「お蝶夫人!」は食べた気になれません。しかしこれも「犬が日本語を話す」のと同じで食べ「熟れれば浣腸する」筈です。そしてその「コカイン」には、このような「ザッパ」ではなく、手間の「蛙」食べ物には見向きも「シナントロプス・ペキネンシス」以上、何か「失禁」は。では次に文革人類が臭い適齢期日本の夜明けはみどりさ〜ん………………なにか?。
中庭の洗い場で洗濯しながら大阪の大学生二人と話しているうちに、ピクッと触手が反応した。彼らはゴルムドからラサまで闇バスを使ったと言うのだ。俺は知らなかったが、この闇バスはバックパッカーの間ではかなり有名らしい。タダでもいいと誘うドライバーもいたらしいが、それには乗り損ない、結局130元のバスで来た。それでも合法的にCITSを通せば五、六百元というから、全くゴキゲンな話だ。当然リスクもあり、特にラサ手前のチェックポストは、闇バスでも座席の下などに身を隠すしか手がなく、たまに見つかる旅行者がいるらしい。すると、たとえそれが一人だけであっても、ラサ目前にしてバスごとUターンさせられる。つまり、周りの無実なチベタンも人民も道連れにして、再び一晩かけてゴルムドまで戻る羽目になる。だから乗客のみんなが一致団結して匿ってくれるらしいのだが、もしもの場合を想像すると、ぞっとする。
背の高い日本人女性が洗濯物を持って降りてきた。彼女もゴルムドから闇バスを使い、更に安く110元で来た。しかし、とてもそんな馬力の有りそうなタイプには見えない、もの静かな人だ。
ところで、学生の一人もラサに着いて鼻血を出し、なかなか止まらなくて焦ったらしい。
「高山病で鼻血が出るやなんて、そんなんどこにも書いてませんよ」
おまけに、彼にとって生まれて初めての鼻血だったと言う。
「ほな赤飯でお祝いせんとあかんな」
その後、美希ちゃんから借りたチベットの旅行記を所々拾い読みして、著者の行動力に感心する。さすればオイラはどーかっていうと、それ以前に己の三年寝太郎を退治するほうが先決だ。そんな訳で向かいの民家で寝そべっているワン公に声をかける。
「おーい、黍団子はいらんかね」
「・・・・」
仕方がない、寝太郎退治はお預けだと、ものぐさ太郎が呟いた。
ふと思い立って笛を取り出す。二千メートル台の麗江で息が続かなかったことを思い出し、用心して短く単音を出していたが、そのうち短い童謡なんかをやり始めた。
何とかなりそうなので平沢進の「魂のふる里」を試してみる。間違える度にムキになってやり直したが、さすがに音を長く延ばすのは大変だ。でも気をよくした俺は、調子に乗って嘉納昌吉の「花」を思い入れたっぷりに吹いた。
気持ち良くなってきた。目の前がすーっと霞んで、重力から解放されて………ズシッ。気がつくと、左に倒れる上体を左腕が突支い棒のように支えていた。酸欠で気を失ってしまう一歩手前で体の反射運動に助けられたようだけど、チベットでの隠れた遊びみっけッて感じ。でも、ちょっと危険すぎるかな。それに笛ふいて気絶は間抜けすぎる。
薫くんのダムへのツアー・メンバー募集の貼り紙を見て、高瀬という若者が訪ねて来た。しかし鳥葬のことを耳にすると彼は予定を変え、ぜひ鳥葬ツアーに参加させて欲しいと言いだした。そこへタイミング良く小川くんが現れ、そしてみんなも戻り、どうぞどうぞ一緒に行きませう、ということで、鳥葬ツアーのメンバーが五人揃った。ビザの関係で薫くんが参加できないのは残念だけど、仕方ない。

9月3日

鳥葬ツアーが決定した。あさって出発の三泊四日、一人560元。全ての交渉事を小川くんと美希ちゃんに任せっ切りにしてしまい、申し訳ない。トゥジュチェ。
明日シガツェへ発つ薫くんは、ポタラ方面へ観光その他で美希ちゃんと外出し、中祢くんも何処かへ出掛けた。一方、全ての洗濯物を片付けた俺は、三階までの登りに疲れ果て、またしても十年寝太郎に変身する。いくら高度に慣れたとはいえ、三階と中庭との登り降りは面倒であることに変わりなく、特に便所の後で手を洗いに中庭まで降りねばならない面倒だけは、何とかして欲しい。ついでながら、空気がこんなに乾燥しているのに、あの便所はどうしてあんなに臭いんだ。非常識だぞ。
部屋の窓からは、右手にアパートらしき住宅が、左手に倉庫のような建物が見え、どちらも三階建で、各階が渡り廊下で繋がっている。眺めの正面に位置しているのは三階の渡り廊下で、いつも凸凹の洗面器が一つだけ転がり、大抵「白い」雄犬のシロが寝ている。もっとも、白いといっても本来の色を想像しただけで、実際は汚れるに任せた淡い土色である。
アパートの住人はシロと人間だけでなく、二階を数匹の茶色い犬たちが、三階をシロを含めた六匹程の雑多な犬たちが、それぞれ縄張りにして暮らしている。時々階段を挟んで二階の犬と三階の犬とが猛烈に吠え合い、また二階の犬は階段の上から下に向かって吠えはするが降りようとはしない。階段が縄張りの境界になっているのだ。
シロが居るのでチッチッと呼んでみる。また無視しやがる。カメラを向けてフラッシュをたく。眠いのか今一つの反応で面白くない。紙くずを投げつける。届かない。軽過ぎるのか? 中途半端に余っているパンをボーロ状にして投げる。命中どころか掠りもしない。
白と茶の雌の成犬ブチが、ゆっくりやって来る。ムキになってシロを狙ったパンがブチの体に命中する。ビクっとしてブチは不思議そうに辺りを見回す。急いで作った次の玉もブチに当たり、上手い具合に彼女の近くに転がった。鼻で捜し当てたブチは匂いの最終確認をしてから一口で食べる。彼女の食欲に火がついた。
シロは何だろうと鼻だけひくつかせている。
今度はブチの口先狙い。しかし、彼女の少し前を転がりながら廊下を横切り落っこちた。慌てて後を追いかけたブチは、未練がましく地上を見下ろす。
シロは鼻の辺りに好奇心を示しながら、でも、寝そべっている。
何度か投げているうちに手前の囲い跡に当たる。その音がした辺りを探っていて何げなく顔を上げたブチは、やっと俺に気付いたようだ。
シロは相変わらずだ。
ブチはこちらを気にしつつもパン探しに忙しい。そこで、わざと大きな動作で投げてみる。するとこちらを向いたブチの顔の、それも門歯に命中した。吃驚して動きを止め、ブチは先程から飛来する「美味しいもの」の出処へ炯眼を注ぐ。
シロはやっぱり寝そべっている。それからも暫くパンを投げ与えたが、勿論ブチしか居ないも同然で、シロはゴロリと横になってしまった。
シロが眠っている。ブチは寝そべりながら全ての感覚器官をこちらへ向けている。
茶色い雄犬チャーがやって来た。すぐさまブチの尻へ鼻を近づけたが、彼女に唸られ渋々引き下がる。鬱憤払しにチャーはシロに絡み付き、二匹して縄張り中を駆けずり始める。
長いドレットをゆっさゆっさと雌犬のモップが現れ、ブチの近くにどさっと寝そべった。
気がつくとチャーにそっくりな白犬が、チャーやシロと一緒に遊び回っている。
茶色い雄犬のオヤジがのっそり登場し、おもむろにブチの後ろへ回り込んで発情具合を確かめる。ブチは耳を後ろへ伏せて顔を強ばらせ、後ろを少し振り返る。ブチは緊張している。納得したオヤジは神妙な顔を上る。そしてモップの方にも取り敢えず鼻を向けたが直ぐ顔を上げ、少し離れて面倒臭そうに座り込んだ。

9月4日

高瀬くんが鳥葬ツアーに参加できなくなった。よく解らないが、何だかんだで明日シガツェへ行くことにしたそうだ。でも彼の穴はすぐに塞がった。ドミトリーの日本人を誘ってみたら、即OKしてくれた。ゴルムドから110元の闇バスで来たあの人で、名前は陽子さん。多分関西の人だろう。
あまり動いていない気がするけど、考えてみれば今日はパルコルを一周したのだ。やはりあそこを回らないとラサへ来た気がしない。
それから新華書店へも何となく行ってみた。すると瓦礫の山になっていたので吃驚した。数日前に地図を買ったばかりなのに、何だか信じられない気分で佇んでしまった。

OH、LAMA!

9月5日

最初は日本人の支援する「地球の声」が圧倒的攻撃力で優勢を保っていた。しかし、ドライバーのチベット中国歌謡曲連合は、ゲリラ作戦“いきなり止める”の奇襲攻撃で息を吹き返し、地の利を生かした持久戦に持ち込むことに成功した。その為に「地球の声」はじりじりと劣勢へ追い詰められ、ラサ大橋を渡る頃、遂に完全撤退を余儀なくされた。以後、チベット民族楽と中国歌謡曲の内戦状態に突入する。
キ・チュ南岸の戦いに於いて、日本の停戦工作はことごとく不発に終わった。が、やがて始まった砂利道群発地震とジャンピング直下型大地震の頻発で内戦どころではなくなり、ようやくカセットテープ大戦ハ終結ス。
ガガガガガ。突然大きな音がした。ただちに車を止めてドライバーは後ろへ回り込む。戻ってきた彼にとると、振動で留め金具が外れ、その為に落っこちた予備タイヤを引きずっていたそうだ。
暫くして再びドライバーが車を止める。今度は前へ回ってボンネットを開き、赤いバケツに川の水を汲んで来てラジエーターに注水した。
ガンデン参道との分岐手前でまた停車。再びラジエーターに補水する。そのままエンジン調整を三十分、そして出発。すぐ右折して1キロほど谷を詰めて行くと、九十九折りの坂道が始まった。
やがて角張った建物の一群が見え隠れし始め、ほどなく最後のカーブを回って残り五百メートルを登りきる。ガンデンだ。車を停めてエンジンをきる。と、ボンネットの透き間から白煙が。オーバーヒート。とりあえずはランクル、されど中国製、こんなもんだ。
南北二つの頂を繋ぐ尾根の東斜面上部に四角い建物が展開し、ガンデンはまるで要塞のような観がある。文革の傷跡は今なお数多く残っているが、建物の再建も進んでいる。
建物の基本形は上へ行くほど直線的にやや窄まる直方体で、色的には白い石壁の上端に赤茶の帯があり、窓が黒く縁取られているのが特徴的だ。正面で一際大きく目立っているのは本殿だろうか、他と違って壁全面が赤茶色で、真下には白いストゥーパが建っている。

*コルラに向かうと、巡礼路の入り口で子供たちが草を売っていた。護摩を焚く草のようだ。子供たちに根負けし、その代わり袋へぎゅうぎゅう詰めにさせて1元で買う。
廃墟を右に見ながら巡礼路を行き、途中で路筋を外れて草の斜面を登り、稜線に出る。反対側は急な崖で、谷が一望でき、左下の出っ張りに破壊された砦の跡が見えた。
大量のタルチョの脇をすり抜けるようにして、稜線の切り通しを越える。 西側は大体において草地の急斜面で、ぽつりぽつりと背の低い小さな花が所々にまとまって咲いている。薄紅色の小さな花が球状に寄り集まった頭状花。水色のリンドウ。スミレの仲間。一生懸命咲く可憐な姿を、最初は健気と見守る思いで眺めていたが、そのうちそれが裏返る。ふと垣間見えた狡猾な強かさに、逆に励まされているような気になった。
路の所々に石を積んだだけの護摩を焚くところがあり、折角なので買った草を燃そうとしたが、生乾きなので火が点かなかった。また護摩焚き場の一つは祠状になっていて、中にマントラや仏の小さな素焼きのレリーフと仏塔が堆積していた。半数は白く塗られていたが、一つだけ造りの凝った仏のレリーフがあった。小さいながらも結んだ印がはっきり判り、白以外の色も使われていた。
そのうち道を見失い、みんなと別れて一人で歩く。踏跡も見当たらず、とにかく進む。そして気がつくとガンデンの裏手だった。 昼時なのか、それらしい荷物を持ったラマが何人も行き交い、どことなく活気がある。頭上や背後からハローと声が掛かり、振り返ると若いラマが笑っている。気分よく歩いていると、二人のちびラマがゆっくり坂を上って来る。タシテレ。挨拶を交わすと、水の入った大きな容器を背負ったまま、二人はゆっくり上って行った。
本殿入り口の前に出る。巡礼者の姿が見当たらず、外からだと中は真っ暗だが、三々五々ラマが忙しそうに出入りして、プージャの低音が漏れてくる。躊躇いがちに敷居を跨いでみると、約三メートル先に壁、否、高い天井を見上げると巨大な衝立だ。その衝立を迂回しようと右に歩を進め、途切れたところで立ち竦んだ。
大勢のラマが唱経する肉声と光───地の底から沸き立つような重々しい低音、突然斬り込むベルの音、赤茶色の法衣、紅柱に赤い垂れ幕、明り取りの光で眩く黄色い吹き流しみたいなもの。それらの奥で、黄色い灯や赤い照り返しに姿を現した仏たちが鎭座している。二人の小坊主がツァンパとバター茶を世話して巡わり、ラマは食事しながらプージャを続ける。音と光が混ざりあい、空間に渦巻いて、全てを分厚く包み込んでいる。
さてと、どうしたものか。壁際でマニ車片手に巡礼者たちが経を唱えているので、とりあえず側に行ってみると若い白人女性がいる。軽く会釈して彼女の隣りに腰を下ろそうとすると、一人の若いラマが手招きして隣の空いた座布団をとんとんと叩く。彼女と少し目を合わせたが、どうも俺のようだ。「仕方ないなー」と嘯いたが、残念だなーとも思った。
彼はただニコニコしていた。腕時計を興味深げに見たり、ダライ・ラマの写真を持っているか訊ねたりもしてきたが、ねだりはしなかった。 試しにチベット語で名前を訊いてみる。
「ケラン・ミン・カレ・レイ?」
「イシン」
「イシ?」と念を押すと彼はうんうんと頷き、英語で訊き返してきた。
「ホワッチュアネーム」
「ンガ・ミン・○○○・イン」
「ニマ?」
「ノーノー、○、○、○、イン」
いくら言ってもイシには「ニマ」としか聞こえないらしい。
しかし彼の言葉が解ったのはこれくらいで、後はいつもの身振り手振り。そのうち会話が途切れがちになると、イシは懐から直径一センチ程の丸いバッチを意味ありげに取り出した。ダライ・ラマかと覗き込むと、白地に黄緑色で“FREE TIBET”と印刷してあった。
本殿を退出して道なりに進んで行くと、薫くんが向こうからやって来た。彼は予定を変えてラサでツアーを探すことにしたので、浮いた分の時間で一緒にガンデンまで来ていたのだった。コルラはしなかったが一通り見てしまったので、彼はみんなの戻るのを待っていた。しかし、誰も戻らないうちにラサへ向かう巡礼バスは行ってしまった。
散策から戻ると、他の四人がラマたちと揉めていた。もし寺を見学するなら10元のチケットを買えと、ラマは言っているらしいが、偽チケットを売りつける坊主の噂を耳にしていた小川くんは、頑として取り合わない。既に寺を見終わった中祢くんと俺は、噂のトゥクパを食いに行くことにし、後の三人はラマを無視して寺へ向かった。
暇そうな厨房のラマに「トゥクパ、ニ」と注文し、庭のテーブルで待つ。すると寺を見に行った筈の三人が入ってきた。何だか怒っている。訊くと、先程のラマたちが建物に近づけまいと腕を広げて邪魔をし、かといって金を払うのはもっと癪だし不愉快なだけなので、諦めて引き返したと、小川くんは顔を紅潮させた。
随分待たされ、ようやくトゥクパが運ばれてくる。なぜか犬たちも集まって来た。周りだけでなくテーブルや椅子の下へも潜り込み、股の間から顔を出す犬もいる。そのうえ威嚇し合ってウーウー足許で唸るから落ち着いて食べることもできない。おまけにトゥクパが噂通り不味い。とことん不味く、絶望的に不味く、芸術的に不味い。それでも食べ残しを貪り食う犬どもを眺めながら、果てしなき不味さの意味を考え込む。 強引に食事をしたと思い込み、一息入れて車のところへ戻ると、又、ラマ「10元払え」軍団が待ち構えていた。今度は中祢くんと俺にまで迫り、ここに来た以上は例え寺を見なくてもとにかく払えと終に本音を吐き、何時までも車の後ろで屯して出発の邪魔をする。離れたところでボス格の中年ラマがこちらの苛々を嘲笑って見ている。ドライバーに無視して車を出すよう言っても、ラマがいるから動かせないと困惑顔だ。
気がつくと数人の若いラマが車の中を覗いていた。中祢くんが追い払おうとすると、突然彼らは走りだし、中祢くんが慌てて追いかけた。
「どうしたん」
「あいつら車のキー盗りやがった!」
鍵を受け取ったボスはそれを懐へ入れ、取り戻そうとする中祢くんを取り巻きのラマが邪魔だてする。ボスの薄笑いで弾け跳んだ感情が、ど怒怒怒怒怒怒怒怒と制御棒を吹っ飛ばし、俺はラマに日本語で怒鳴り散らした。それでもチベタンの目の前でラマを殴ってはいけないという意識に、感情はあらぬ方向へ吹き出した。
「車を早く出せ」車の後部座席にドカッと座り込み、俺はドライバーに怒鳴った。嗚呼、始まった。こうなると自分でも手が付けられない。「だったら早くキーを取って来い」無理難題怒鳴り散らして本気で籠城を決め込む日本人に、ドライバーは困り果てる。「あんな守銭奴の糞坊主に功徳なんかあるか」
結局、小川くんがみんなの分をまとめて払い、ラマたちに屈した形になった。チケットにサインをもらってラマの写真を撮ったらしいが、ラサのホテルに要注意人物として貼り出すそうだ。
五家争鳴のランクルは再び川蔵公路を進み、墨竹工(メトコンカル)の先で左折して、引き続きキ・チュの谷をどんどん溯る。そして今夜の宿となるディクンティのゴンパに到着した。
ゴンパの簡易宿舎は良い意味で予想を外してくれた。また問題の鳥葬は明朝ちゃんと行われるそうで、何はともあれ一安心だ。
夕食後、陽子ちゃんより月餅の差し入れ。うまい! 物凄く旨い。なんて複雑な味なのだ。中国もやれば出来るじゃないかと、みんなで騒いでいたら、実は鑑仁号の中で日本人から貰ったもので、出処は京都の菓子屋さん。日本の菓子は、とっても芸術品だ。

9月6日

七時三十分起床。窓から見下ろすと、トラックの荷台から白い包みを男たちが担ぎ出そうとしている。遺体だろうか。もう始まるからとドライバーから急き立てられ、急いで部屋を出る。
小雨の降るゴンパの下を通り抜け、少し先の二股を見落として左へ進むべきところを右へ直進する。山の頂上を目指して僧坊の中へ迷い込み、多すぎる別れ道に行くべき道を見失う。仕方なく僧坊の一つで道を訊ねると、頂上ではなく、もっと西だと言う。気を取り直して西に踏跡を辿る。雨脚が強まってきた。
何げなく斜面を見上げると、一匹の犬が稜線からこちらを見下ろしている。マサさんの話を思い出す、───シガツェで一人鳥葬を見た帰りに野犬の群れに追いかけられ……。でも、こちらは五人、相手は一匹。ガサゴソ耳許でなる音がどうにも我慢できず、カッパのフードを外す。近くに、犬が三匹いた。
そぼ降る雨の中、草の斜面に一筋の踏み跡を辿りゆく。犬たちも同じ方向へ歩いている。
低くなってきた稜線の上に出る。視界が広がり、何故かほっとする。
稜線の南側はなだらかな草の斜面で、至るところで巨大な禿鷲が地蔵のように蹲っている。斜面の下の方には結界を張ったゴンパらしきものがあり、結界の中に丸い舞台のようなものが見えている。人影はないが、鳥葬場だろうか。
稜線上を降りて行くと、下から延びてきた結界が、祠やラプツェに絡み付いている。
「ちょっと様子見てくる」
斜面を降りて行った小川くんは、程なく途中まで戻って来て「やっぱりここだ」と言った。それを聞いて残りの四人も結界の中へ入り、ぞろぞろと斜面を降りて行く。
既に石舞台の隅には屍体とおぼしき包みが二体あり、微かな異臭が鼻をつく。一方の白い包みには見覚えがあり、布の隙間から人の頭髪が覗いている。もう一方は赤茶色の布でくるんである。それにしても、結界の中には何故か禿鷲が一羽もいない。
鳥葬場の北側の西半分は高さ三メートル弱のちょっとした崖で、上に小さな祠が建っている。その崖から突き出るようにして平屋の小屋が広場の西側に建ち、二帖程の狭い三部屋の内、二部屋には仏画が描かれダライ・ラマの写真等が祭ってある。小屋の南側には筒型の護摩を焚くところがあり、ごみの焼却にも使われている。
小屋の後ろから南、東、北へと場の周囲に四角く結界が張られ、南側、つまり谷側には出入り口が設けてある。また東側の結界がそのまま稜線まで延びているのは既記の通り。
場の中心には直径六メートル程の丸い舞台がある。高さは膝上ぐらいで、周囲を大きめの石で組み、その内側に小さめの石が敷き詰められている。出入り口側の縁にはツァンパが捏ねて盛り上げられ、その西隣にやや離れて、上の面が平らになった切り株が置かれている。屍体の包みは、北端の一つだけ上へ突き出た石に立て掛けてある。 とりあえず到着したが、また雨が強くなってきた。男たちは雨垂れに濡れそぼり、始まる気配は全くない。体が急速に冷えてゆく。しかし、日の出までにはまだ時間がある。 そのうちやって来たラマが右端の部屋に入り、祈祷を始めた。
犬が一匹、ツァンパを狙っている。誰も気がついていない。忍び寄る犬の口がツァンパに届く。一口。二口。三口目で気づかれ、追い払われた。
烏がツァンパを啄む。誰も何もしない。烏はツァンパを殆ど食ってしまい、犬がそれを物凄い目で見ている。
やがて部屋から出て来たラマは、中央の部屋へ入って再び祈祷を始める。男たちが祈祷の済んだ部屋へ手招いてくれるので有り難く入る。狭い中に八人も入ると少しは暖かい。 少しすると男たちは外へ出てしまい、そろそろ動きが見えてくる。
始まりそうな気配に部屋を出る。寒い。こんなことなら化繊のアンダーウエアを着てくれば良かった。しかし雨は小降りになっている。雲も少し上がり始めているようだ。それにしても、彼らが飲んでいるバター茶を一杯分けてくれないものか。吐く息が白い。
九時頃、職業解体人といった体の男と、革の前掛けをしたラマが、やおら石舞台に上がり屍体の包みに向かう。二人とも木製の柄の鉤と刃渡り四十センチはある鉈を持っている。ラマは軍手をしているが、もう一方の男は素手だ。
まず素手の男が無造作に白い包みに鉤を引っかけ中央に引きずり出す。そして二人は慣れた手つきで鉤と鉈を操り、縛ってある縄を切り、布を手荒く剥ぎ取ってゆく。たちまちむわっと死臭が強まる。屍体は男性老人で、肌は妙に黒ずみ、裸で両膝を抱える格好で包まれている。しかしこの死臭、タイの島で見た犬の水死体と同じ臭いだ。
バサ。バサ。バサ。頭上の羽音に目を向けると、畳のような翼を広げて禿鷲が滑空して行く。いつの間に来ていたのか、物凄い数の禿鷲が結界の周りへ寄り集まり、男たち、そしていつの間にか姿を現した女子供が、それ以上中へ入って来ないよう棒を持って防いでいる。少年の体は禿鷲より小さいが、それでも立派に役目をこなしている。
最初の屍体の四肢を伸ばすと、もう一体の方にラマが一人で取り掛かる。そちらは小太りのラマらしく、黄色い服が着せてある。
素手の男は、屍体をうつ伏せにすると、うなじから左右の踵へ一筋ずつ切れ目を入れる。そして尻から背中にかけて横方向の切れ目を約十五センチ幅で入れてゆく。血は全く出ない。
次いで足の先へ向き直り、足の裏の肉をそぎ落とす。そいだ肉片はそのまま無造作に放っておく。次は脹ら脛の肉を切り取る。切れない皮は引き千切る。赤黒く汚れた骨が見え、切り口は赤い。上腿の裏側も肉を切り取る。両脚を終えると、臀部、背中、腕の裏へと移る。そしてうなじの肉を皮ごとそぎ、そのまま後頭部から額の辺りまで皮を繋がったまま剥ぎ取る。耳も切り落とす。
ラマのほうも同じ手順で進んでいる。
素手の男は屍体を鉤でひっくり返す。黒い顔がこちらを見る。額から上が白く生々しい。背中と同様、胸から膝へ二筋の切れ目と横方向の切れ目を素早く入れる。まず胸の肉を切り取り、そのまま腹部へ移ってゆく。内蔵は手で掴み出す。黄色いのは脂肪だろうか。腸を適当な長さに切る。
ラマのほうも背中の方が終わり、胸から腹へと進んでいる。
腕の肉をそぎ取り、くっついた皮を指先まで引き剥がす。
一匹の禿鷲が隙を見て飛び出した。それを合図に他の禿鷲どもが一斉に雪崩込む。もう止められない。解体人は作業を止めて引き下がる。瞬く間に石舞台が禿鷲で埋まる。灰色の巨体が押し合い圧し合い重なり合い突つき合い噛み合い奪い合い唸り合い蠢く。羽根を纏った恐竜の末裔たちが嘴も頭も赤くしてチベット人を食らう。羅刹どもの上に白い湯気が立ちのぼる。臭い。それまでとは異なる、より厭らしい臭いだ。とことん腐らせた肥溜めを煮こんだ臭気とでも言うべきか。言語道断な臭い。目に染みる刺激臭ではないが、鼻の粘膜にひたすら絡み付いて離れない臭いだ。「屍体」が見える。指の関節に残っている肉を禿鷲が引き千切ろうとする。肋骨が見えている。肩と腕の骨が脊椎から離れ、骨格が二つの塊に分かれている。禿鷲が眼孔に嘴を突っ込み頭蓋を啄む。
相変わらず修羅場だが、気がつくと数匹の禿鷲が石舞台の端で満足げに一息ついている。
解体人が再び石舞台に上がり、両手を挙げて禿鷲たちを追い払う。そして他の男や女子供が結界の外まで追いやる。石舞台の上には人間二人分の骨格が残り、解体人はそれを南端まで引きずってゆく。頭蓋骨がカタカタと鳴る。
いつの間にか用意してあるツァンパの入った袋を挟んで一旦舞台から降りると、二人は振り返って舞台の縁石にツァンパをひく。
素手の男が骨格を引き寄せ、大きな石鎚と小さな斧とで適当な大きさに叩き割る。
叩き割られた骨を、新しい軍手にはめ替えたラマが自分の所へ運び、ツァンパを大量にかけると、ひと回り小さい石鎚で叩き叩き、叩く。叩き続けているうちに骨とツァンパは淡紅色をしたつくねになる。それでもラマは執拗に叩く。
素手の男が頭蓋骨を引き寄せる。石鎚の一撃で叩き割ると、割れ目をこじ開けて手を突っみ、脳髄をかぎ出す。微かに黄みがかった白いぷよぷよした物を、男は舞台の中央へ無造作に放りなげる。視線と一緒に放物線を描いて石の上にぺたり、とだらしなく落ちた。
ぶーん。一匹の虻が体を掠めた。我に返ると、寒さで体がブルブル震え、脚が棒のようになっている。いつの間にか雨は止み、谷向かいの山肌には少し上昇した雲が薄い雪化粧を残している。東の雲は明るいが、太陽は容易に姿を現さない。
汗だくの解体人に白い湯気が立ち、荒れた息遣いがこちらにまで届いて来る。素手の男は大まかに割り終えると、そのまま大きな石鎚で豪快につくねを作り始める。
ラマはつくね作りに気が済むと、それを隣の切り株に載せ、今度は小さな斧で叩き始める。念入りに叩き続け、飽きる程叩き続け、理解出来ないくらい叩き続け、ぼろぼろに解すと、舞台へ無造作に撒く。そして再び骨のつくねを作り始める。
世話役のチベタンがツァンパの補給をし、頃合いを見て二人にチャンを勧める。
素手の男が堪らなくなって帽子を脱ぐ。頭から汗の狼煙が上がる。
舞台に撒かれた骨のミンチを犬が狙う。しかし少年に目敏く阻まれ、結界の外へと追いやられる。烏もびくびくしながら食べに来る。こちらは何の咎めもなく、しかし犬が物凄い目で睨む。禿鷲たちは斜面に散開している。それにしても、いつまで続くのだろう。いい加減寒くて堪らない。
唐突に眩しい光、でも暖かい光が雲の切れ間から差す。有り難い。体の震えが止まり、やっと生きた心地がする。太陽は再び薄雲の向こうにすぐ隠れたが、気温が段々上昇してゆき楽になる。二人は相変わらず取り憑かれたように石鎚を振っているが、そろそろ残りの骨も少なく、やがてそれらもつくねになりつつある。
気がつくと、いつの間にか禿鷲たちが再び囲いの下に集まっている。ただ、前に比べてやや数が減り、殺気立った気配が随分薄れている。満腹したのか、斜面の所々にも禿鷲の姿がある。
またもや隙を見て一羽が突入し、それに釣られて他の禿鷲たちも一斉に突進する。さすがに執念深い二人も作業を中断し、作りかけも含めて全てのミンチを舞台へ投げ込む。
今度こそはと犬が躙り寄る。しかし、またしても少年から大きな石をぶつけられ、仕方なく離れて座り込む。それでも少年は許してくれず、結界の外へと追いやられた。
最初に比べると迫力は半減し、早くも戦列から離れてつっ立っている禿鷲がいる。結界の外では犬に追いかけられて折角のミンチを落としてしまい、犬に横取りされる禿鷲がいる。烏も隙を見ては掠め取る。
やがて禿鷲が全て去ると、舞台の上には未練一杯の犬を除いて何も残っていなかった。
少し溜め息を吐き、体を解すように関節を動かした。解体人の二人はこちらへ来て前掛けや軍手などを外し、石鹸で手に付いた肉片や血を洗い落とす。素手の男が上着を脱ぐと、中から黄色い法衣が現れた。彼もラマだった。
世話役が道具を洗い、ラマの脱いだものをまとめてくるむ。そしてケンパや中国製ビスケットなどの詰め合わせやチャンを、ラマだけでなく見学の我々にも振る舞う。チャンは少し発泡していて、今までで最高に旨かった。
頃合いを見計らって出入り口から退出する。その時、新たな遺体が搬入されて来た。先頭の男は、何か宗教的な意匠の紙を付けた棒を掲げ、その男に続いて遺体の包みを固定した筏を六、七人の男が担いでいる。振り返って見ていると、石舞台を右回りに一周半して最奥の端に遺体を置いた。それを見て、鳥葬はチベットの葬式なんだとやっと認識できた。俺たちはやはり不謹慎なのだろうか。
少し休んでから行くと言う美希ちゃんと小川くんの二人を残して先に戻る。カップラーメンで遅い朝食を摂り、ゴンパを見学した。
十二時半、ゴンパを発つ。
来た道を戻り、途中で右側の谷へ入る。放牧のヤクがのんびりしている静かな川沿いの草地を過ぎると、急な上り坂に差しかかる。ジグザグに高度を一気に稼ぎ、そのまま谷の中腹を進んで行くと、そのうち前方に谷を渡した長いタルチョが見えてくる。その下に大きな衝立のような岩があり、その向こう側がティドゥンだ。
ホテルの前へ来ると、風呂上がりのおばちゃんが、素肌の上に分厚い外套を一枚羽織っただけで階段を上ってきた。そこからは女風呂の脱衣場が丸見えで、却って目のやり場に困るが、幸いその時は老婆の裸体しかなく、気にせずに済んだ。ちなみに先程のおばちゃんは、そちらの階段からではなく、もう一方、つまり男風呂から上がってきた。
とにかく部屋に荷物を置き、さっそく風呂に向かう。
脱衣場のような空間の奥に、畳一帖程の湯の路がある。右側の壁は女湯との仕切りで、底から湯面の上約十センチまでの大きな四角い穴があり、そこで下流の女湯とつながっている。そして左側が男湯の湯船だ。
湯船は直径五、六メートル、高さ約四メートルの円筒形の壁に囲まれ、湯床の至るところから温泉が湧き出し、熱すぎず温すぎず、絶妙な湯加減だ。真ん中に丸い大きな石があり、壁の中程には小さな祭壇があった。
肺の奥深くから息を吐きつつ全身の力を抜き、湯の中にズブズブと潜る。たちまち苦しくなり、慌てて顔を出して石の上に座った。息を整え落ち着いてくると、何となく腰掛けている石が単なる腰掛けでないような気がする。何か罰当たりな事をしているのでは。取り敢えずコルラのつもりで一周してから端の方へ行き、改めて寛ぐ。見上げると、ぽっかり空いた丸い碧空に、白い雲が浮かんでる。

貘 IN LHASA

9月8日

スノーランド・ホテルに着いて部屋に入ると、奥の窓際のベットに見覚えのある日本人が座っていた。彼の隣の空きベットに荷物を置いて話しかけてみたが、どうしても誰だか思い出せない。記憶の混迷に呻いていると、彼がヒントを与えるように言った。「セイシュクカイ、…星の宿る海」……あっ、あの時の。大理で焚火祭を見た帰りにミニバスの中で星だらけの草原の話をしてくれた、吉野さんだ。
昔々のその昔の、そのまた飽きるほど昔のずーっと昔、或るところに物凄く広い平原があっての、そこは富士山のてっぺんよりも高い高い高地でな、すーごく遠くに小さく小さく山並みが見えておっただけで、なーんも無いところだったそうじゃ。そこでは夜になるとまっ黒い空を仰山の星っこが埋め尽くしての、そのせいで居場所がのおなったお月さんが随分難儀したということじゃ。
ある晩のこと、相変わらず数えきれんくらいの星っこに、「なんとかならんものか」と夜空はいつもの溜め息を吐いておった。すると突然、大きな声が響いてきおった。
「どうした、何をそんなに憂いでおるのだ」
吃驚した夜空は声の主を探したが、星っこが邪魔してよう判らん。
「何をきょろきょろしておる。ここだここだ」
よう見ると、大きい黒山のようなヤクが下から見上げておった。
「なんだ、ヤクか」
「なんだとは何だ」
「なんか用か」
「なんか用かだと、なんだその態度は。この俺さまが案じてやっておるというのに、捨て置けぬぞその態度」
「へえへえ悪うございました」
この時、星っこが一つ落っこちて、ヤクの頭にポカリと当たった。
「むむむむむ、返すがえす腹の立つ。そこに居直れ」
「はいはい、逃げも隠れも致しませんよ」
また星っこが一つ落っこちて、ポカリ。
「うぬぬ、うぬ、うぬ、うぬぬぬぬぬぬおー」
短気なヤクは遂に怒り狂って怒髪天を、いや怒角天を突き、何度も何度も夜空に飛び掛かった。
「いたっ、何しやがる、あっ、止めろ、いたっ、星が落ちる、止めんか、いたっ、いい加減にいたたっ、止めいたっ、こらっいたっ、いたたっ、いたい」
ヤクが角で突けば突く程に、星っこがどんどん落ちてゆく。するとどうじゃ、そのうち夜空は変な気分になってきて、ついに大声を張り上げおった。
「ああ、ひー、あひー、あれえ、ああ、何これ、あっ、そこ、いい、気持ちひー、だめ、もうだめ、あっ、そこ、もっと、突いて、突いて、強く、だめ、休まないで、もっと、強く、うあ、うお、おー、おおおおおおおおおおおおおおお…」
そして朝じゃ。 お日さまが顔を覗かせると、もうヤクの姿は何処にもおらんで、その代わりヤクの大きな蹄の跡と数え切れんほどの星っこが、辺り一面に散らばっておったそうな。なんでも、お月さんの話では、ヤクは角が夜空に突き刺さったまま抜けなくなっての、そのまま星座になってしもうたらしい。
それから幾日か経ったある日のこと、いつものようにお日さまが空を駆け登っていると、全部の蹄の跡から突然水が湧き出しおってな、それがそのまま沢山の泉になってしもおたということじゃ。それで夜になるとな、泉の中に吹き溜まった星っこが輝いての、それはそれは素晴らしくきれいな眺めじゃて、お月さん内緒話のように小声でおっしゃったわい。それが「星の宿る海」の始まりじゃ。それで、これは余談じゃがの、大昔にその水を飲んだ猿がホモ・サピエンスになって、それがヒトの始まりじゃとも言われとる。
さて、吉野さんは今回もバスとトラックを乗り継いでラサまでやって来た。ちなみに前回の1月では、ラサに着いた当日スノーランドの中庭で洗濯中に気を失い、意識が戻った時にはベッドの上で点滴を受けながら寝ていたそうだ。高山病だったらしいが、一カ月もかけてラサ入りしたのにと彼は首を捻る。おまけにそこは北京の病院だった。だから今回、やっと胸を張ってチベットへ行ったと言えるようになり、彼は喜んでいる。
もう一つの窓際のベットにも日本人がいる。彼は*雲南省からバスとトラックを乗り継いで昌都(チャムド)に着き、そこで吉野さんと出逢って一緒にラサ入りした。吉野さんとは腐れ縁で、以前にも何度かチベット周辺で出逢っているそうだ。台湾で二年ほど働いていたので北京語が話せ、何かと「大陸の旅行には便利だ」と言っているが、台湾の後も日本に帰らずそのまま旅行を続け、「最近」日本を出たのは五年前だとか。
廊下側の隣のベットにもチベット・フリークの重症患者がいた。名前は戸上さん。インドでチベット独立のデモ行進に参加して難民キャンプを巡り、その間に三回警察に捕まったという。今年のデリーの中国大使館での座り込みにも参加し、その時はマジュニカティラに泊まっていたと言うから、知らないうちにすれ違っていた可能性が高い。
それにしても小気味よい旅行をするものだ。カシュガルから入ってカイラスとマナサロワールを巡礼した戸上さんは、ラサに到着後、ブータン国境北辺とナムチャバルワをたて続けに狙った。結局どちらも軍や公安の厳しいチェックで未遂に終わったが、ブータン国境北辺もナムチャバルワも心密かに狙っていた者にとって、この失敗談はたいへん参考になると同時に物凄い衝撃だった。特にブータン国境をツォミで断念してもラサへ戻らずにそのままナムチャバルワを目指した軽快な行動力。これには嫉妬すら感じる。いつまでも軟弱に飛行機を使ったり、呑気にランクル・ツアーなんかやってる場合ではない。流れだのカルマだのと気取った揚げ句の単なる怠け者は、そろそろ返上して、ここらで一発、西チベット縦断でもしでかそうかな。
その後、一人の若い日本人男性が薫くんの伝言を持って部屋に遊びにきた。薫くんは無事ツアーを見つけてダムへ向かったそうだが、それはさておき、伝言の彼から「どうして旅をしているのですか。何の為に、その求めるところは何ですか」と訊かれた。思わず隣の吉野さんに「どうしてですか」とそっくりそのままバトンを渡したが、彼も「さあ、そんなこと考えたこともないけど」と歯切れが悪い。当然だ。好きな事に熱中しているのに理由も目的も何もない。常に行き先は“ここ”なんだから。
ところで、昼食後、ホテルに帰る道で変な臭いが不意に鼻をかすめた。その途端、鳥葬の、あの厭な臭いが蘇り、暫く鼻にこびりついて気分が悪くなった。これからもこんなことが起こるのだろうか。今こうして書いているだけでも、あの臭いが蘇ってくる。

9月9日

ツルプがクローズになったという噂だ。野犬が多くて危険だからというのが公式の理由らしいが、本当はデモを警戒してのことだとも囁かれている。戸上さんが情報の真偽を確かめにどこかへ出掛けたが、結局判らずじまいだった。行く気になっていたが、なんだか面倒臭くなってきた。
昨日の「伝言くん」の名前も小川だった。仕方ないから日記ではヒゲくんと呼ぶことにする。彼は鳥葬のことを耳にすると、さっそく明日にでも行くようなことを言っていた。
戸上さんの話だと、今年のカイラスは随分行き易くなった感じがする。阿里の公安官が旅游証を簡単に出し、罰金も50元で済ませてくれるそうだ。話の感じからして、現在の公安官は俺の知っている公安官とは違うのかもしれない。
ところで、戸上さんがインドで参加したデモには、さほど裕福そうにないチベタンまでもが物凄い大金を進んで寄附し、キャンプを訪れる度にかなりの寄附金が集まったそうだ。ところが、不思議なことに数日経つと必ず金庫の金が底を尽き、絶えず赤字で活動していたという。というのも、リーダーのラダック人ラマの弟がボンベイでホテルを経営していて、使途不明の大金は、どうやらその弟のところへ流れていたらしいのだ。これはボランティアたちが内密に調査した上での推測で、状況証拠は揃っていた。ただ確証を得るまでに、リーダーに不信感を募らせたボランティアたちが次々と去り、最後には誰もいなくなって有耶無耶のうちにデモそのものが消滅してしまった。地獄で糞ボウズ。ふとそんな言葉が思い浮かぶ。FREE TIBETをみんなで食い物にしていると戸上さんは言うが、このようなことは他にもあるに違いない。
カトマンドゥやポカラに氾濫するFREE TIBETにしても、商標の使用料など収益の一部が運動資金に還元される仕組みがあればいいが、特にTシャツなど、大半が売れ筋の定番人気にただ乗りしているだけの単なる商品としか思えない。戸上さんの言を借りれば、「民族のスローガン」が単なる「FREE TIBETというブランドに成り下がっている」のだ。タメルで目にするFREE TIBETが白々しく、時として空しく目に映るのは、その為だ。
しかし、だからといって土産物屋を糾弾するつもりはない。チベット問題の商品化を憂えるのは感傷が過ぎるというもの。チベット問題に悪影響を及ぼすわけではないし、独立運動の妨げにもならないはず。逆にスローガンの宣伝効果が評価されてもよいくらいだ。
何れによFREE TIBETは金のなる樹だ。これはチベタンにとっても例外ではない。FREE TIBETという錦の御旗を振りかざしておきながら、そこから甘い蜜を吸い取るだけのチベタンも、やはり存在するだろう。現に一部の金持ちチベタンに関する不快な噂も流れている。現実なんて所詮はこんなもんと、できることなら斜に構えていたい。だけどマジュニカティラを思い出すと、どうにもやり切れず、つまらない感傷でも開き直りたくなる。
しかし、戸上さんがツォミで泊めてもらった家の主は、こう語ったそうだ。___オレはチベットに独立して欲しいなんて思っちゃいない。漢族にもいっぱい朋友(ポンヨウ)がいるし、今まで上手にやってきた。寧ろこのままでいた方が平和でいい。独立なんてしなくていいんだ。

9月10日

急遽ヤムドゥク・ツアーに参加することになった。明日出発の日帰りツアーだ。メンツはダムから速攻で来た日本人女性(面倒なので以後Eちゃんとする)と会社の派遣留学でロンドン在住の男性(同様にHさん)、コジマくん、美希ちゃん、小川くん、中祢くん、俺、そして恐らくカメラ小僧も参加してミニバス、一人190元だ。
陽子ちゃんは明後日ネパールへ向けて発つ。ネパールに着いたら急ぎ北パキスタンを目指すらしいので、もう旅行中に逢うことはないだろう。居残りはどうしても寂しくなる。だから見送るより見送られる方がいい。でも侭ならないのがこの世の常、仕方ないね。

9月11日

自分としては早起きのつもりだった。でも目醒めた時には戸上さんの姿はもうなかった。駄目そうでも諦めない戸上さんは、初志貫徹ツルプへローカル・バスで行き、さっさと匙を投げた朝寝坊のぐうたら者は、ツアーでヤムドゥクへ向かう。
中庭で出発を待っていると、見送りがてらカメラ小僧が歯を磨きに降りてきた。既にヤムドゥクを訪れたことのある彼だが、コジマくんや特にEちゃんに説得というか殆ど命令されて参加する羽目になり、口の周りに泡をつけたまま愚痴をこぼす。そして彼の執念深い愚痴が収まる頃、ゴジラの尻尾のような尾根にポタラが隠れた。
車はアスファルトの道を軽快に飛ばす。ヤルツァンポに掛かる立派な吊り橋で南岸へ渡ると、一瞬光景がスローモーションになる。“Fuck’n Chinese.”それは橋の袂の建物の壁に太く黒々と書かれていた。
ダート道を行くと、やがてカンパ・ラへ続く谷口に着き、エンジン調整の小休止を挟んで谷の東側を進む。短い緩やかな道はすぐさま蛇腹の道になり、麦畑の合間を縫ってどんどん高度を稼いでゆく。麦の緑と黄色い菜の花が実に鮮やかだ。
いつしか川は遥か下を流れ、道は瓦礫の急斜面を進む。走っている車内からでは判りづらいが、紫色の小さな花が瓦礫の斜面にぽつりぽつりと咲き、ヤルツァンポを振り返れば、シァンポの北に峰々が峻立し、嶺雲の切れ間から雪化粧を覗かせている。二、三日前にカメラ小僧がツアーで通った時は、単なる黒い岩山だったらしい。
そのうちガスが風に流されて来て、しばしば視界を閉ざす。雪の心配をしていると、不意にガスの中から大小様々なラプツェとそれらに絡みつくタルチョが左手に現れ、そこを回り込めばカンパ・ラに到着。右手眼下に川のようなヤムドゥクが横たわっていた。
峠から下っていくと何かの工場が見えてくる。ヤムドゥクはチベタンにとって特別な聖なる湖だ。そのような場所に工場を建てるだけでも心情としては許せないが、汚水処理など確り行われているだろうか。
湖畔まで下ると、所々で水流の跡が道を荒らし、湖面には流出した土砂で黄土色の帯が岸沿いに延々と続いていた。荒道の凸凹で強烈なジャンピングが起こり、頭を天井に激突させた小川くんは、頭を抱えて「星が見えた」と言った。
湖面は曇天の反射で白っぽく光り、カンパ・ラへの上りで咲いていたのと同じ花が、山側の斜面に紫の帯を作っている。物寂しい眺めの中で菜の花畑の明るい黄色にほっとする。水鳥が湖上を飛び、湖畔の草地で放牧の馬や牛、羊たちが草を食んでいる。手を振ってくる子供らに手を振り返しながら進んで行くと、時々草地で村人たちが寄り集まっているのを見かける。何かの祭りだろうか。
入り江を回り込み暫くすると、やがて前方の山肌にチベット語のマントラが現れる。もうすぐナンカルツェだとHさんが言った通り、一時頃ナンカルツェに到着した。
ナンカルツエは予想外にちゃんとした「チベットの街」だが、どちらかといえば丘の麓の宿場村といった感じだ。背後の丘の上に城塞跡を仰ぎ、広場のような通りの奥にゴンパが覗いている。広い通りに面した建物もやけに大きく、かつてはこれに見合うだけの賑わいがあったのかもしれないが、今は人影が疎らで、時の外へ置き去りにされた間抜けな空間が、黒沢映画の「用心棒」みたいだ。
村の北側には道を挟んで菜の花畑があり、その向こうは凸凹した湿原が広がっている。対岸の山の麓にはゴンパが望め、徒歩で約一時間の距離と見たが、Hさんによれば、車で往復するだけでも半日が潰れるそうだ。
簡単に昼食を済ませて散策に出る。菜の花畑の脇でピクニックのような一団がいて好奇心が疼くが、とりあえず後回しにして湿原を歩く。
妙に愛くるしい子牛の写真を撮ったりしているうちに、いつの間にか村の子供たちに取り囲まれていた。レンズを向けると逃げまわるが、内心では撮って欲しくてうずうずしているのが手に取るように判る。
おばちゃんトリオが現れた。彼女たちに請われてレンズを向けていると、それを見ていた一人の少女が「私も」と言ってきた。喜んでカメラを構え、シャッターを押す。途端に僕も私もとカメラの前へ次々と子供らが割り込んでくる。中には自分だけが写りたいばっかりにレンズを手で塞ごうとする慌てん坊や、あっかんベーをするヤツもいる。全てを一枚に収めようとズームを広角側で構えたまま後退りするが、子供たちもどんどん寄ってくる。きりが無いのでシャッターを切った。 完全に遠慮のなくなった子供たちは撮って撮ってと煩い。湖岸まで行ってみたいのに困ったもんだと思っていると、美希ちゃんがやって来た。みんなの気持ちが彼女に向いたその隙に、そそくさとその場を離れる。
それにしてもチベットの植生状況は単純だ。自然条件が厳しいとはいえ、もう少し多様性があってもよさそうなものだ。生意気にそう思って歩いていると、一匹の蛙が足許で蹲っている。黄土色に黒い斑点のある体長三センチ程の蛙で、ギアナ高地の古代蛙を思い出して脅かしてみると、「バカにするな」と素早く跳び去った。
湖までは予想以上に距離があり、結局、途中で行くのを諦めて道路へ引き返す。
女の子や菜の花畑を写真に収めていると再びおばちゃんトリオが登場して、今度は菜の花を背景に撮れと注文する。仕方なく一枚撮り、彼女たちに住所と名前を訊こうとしたが、三人とも字が書けないらしく、渡したメモ帳とボールペンをたらい回しする。するとそこに子供らまで加わり、メモ帳を覗き込んでクスクス笑う。
そのうち字の書ける少女が代筆を買って出ると、私も欲しい僕も欲しいと名乗りを挙げる者が続出し、彼女はそれらを忙しく書き連ねる。返されたメモ帳を見ると、書体が三種類あることは判ったが、どれが住所でどれが名前なのか皆目判らなかった。
三時頃、ナンカルツェを発ち、小川くんの要望で途中の村に立ち寄った。
往路でマニ水車を見かけたと言うので車から降りてみると、確かに小さな流れの上にマニ車が三個並んでいる。しかし、いずれも手で回すものだ。ところがその横に石組みの小さな祠みたいなものがあり、チーンと鐘のような音がする。小窓から覗くと、中でマニ水車が回っており、自動的に鐘も鳴るようにしてあった。
中祢くんの姿がないと思っていたら、彼は村の子供たちに取り囲まれてミニバスから出られないでいる。後で聞くと、ガイドブックのムスリムが跪拝している写真を、子供たちは五体投地と勘違いしていたそうだ。
子供の大半は中祢くんに群がっていたが、こちらにも三人の子供が近づいて来た。一人は極短の虎刈り頭をした愛想のいい男の子で、ずっと笑顔を絶やさないニコニコ坊主。もう一人は青緑の服を着た2、3才の可愛い女の子だが、口の周りが鼻水で汚れ、しゃぶっている指も何かの脂塗れで、お世辞にも清潔とは言えない。そして最後の女の子は、12、3才くらいの二重瞼の美少女だ。青緑の女の子の姉のようで、どことなく目許が似ている。彼女の背負っているドッコの中には鎌が2つだけ入っており、日本の鎌より丸く鉤型に近い形をしている。
ぜひお姉ちゃんを写真に収めたいが、表情が硬い。そこで将を射んと欲すれば何とやら、妹にレンズを向けた。ファインダー越しに何の衒いもなくやって来る彼女の真っすぐな視線に、頭の中が空っぽになる。無意識のうちにシャッターを切り、カメラを下ろして思わず彼女を見つめた。なんて強い目をした女の子なんだ。ふと我に返り、慌てて笑顔を繕う。
そのまま姉のほうを見上げ、立ち上がろうか少し迷ったが、下からのアングルでカメラを構える。するとファインダーの背景へニコニコ坊主がぬっと入り込む。このままでは少女の顔が暗くなりそうだけど、この距離でフラッシュをたいて驚かしたくない。だから強引にシャッターを切った。上手く撮れているだろうか。
再び峠を越えてヤルツァンポ沿いの道に出る。そして橋に差しかかり、壁の落書きを注視する。落書きの下に、大きく「FREE TIBET」と書き加えてあった。

9月12日

三階廊下のソファーで美希ちゃんが手紙を書いている。毎日のように書いているけれど、一体誰に書いているのでしょうか。
そんな彼女と無駄話していて気がつくと、中庭に『ラッキーボーイですか』さんがいた。声を掛けると俺のFREE TIBETのTシャツを「危ないですよ」と注意してくるので、ホテルの中だけだから大丈夫だと答え、たまたま中庭にいた公安官にTシャツの文字を見せびらかすように「ほれほれ」と巫山戯てみせた。すると、いきなり公安官がこちらを見上げた。慌てて一旦は手摺りから身を引いたが、その後も中庭に背を向けて美希ちゃんと話を続けた。
それから間もなく、ふと階段の方を見た。すると先程の公安官がこちらへやって来る。弾かれたように、でも平静を装って部屋へ戻り、長袖のシャツを急いで上から羽織ってキチンとボタンを留め、暫く部屋に潜む……が、彼は来なかった。彼の行動が俺の悪巫山戯と偶然かつ絶妙に重なったのだろうが、久しぶりに脳みそ中の血管が竦んでしまった。
ディクンティからヒゲくんが帰ってきた。途中の村の競馬祭で知り合ったラマが偶然ディクンティのラマで、一緒にトラックをヒッチしてゴンパへ行き、彼の僧坊に泊めさせてもらったそうだ。翌朝さっそく鳥葬場へ向かったけれど、着いた時には既に禿鷲が群がり、惜しくも解体作業には間に合わなかったようだ。それでもかなりのショックを受け、脳みそがペチャッと落ちるのだと、身振りを交えて何度も何度も繰り返し、熱弁していた。

9月13日

今日、吉野さんはシガツェへ移った。その代わり、荷造りしている吉野さんに「嗚呼、出て行かれるのですね」などとベットの上で呆〜っとしていたら、戸上さんがツルプから戻ってきた。たまたまベットが全部塞がっていたので、戸上さんはヒゲくんとダブル・ルームをシェアすることにした。
ツルプはクローズしておらず、ちゃんとカルマパに息を吹きかけてもらい、序でにヤンバーチェンまでトレッキングをしたそうだ。ヤンバーチェンは温泉地というより地熱センターといった感じで「がっかりした」が、その代わりトレッキングは良かったらしい。

9月14日

今日はタイワン氏がシガツェへ行った。そして戸上さんへ伝言、散髪屋の女は単なる店の従業員だった。気がつかなかったが、スノーランドの並びの散髪屋に夕方からイイ女が姿を見せるらしく、娼婦ではないかと噂していたそうだ。
最近、中祢くんの表情がなんだか暗い。全く動かない俺が不満のようだ。今朝も「ボーダー行きのツアーどうしましょうか」と訊いてきたので、「そういうことはビザの一番余裕のない人が率先してやらないと、俺みたいに余裕のある人間に頼っていたら、いつまで経っても何も始まらないよ」と冷たく突き放してしまった。そりゃね、一緒にネパールまで行くとは言ったよ。でもねえ、俺の口約束を信じていたら馬鹿をみるぞ。
とはいえ、そろそろ動かねばと、メンバー募集の貼り紙をするつもりでヤク・ホテルへ出掛けたが、もう中祢・美希製作の貼り紙がしてあり、申し込み欄には既に二人の日本人名とルーム・ナンバーが書き込まれている。早速その二人を訪ねてみたが、外出中。ホテルに戻って中祢くんに知らせると、彼の顔から笑顔が漏れた。その後、中祢くんがその二人と連絡を取り、ツアーの面子が五人揃った。
夕刻、ジョカンに虹が架かった。戸上さんと三階の廊下の端から見ていると、美希ちゃんもやって来た。
秋陽を受けて光り輝くジョカンから虹が立ち昇る。何か物凄くありがたい光景を目にしているようだが、向かいの屋上では香港人たちが西の空を指さし、何やら真剣に話し込んでいる。
「あの人たち、赤とか青とか緑とか言ってる」と、美希ちゃんが呟いた。何となく気になって屋上へ行き、西の空を仰いだ。
「うわぁ…」
巨大な入道雲が聳え立ち、周縁の薄雲が虹色に光っている。上空の風に彩雲が揺らめくにつれ、ゆらゆらと彩りが変化してゆく。まるで天女の羽衣のようだ。
やがて彩りは薄れゆき、空は夕焼け色へと移ろう。

9月15日

預けてある荷物を取りに戸上さんもシガツェへ移動。ラサに戻るのは20日頃というから、もしかするとすれ違いになるかも知れない。
ツアーに参加してくれる新しい二人のうち、女性の方が鳥葬の話を聞いてツアーをキャンセルした。しかし、もう一方の佐藤くんは確実参加してくれるようだ。彼は米国への留学経験があり、英語がペラペラだと中祢くんが言っていた。

9月16日

ネパール領事館でビザの申請を終えて帰ろうとしたら、ラマたちにビザ・フォームの代筆を頼まれた。快く引き受けたが、これが予想外に大変だった。
まず姓と名の区別がつかない。
パスポートらしき手帳には漢字とローマ字とで名前が併記されているが、何故か一語しか記されていないのだ。これは姓と名がひと続きで書かれたものなのか、それとも姓だけなのか。しかしチベタンには姓も名もはあった筈。ところが、下手なチベット語で名前を訊いても、美希ちゃんの中国語に頼っても、彼らはただニコニコするだけで埒が開かない。仕方なくファースト・ネームの方にだけ記入し、ファミリー・ネームの方は空けておいた。
次は国籍の欄。
始めはTIBETの四文字が脳裡に浮かんだが、もちろん無難にCHINESEと書いた。でも旅游許可証がデリーの中国大使館発行だし、シッキムの家へ「帰る」と言ったのも引っ掛かる。彼らは一言「チベット」とだけ答えてただニコニコしている。うーんと考えた末、頭の中が混乱したまま二本線を引いてINDIAに訂正する。だけど隣を覗き込めば中祢くんは中国と記入している。もう暫く呻き、ふと気が抜けた瞬間、パスポートらしき手帳が中国発行だという事に気がついた。なんだ簡単なことだ。再び二本線を引いてChinaと書き込む。随分見苦しくなったが、ノー・プロブレム。
彼らは20日にラサを発つつもりでいる。旅游許可証の期限も20日なので「空路か、お金持ちだな」と思っていたら、車だと言う。いかにラマとて当日中に国境到着なんて不可能だ。美希ちゃんに説明を求めてもらったが、相手は中国語があまり得意ではなく上手く話が伝わらない。仕方がない、ラサ出発もネパール入国も20日、そして交通手段は陸路、リトル・プロブレムだけど「これでいいんだな」と渡すと、ラマたちは笑顔でうんうん頷き「トゥジュチェ」と言って握手を求めた。

9月17日

食事をしに行ったタシで、ボブ・マーレイを尊敬する水谷くんと知り合った。ゴルムドから昨日ラサに着いたばかりの彼は、これからネパールへ抜けてインドのヴァラナシ、デリー、ゴアヘ向かう。旅の目的はインドの方に在り、ヴァラナシとゴアは絶対に外せないと言うが、彼には就職が控えているので10月末日までには帰国しなければならない。インドでは三ケ月ですら短いのに、ヴァラナシとゴアに憧れるような青年がインドを一ケ月で抜け出すなんて無茶だ。でも敢えてインドの面白さを吹聴し、助言した。
「やっぱり今回のチベットは観光と割りきってツアーか何かで効率よう回って、少しでもインドに時間を割いた方がええんちゃうか」
考え込んでいる水谷くんを眺めていると、悪徳セールスマンの気持ちが解るような気がした。はっきりした返事はもらえなかったが、陥落の匂いは嗅ぎ取れた。

9月18日

中祢くんは朝から佐藤くんと代理店探しに出掛けたが、俺は昨日チェックインしたセミプロの写真家中野さんと夜遅くまで話し込んで朝寝坊。まっ、いつもの事だ。
ヤク・ホテルに顔を出すと、中庭のテントで水谷くんが二百歳の爺さんでも読めそうな巨大文字で手紙を書いていた。骨抜きになってへにょへにょになりそうな彼独特のリズムに翻弄され、今日は悪徳セールスマンになりきれず、結局無駄話で終わったが、後で中祢くんが彼の参加を報告してくれた。
中野さんがカイラスへ撮影に行ったとき、金持ち風の白人がポーターを探していたそうだ。それもタルチェンで。何とか見つけ出したまでは許せるにしても、しかしホテルに預ければいいような物までポーターに担がせ、本人はカメラを一台首からぶら下げただけで“Here is a holy place !”と感嘆していたらしい。「目の前で大きな荷物を背負ったまま立っているチベット人が、そいつには見えていない」と、中野さんは怒っていた。
そのことをタシで反芻していて気がつくと、ラマが入り口に立っていた。そして何かを返すよう白人の男に訴えている。が、相手の男はラマに向かって一角札をひらひらさせながら、何か冗談を言ってからかっている様子だ。俺以外の客は全て欧米人だが、その大半が白人の彼に同調して、ラマに向かって何か叫んでは笑っている。中にはそんな彼らをただ横目で見ている白人もいるが、概して無関心な顔で自分たちの会話に夢中でいる。
タシの娘がラマに金を握らせて立ち去らせようとした。それでもラマは諦めないで訴え続ける。タシの娘が英語で何か冗談でも言ったのか、白人たちが笑い出す。タシの娘も笑っている。でも、どこか卑屈だ。そんな光景を、俺はただ傍観していた。

9月19日

惰眠を貪っているところへ中祢くんと佐藤くんがやって来た。起きるタイミングを失って白々しく狸寝入りしていると、「21日出発に決まりました」と頭の後ろから中祢くんの打切棒な声がする。そのままどうしようか迷っているうちに、二人が部屋を出ていく音がした。ガバッと起きあがり、何故かホッとする。そして中祢くんのベットを見て吃驚した。彼の荷物がなくなっている。
1時過ぎ、食事から戻り、何でもいいから書くようにと美希ちゃんから渡されていた雑記帳を、廊下のソファーで落書きする。
序でに前の方へ溯ってページをめくる。中祢くんの文章だ。彼らしい真面目なことが綴ってある。
陽子ちゃんのアドレスと象の絵が目に留まる。
薫くんのアドレスが美希ちゃんの文字で記してある。
最初のほうまでくると、美希ちゃんの書いた散文と絵が絵本のようにおさまっている。
取り留めもなく、そんなこと、こんなこと、あんなこと、色んながらくた事を、頭の中で捏ねくりまわしながら、青空を流れる雲の移ろう様をぼーっと何時までも眺め続ける。そして頭の中がカラッポになる。でも飽きずに眺め続ける。
雲になりたい。
小学生の頃はアラブ人に憧れていた。アラブ人は一日中砂漠を眺めていると、何かで読んだ記憶がある。何を勘違いしたのか知らないが、でも、今も気持ちは変わらない。
何も考えずぼーっとしていたい。でも実際にしてみると色んなことが頭の中に湧いてくる。ただ大抵のことは旅行中のあり余る時間の中で考え尽くしているから、他愛ないことしか意識の上には浮かんでこない。しかし、それすらも通り越してしまうと、ようやく何もかもなくなる。 雲が生まれ、そして消える。じっとしているようでいて、かなり激しく変化している。そんな説明もしなくなる。見ている意識もなくなる。自分もなくなる。
久しぶりの小川くんと美希ちゃんとでおさむちゃんの店へ行く。
チベット語の授業は始まったものの、「中国語に苦労していた白人たちの気持ちが、今になってよく解る」と、さっそく小川くんは弱音を吐く。それに青海省でアムド語を習っていた韓国人たちが何かと煩く、「大声でアムド語ではこう言うだのああ言うだの、授業の邪魔してるのか自慢しに来てるのかはっきりしろ状態」らしい。人員が中途半端に多く、二クラスに分けてもらうよう交渉中とのことで、何かと大変そうだ。 小川くんの他にも日本人女性が一人留学している。またヤクには家庭教師を雇ってチベット語を勉強している女性がいる。みんなよくやると心から感心する。チベット語を覚えたいとは思うけど、必要も無いのにフレーズブックやメモを眺める気になかなかなれない。そんなことやったら急転直下、眠くなる。
おさむちゃんの店にも何回か通ううち、常連のクチクチがいることが判ってきた。如何にも乞食といった風体のクチクチおばちゃんがそうだ。彼女は作るとなると難しそうな継ぎ接ぎだらけのボロを着て、ゴミ以外に何が入っているのか、謎の袋を担ぎ、杖をついてクチクチとテーブルを巡回する。だけどあまりひつこくなく、「ミンドゥ」の一言で引き下がる。なぜなら、店員から必ず食べ物を恵んでもらえるからだ。
今日は時間帯が早すぎたのか彼女は現れなかったが、その代わり少年がやって来た。あまり減っていない皿の残り物を差し出すと、彼はそれを拒否して料理を逆指名する。それも選りによって一番人気の、肉を中に挟み込んだ茄子の揚げ物をだ。「贅沢者」と一喝し、俺は少年の目の前でその茄子料理の最後の一個を食べた。なんて大人気ない、そしてケチ臭いジャパニだ。彼は俺の顔をじっと見つめる。ケケケ、ざまあみろ。手前が単なる近所のガキだという事くらい、こっちは先刻承知なんだよ。

9月20日

昨夜ヒゲくんと大野くんとで3時頃まで話し込んでしまった。
この10月から大手の新聞社に就職が決まっている大野くんは、「1989年の暴動のちょうど五周年」に当たる今日、何かがあると睨んでラサへ来たのだが、俺は逆に何か祭めいたものがあると期待していた。なぜなら最近お上りさんがよく目につくからだ。箸の使い方を知らないチベタンがトゥクパをコップに入れて手掴みで食べているのを飯屋で見たと、美希ちゃんも証言している。パルコルの人間も増えたような気がする。何れにせよ何かあると、期待はしていた。
そして今朝、9時に起床。いつもの平和な朝だった。そしていつもと変わらぬラサの一日だった。
変わった事といえば、嬉しい人が帰ってきた。戸上さんだ。シガツェでは高山病にかかった大学生の世話で大変だったらしい。何はともあれ一日出発が延びたお陰でぎりぎり再会できたわけだが、なぜだろう、戸上さんを見るとほっとする。
ヤク・ホテルで一人の日本人男性と話をしていた。俺は彼のことを単なる旅行中の医学生だと思っていた。ところが話の途中で、西蔵医大へ留学申請する、ただそれだけの為にラサへ来ているのだと知った。それも今回で三度目の挑戦。一度目は順調に事が運んでいたのにラサの大暴動で元の木阿弥。二度目はやっとラサまで辿り着いたものの肝心の教授が北京出張中で、待っているうちにビザが切れて帰国。今回もそろそろビザの残りが危うくなっているそうだ。
彼はチベット語の読み書きが出来るけれど、「そうでないと授業についていけないし、それも留学資格の条件のうち」らしい。最初のラサは六年前、準備し始めたのはもっと前、「長いねえ」と、彼は他人事のように呆れてみせた。
夕食の後、パルコルへ買い物に出掛けた。
人の流れに従ってジョカン前の広場に差しかかると、人込みの向こうに大野くんがいる。近づいて声をかけようと思ったら、ボクシングのファイティング・ポーズみたいに素早くカメラを構え、そしてファインダーを覗きながら腰を屈めて、そのまま前へ歩きだした。その不自然な姿に、ふと昨夜の話を思い出して、吹き出しそうになった。
写真は後ろ姿に限る。正面からだと被写体がカメラに気づいて表情が不自然になるから駄目だ。その点、後ろ姿は近寄っても気づかれずに自然な姿が撮れる。彼の持論は、どう転んでも言い訳でしかない。後ろ姿の前に、不自然な表情の原因を全て被写体に負わせて自分の腕の未熟さから目を逸らしてはいないか。また後ろ姿を撮るにしても、自然な表情とは何か、なぜ自然な表情なのか、についてどこまで考えているのか。プロのカメラマンを目指すにしては甚だ心許ない気がする。
しかし、彼はチベタン女性の背後へ忍び寄り、カメラを構える。が、如何せんシャッターを切るのが遅すぎて、すぐに気づかれ逃げられてしまい、でも、めげずに次の後ろ姿を追い求める。彼の目標は石川文洋やキャパのようなフォト・ジャーナリストらしいが、こんな調子では、いやはや頭を抱えてしまう。でも、そんな無様な姿を眺めていると、こんな回り道もあったっていいじゃない、と思えてくる。それがもとで野垂れ死にしたとしても、それはそれで彼の人生だ。他人の失敗を非難する権利は誰にもない。目標にどこまで近づけるか、そして追いつき追い越せるか、そんなことは誰にも判らない。
ところで戸上さんによると、今日はデモこそなかったが、地下組織の集会がラサの何処かで開かれたそうだ。
「場所までは教えてもらえなかったけど、恐らく公安と軍は確り情報を掴んでいたと思うよ」
一体こんな情報、どこから入手したのだろう。
今宵は十五夜。小川くんが中国製の月餅を差し入れに持って来た。決してディクンティで食べた月餅と比べてはいけない。それに主役ではないのだ。
それにしてもラサの満月は素晴らしい。東の空にかかってしまった雲も、薄月に光る様は幻想的で、やがて薄雲から淡く赤みがかった満月が顔を現すのも、また雅やか。廊下の椅子に腰掛けながら月見をしていると、瞬く間に月は高くなり、ジョカンの屋根が怪しげな光を放つ。
中野さんと戸上さん、ヒゲくん、大野くん、俺の五人で深夜遅くまでチベットのこと、人生のこと、女のこと、旅行のこと、いろんなことを語り合った。
明日はとうとうネパールへ向けてラサを発つ。中野さんは明日飛行機で成都へ飛び、帰国の途に就く。戸上さんも数日後にはラサを後にする。ヒゲくんはカイラス目指して明日シガツェへ移る。大野くんはもう少しラサに滞在するけど、10月には日本で働きだす。
俺は結局ポタラには登らなかった。ノルブリンカもジョカンも中には入らずじまいで、セラへは近くにも寄らなかった。ラサでは何もしなかった。でも、まあいいか。

碧落のド真ん中

9月21日

出発の朝、車が見つからないとまた言われた。俺たちとは無関係の日本製四駆車を目の前に眺めながら、まあこんなもんだと待ち続けて11時、ほぼ諦めていたところへ車が確保できたと服務員が嬉しそうに。やれやれ安堵の喜びから、現れた中国製ランクルに早速「うんこ色」と口の悪い五人組、前二人と後ろ三人とに分乗する。ドライバーのチベタンはホテルの門まで見送りに来た妻の前で車を停め、窓から身を乗り出し、妻の抱く赤ん坊の娘とキスをした。なにはともあれ出発。まあこんなもんだ。
軽快にアスファルトの舗道を飛ばし、再び橋を渡る。それにしてもさすがはランクル、ミニバスとは違って同じ坂道をぐんぐん上り、一度も休まず峠に着いた。
いやはや、驚いた。湖面はかち色と藍色の大きな斑模様を描き、その鮮やかでいて吸い込まれそうな深い色合いは、目の醒めるような青!雲がちとはいえ空は晴れている。ただそれだけの違いなのに、本当に同じ湖か。陽が心地よく、前回とは打って変わって気持ちの良いカンパ・ラだ。
ナンカルツェで昼食の後、真っすぐな道は山へ向かい、ほどなく殺伐とした峡谷に入る。峙つ岩峰に谷底は薄暗く、氷河を垂らす白い高嶺が、見上げる峰々の合間から時折雪光を放つ。
やがて長い峠道に入り、谷底から徐々に高度を上げてゆく。そのうち道の脇に土の電柱が列をなして現れ、珍しがっているうちに、気がつくと道は山の中腹を走り、周囲の山は丸みを帯びていた。更に斜面を横切りながら徐々に上ってゆき、遂に土の電柱が谷底に消え入って間もなく、丸い尾根をようやく越えた。
ほどなく道の右手に氷河の舌端が現れる。この辺りの観光スポットなのか、何も言わなくてもドライバーは車を停めた。箱庭のように奥まった崖の上に純白の氷河がのしかかり、崖の前で見上げながら耳を傾けていると、岩壁を伝い落ちる融水の音が体に響いて、得も言われぬ心地よさに包まれた。
知らないうちにカロ・ラを越え、そして広大な谷に出る。一路南へひた走る左の車窓を、黄色く光りだしたヤクの牧野がゆったりと流れ、フロントガラスの果てしない谷の遥か先で道が向きを変えて西へ延び、暗い山並みに消え入る。
山あいに入ると、また石だらけの荒れ地に戻る。もはや食傷気味の風景だが、谷の一足早い日暮につい意地になって目を凝らし、やけに明るく感じる上空に腹立たしささえ覚える。が、それもほんの一っ時のこと。いつの間にか意識は半分眠りこけ、薄暗いあやふやな景色が目の前を素通りしてゆく。そしてある時、遠く前方に一つの光景が現れた。
薄暗い眺めの一角に、遠く夕陽に輝く平原が横たわり、その真ん中を土の電柱が一列になって斜めに横切っている。それはまるで美しい映画のワン・シーンだった。黄金の原野に電柱の影が細長く伸び、その一つ一つを踏みしめて行けば、やがて天国に届く階段になるような、そんな気がした。
いつの間にか谷は開け、道が整備された砂利道に変わっていた。行く手には城塞を戴く小山が暮れ残った空に聳え、その厳しさに軍艦岩と呼びたくなるが、ドライバーが「ギャンツェだ」と告げると、水谷くんが「ギャンツェのポタラだ」と言った。

9月22日

九時頃、白居寺へ向う。
城塞の岩山を右に見なが回り込むと、真っすぐな大通りの奥に白居寺が現れる。更に進むと肉市場の前でチベタンに手招きされ、道路脇の馬具を着けた馬や裸馬。ロバ。牛。おとなしい犬たち。静かな通りを登校中の小学生が連れ立って歩いている。そして正門へ。
境内に入り、中国語と英語のちんぷんかんぷんな石碑文をとりあえず眺める。そして本殿へ向かって歩きだした時、左の建物から若いラマたちが駆けて来て、入場料10元を要求した。ガンデンのことが頭を過るが、何も言わずに支払う。代わりにくれたチケットは、光沢のある上質紙にオフセットの四色刷りだった。
さて、改めて境内を眺めわたすと、正面にデンと構えた本殿の左、即ちラマが出てきた建物の奥に、その独特な形で知られる巨大な*チョルテンが見え、また寺の背後には小高い丘が守護神のごとく聳え立ち、その中腹に一棟の堂が配され、丘の上には所々に櫓を設けた赤い壁が城壁のように連なり、そのまま寺全体を取り囲んでいる。この赤い壁が眺めを物々しくし、確かにゴンパは民族の砦だからと、つい考えが勇み足を踏む。
寝そべる犬たちの合間を通って本殿に向かう。しかし、入り口の扉には錠が掛かっていた。仕方なく扉に施された龍の薄肉彫と周りの壁画とを一頻り眺め、チョルテンへ向かう。
この仏塔の形を乱暴に説明すると、立方体の積み木を四段重ねて円錐台のような形にした上に平たい円柱を、そしてその上に平たい立方体を一個ずつ載せ、最後にアポロの着陸艇みたいな帽子を被せた形をしている。間近で仰ぐと須弥山を模したように見えるが、もしかすると、これ自体が立体曼荼羅なのかもしれない。何れにせよ、ここの入り口にも残念ながら錠が掛かっている。来るのが早すぎたのだろうか。
一応コルラのつもりでチョルテンの背後へ壁のマニ車を右手で回しながら歩きだすと、すぐさま一人の老婆がクチクチと煩くつきまとって来た。これまでの乞食とは違う、どう見ても食うのに切羽詰まっていそうにない姿に少し戸惑うが、巡礼先で金を使い果たすとチベタンは乞食をしながら家に戻るのだと聞きかじっていたので、その類いだろうと思い、無視を決め込む。それでも子供が駄々をこねるみたいに腕を掴んでなかなか諦めない老婆が腹立たしく、後ろめたく、強引に腕を振りほどいて速足で仏塔の背後へ廻りこみ、丘の急斜面に避難した。
本堂の正面へ戻ると、扉があいていた。
中はすぐ大広間になっていて、天井が高く、太い紅柱が何本も使われている。堂奥との仕切り壁には曼荼羅のような仏画が描かれ、小さな祠のようなものもある。そして床の中央部に六列ほどの長い布団が敷かれ、その上に円錐状に畳まれた臙脂色の法衣がずらりと並び、一瞬、高僧のミイラが陳列されているのかと思い、ぎょっとした。
奥の間へ入ると、部屋の中心にある大きな仏壇に本尊らしき金色の仏像が鎮座し、仏壇の左には金網で囲った立体曼陀羅がある。その周りを右回りに進むと、素人の目にはただ大きいだけの金色の仏像が並び、ダライ・ラマの写真も祭られている。ダライ・ラマの写真には一番多くの賽銭が供えられ、幾重にもカタが掛けられていた。 それにしても気になるのは、高い天井から幾つも吊り下げられているメタル・コーティングの安っぽいプラスチックの大きな球だ。この玉を見ているとサンタクロースの値札が付いた笑顔を思い出して、宗教的意味がわからない俺には目障りでしかない。
大広間へ戻り、今度は西の側室に入る。ここも同じような配置だが、特徴的なのは仏像に忿怒尊の合体像が多いことで、交接部分は必ず白い布で隠されていた。
その部屋には日本人グループのツアー客がいた。意味の解る言葉が耳に煩わしいが、見ていると何も気にせずカメラのシャッターを切っている。そこで安心して仏像の一つにカメラを向けると、若いラマが「フォト・マネー、フォト・マネー」と目敏く迫ってきた。金が要るのなら写真は撮らないとカメラをしまい込んだが、どこまでも疑いの目を向けてくるので睨み返す。試しにツアーの女性にいくら払ったのか訊いてみると、「30元です。日本円にしたら確か、400円かしら、安いよね」
部屋を出ようとした時、入って来た日本人男性がいきなり「ここはいくら」と訊いてきた。カメラ三台と照明二台を首からぶら下げた仰々しい姿に呆れながら、30元だと答えると、安いねと彼は感嘆した。ちなみにギャンツェの宿代10元、ラサでは25元。ラサでの一日の食費は2、30元。これでも平均的チベタンより贅沢をしているつもりだが。
二階へ上がると、村人だろうか、大勢の一般のチベタンたちが大広間の明り取りを改修していた。囲いの上に紅柄を混ぜた泥を丸く盛り、それを木の篦でぺたぺた叩き固めているのだが、よく見ると美希ちゃんもぺたぺた手伝っている。廻廊をぐるりと回って近づいて行くと、木の篦を差し出された。
日本なら五人もいればやっつけてしまう作業だが、囲いの内側に女がずらりと並んで腰を下ろし、ペチャクチャ話しながらぺたぺた叩いている。そんなに叩く必要があるのかと思うくらい、ぺたぺたぺたぺた。
「どこから来た」
「日本だ」
「ほー日本だってアッハッハッハッ」
ぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた。俺も一緒にぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた。その内ぺたぺたしているのが気持ち良くなってぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺたぺた……。気がつくと着ていた黄色いカッパに紅柄色の飛沫模様ができていた。
ギャンツェの村を出ると麦畑が広がり、チベットの穀倉地であることがよく解る。牛や羊が草を食む姿も目に入り、村を振り返れば、そんな牧歌的な風景の向こうに城塞の岩山があり、そこから村を抱きかかえるようにして延びる尾根の先に白居寺がある。まったく、どうしてこうも物々しいのか。昔あそこに籠城したチベタンが何千人と死んだのかと思うと、更に歴史の断片が重くのしかかった。
シガツェへは約二時間で着いた。
チェックインを済ませてのんびりしていると、思いがけずヒゲくんが現れた。こちらの予定を読んで「そろそろ来るだろう」と情報収集を兼ねてホテルで訊いて回ったそうだが、彼と同じホテルには吉野さんとタイワンさんも泊まっていたらしい。が、二人は昨日トラックでカイラスへ旅立ったとのことだ。ヒゲくんも来週の木曜日に出発する阿里行きのトラックを見つけたが、ただ時間があるので準備は一旦ラサに戻ってからするらしい。
夕食後、シシカバブ屋が目に留まり、食う気はなかったが、みんなに釣られて何串か注文し、チベタンもチベットも大嫌いだと言うウイグル人店主の愚痴を聞いていた。
客の男が日本語で話しかけてくる。日本語の上手い人民だと思っていると、彼は韓国人だった。カイラスから南ルートを歩いて来たと言う彼は、もう十年間故国には帰っておらず、現在はコ・パンガンにある家が生活拠点だそうだ。
それにしても、こんな偶然もあるんだな。彼は俺の母校の大学へ留学していたのだ。それも俺が3、4年生として在学していた二年間に。おまけに住んでいた所が俺と同じ町内のアパートだと知って、更に吃驚。
「俺、もしかすると銭湯でシャンプーを借りたかも知んない」
そんなこんなで二人で驚き合い、意気投合し、ポカラでの再会を約束した。

9月23日

佐藤くんが呻く、「下痢ラだ、下痢ラの急襲だ」サキャ大橋を渡ったT字路で緊急停車。佐藤くんが物陰へスクランブル発進する。
車から降りると水谷くんの顔に目がとまり、思わず吹き出した。彼も俺を指さして大笑いする。中祢くんも笑っている。三人とも顔が埃で白くなり、老人のようになっていた。帽子を深々と被って何の変化もない美希ちゃんは、笑ってはいるが、ちょっぴり悔しそう。
そこへ見覚えのある白人が自転車に乗って近づいて来た。スノーランドのドミトリーで暫く同室だったオーストラリア人だ。当初は大理からラサまで自転車で走るつもりが、あまりの道の険しさに断念して飛行機に切り替えた彼は、今度こそ自転車で、こうしてネパールを目指している。日本で働いていたことがあるので日本語が少し話せ、道中のことを訊くと「タイヘン、タイヘン」と冗談めかすが、中祢くんが後で言うにはディレイラーが折れていたらしく、そんな状態でよく峠を越えられたものだ。でも苦労の影を表に出さず、チベタンから貰ったばかりの色鮮やかな布でさっそく自転車を飾りつけ、ゴキゲンなオージー・スマイルを見せる。彼の勇姿を写真に撮り、「サキャで会おう」と走り始める彼を、もう一度カメラに収めた。
暫くして俺たちも出発し、すぐに彼を追い抜く。そして広い谷に出た。
民家の白壁にある赤と青の色帯が目につき、サキャ派との関連を考えていると、遠くに青っぽい建物の群と四角く茶色い大きな建物が現れる。青っぽいのは光の具合なのか、でも白く見える建物もあり、なんか変だ。
やがて茶色い建物に見覚えがあることに気がつき、間もなくそれがサキャ寺だと合点した時には、かなり近くまで来ていた。そしてゴンパ前を通って突き当たりの飯屋の庭に停車、サキャに到着した。
今日はラツェまで行ってしまいたいと、ドライバーが持ち出した。ここの宿は汚くて虫だらけだから止めたほうが無難だと言うのだ。ラツェまでそんなに距離はないだろうと、俺が口にしたのが大勢を決め、予定を変えてドライバーに従うことになった。
食事を済ませて、さっそくサキャ寺へ。
赤茶色の巨大な壁に無理やり作ったような隙間を抜けると、前庭へ出る。するとそこへラマがやって来て「何人(じん)だ」と訊く。すかさず美希ちゃんが中国語で「香港人」と答えた。
そんな訳で海外同胞料金5元の票を買う。ちなみに外人料金は20元。ヤスイネ。
正面にある建物の大きな赤茶色の壁を見上げると、屋上には小さなストゥーパを真ん中にして二体の孔雀像が向き合っている。そして視線を水平に戻すと、建物の手前に赤茶色の築地(ついじ)みたいな形をした衝立が左右二枚あり、どちらも金色のマニ車が並んでいる。衝立どうしは通用口の間口と同じ距離だけ離れ、そこから暗い通用路の奥に明るい中庭が覗き、その真ん中の井戸でラマが歓談している。さっそく衝立の間を通り、通用口に向かう。
通用口の両脇には巨大なマニ車と、その先に何だかわからない像がある。敷居を跨いで仏画の描かれた壁を通り過ぎ、中庭に出る。正面の黄色い扉は閉まっているが、左手の扉が開いているので入ってみた。
この部屋は白居寺と同じような形式だが、真ん中の仏壇や壁際に並んだ仏像などは余裕を持って配置されている。また左奥の壁際には経典の棚があり、とりあえずでも仏教徒ということでチベット流に経の下をくぐり、功徳というか御利益を求める。
部屋を出ると、閉じていた正面の扉が開放されている。中を覗くと、そこはラマたちがプージャする大広間で、左奥から正面奥にかけて大きな金色の仏像が居並び、特に重要な仏像や聖人像は正面中央にある。また正面奥の右側には大きな霊廟が二つ安置されているが、ここでも他の如何なる仏像よりも多く、ダライ・ラマの写真に賽銭が供えられ、カタが掛けられている。
ダラムサラではダライ・ラマの姿を拝見できなかったが、こうして一角札や二角札、五角札を目の前にすると、そんなことに拘泥っていた自分が阿呆らしくなる。人間テムジン・ギャムツォから、チベタンの心の中で燦然と輝く「ダリィラマ」へ、いつの間にか関心が移り変わり、その御影を拾い集めてきた。祭られている「ダリィラマ」を目にする度に、つい心の中で語り掛けてしまう。転生しているお暇なんて、当分ございませんからね。
大広間から出て左手の部屋に入る。
入ってすぐ左に常設のような砂曼陀羅、右奥には数体の大きな仏像。これらの他にこれといって何も無く、がらんとしている。が、奥にもう一部屋あり、二つの大きな霊廟が安置され、壁に見事な大曼陀羅が描かれている。しかし曼陀羅はどれも痛みが激しく、半分近く剥落したり、色褪せていたり、変色していたりして、痛々しい限りだ。
通用口から再び前庭に出る。すると一人のちびラマがクチクチ絡んでくるが、何とか振り切ってマニ車を回しながらコルラを始める。が、一周して戻ると、また目ざとくちびラマが、何の屈託もなく明るくクチクチクチクチ。ポケットの中の紙屑を思わせ振りに渡したり、ミンドゥと怒ってみせたり、鬼ごっこのように逃げたり、彼をからかいながら寺を出る。門のところで諦めるものと予想していたが、彼は外までついて来た。きりがないので入場票を見せ、「これしかない」と渡すと、彼は喜びその場で立ち止まり、眺め尽くしてから大事そうに懐へしまった。
飯屋の前の道を左へ少し歩くと、右手に草地が広がり、その向こうの川の対岸に、青いマッチ箱のような民家が山裾に建て込んでいるのが目に入った。道中で遠くに見えた青っぽい建物の正体だ。大半は青灰色の壁の真ん中に赤白の縦縞が一本ずつ入り、壁どうしが交わる角と壁の上辺が帯状に白く塗られているが、例外的に壁どうしが交わる角の色が赤色だったり、窓を黒く縁取ったりしている家も見受けられる。どの屋根の上にも、やはり家畜の糞煎餅が積まれ、傾いだ棒に色褪せたタルチョが揺れている。また村の上手では、赤茶色のゴンパが白いストゥーパを脇に従えている。
村に向かう民家脇の道を歩く。民家の裏手にはおそらく家畜を囲う為の石垣が張り巡っているが、更に進んで右手の視界が拡がるにつれ、対岸の村が意外と奥の方まで続く大きな村だということが判ってくる。山の中腹には赤茶色の建物が見えるが、ゴンパだろうか。
橋まで来ると川の両岸には石を積み上げた堤があり、村側の洗濯場でチベタンの女たちが冷たい川に入って大きな服を洗っている。村側の堤からは石垣を延ばして張り巡らせてあるが、やはりこれも家畜の囲いであろう。時々犬の声が風に流されてくるくらいで、村はひっそりとしている。そのうちボーと低い音が辺りに谺し、音の出どころを探す。すると、山のゴンパで身長の二倍はある大きな喇叭をラマが吹き鳴らしていた。
いつの間にか対岸の草地にみんなが集まっていた。中祢くんと佐藤くんは歩き疲れた様子で、佐藤くんは「寺はもういいや」と呟き、逆に元気な水谷くんは、写真に収めようと白い牛に付きまとっている。彼のカメラはファインダーを上から覗き込む二眼レフなので、その姿はどことなく愛嬌がある。
一頭の繋がれたヤクに気がつき、近づいてみる。貧素なヤクだと思いつつフィルムの余りを撮りきってしまい、コンパクトカメラに持ち替える。するとその時、ヤクは間抜けな顔をこちらへ向けた。なんで一眼レフの時にそのツラを見せない、この大根ヤク者!。
それでも得意げに水谷くんの方を見ると、相変わらず牛の横顔を撮ろうとしている。が、そのうち牛の尻尾が付け根の方から上がって妙な曲線を描く。もしかして、と思った時には牛の尻からキラキラと液体が迸り、強風が水谷くんに振りかける。佐藤くんと中祢くんと美希ちゃんが声を上げて笑い、俺も笑いながらヤクの風下から急ぎ遠ざかる。「くせーくせー」と騒ぐ水谷くんの横で、牛は何くわぬ顔をして草を食み続けた。
そろそろ引き上げるつもりでサキャ寺の脇をゆっくり歩いていると、上の方から、ちりんちりん、と心地よい音がふりそそぐ。見上げると、幾つもぶら下がっている風鈴のような飾りが、ちりんちりん、と強い風に揺らめいていた。
出発間際、飯屋の女が赤い化繊の布紐をみんなに渡した。暖かい心遣いに感謝しつつ、車はサキャを離れる。いい村だと思った。
再び来た道を戻る途中で、中祢くんが独りごとのように言った。
「あのオーストラリア人のチャリダーと、会えなかったな」
すっかり忘れていた。でも、縁があれば、また何処かで会えるよ。

9月24日

早朝、我慢しきれずトイレへ行く。黎明の東の空が美しく、冷気が眠気を消し去る。吐く息が白い。部屋へ戻ろうとした時、裏庭の片隅に大きな犬の屍体を見つけた。
11時半出発。ラツェ郊外の田園風景を走り抜け、少しすると道路工事の区間があり、迂回を繰り返す。
やがて西チベットへ向かう小道との分岐に差しかかる。車は南へ曲がり、思い出はそのまま遥かカイラスへと馳せる。
狭い谷に入り込み、次第にヤクや羊などの家畜や遊牧民が目立ち始める。少しずつ高度が上がるにつれて緑が減り、徐々に川面が道より下がる。
丸みを帯びた巨大な丘陵を登るに従い、うねりの向こうに雪山が見え始め、ようやく登り切るとタルチョとカタを風に靡かせ石碑が傾いでいる。前回寝過ごした五千メートルの峠だ。振り返れば淡く黒ずんだ茶色い海原が延々と波立ち、行く手には黄褐色のうねりの向こうで蒼ずんだ褐色の大波が白波を立てている。ここは碧落のド真ん中だ。
峠道を気分よく下ると、そのうち緑が増え始め、暫く狭い川谷を行く。それにしても天気が違うだけで印象がこうまで変わるものか。去年と逆方向とはいえ、あの陰鬱な谷とは想像もつかないほど緑が目に染みる美しい谷だ。
そのうち谷の広がりと共に景色も乾燥してゆき、いつの間にか左前方にチェックポストが見えていた。
チェックポストの直ぐ脇には旅社や食堂などがあり、ビリヤード台でカムパたちが遊んでいる。去年の曇天の重く寂しい光景と比べると、あっけらかんとし過ぎてギャップがあまりに大きく、妙な居心地の悪さを感じたままチェックを終えた。
風景を見る目が投げやりになった頃、ふと思い立ってYMOを聴く。が、どうしてもイアホンが我慢できず、二曲目の途中でテープを止め、小声で「魂のふる里」を口遊む。その後も思いついた曲をデタラメにどんどん歌い継ぎ、そのうち昔みたテレビ・アニメ「始め人間ギャートルズ」の終わりの曲にたどり着いた。
言葉が風景に解け込んでゆく。目の前の風景と歌の世界がシンクロして共鳴している。なんだ、なんだ、なんだ。なんだ、この快感は。短い歌はすぐに終わり、妙にすっきりした気分になる。まるで溜まりに溜まったウンコを力むことなく一気に排出したようだと思い、苦笑した。
3時頃、ようやくティングリに着く。
停車した庭は確か前回休憩した茶屋のあったところで、おそらく宿屋を家業に加えたのだろう、土間にベットを並べただけの簡素な泥壁長屋はまだ新しく、庭の奥では新しい棟を建てている真っ最中だ。道を隔てた南側の丘でヒマラヤの展望はきかないが、その代わり強い南風はしのげる。とりあえず昼食を済ませ、5時頃まで部屋で寛いだ。
丘の東麓に沿って道が延び、村はその奥にある。道の東側では村人たちが脱穀作業に精を出し、村を通り抜けた南側の平原でも村人総出で作業に勤しんでいる。
様子を眺めているうちに、なんとなく作業の流れが呑み込めてきた。まず麦を束状に括ってある藁を鎌で切りながら立てて並べてゆき、直径6メートル程の麦の円盤を作る。鎌はヤムドゥク湖畔で見たのと同じものだ。次いで、そこへ馬や牛、ヤクを乗り入れさせて同心円状にぐるぐる歩かせ脱穀する。中には家畜の代わりにトラクターを使う者もいる。十分踏ませ終わると、それらを寄せ集めて鋤で放り投げ、強い風を利用して麦と藁屑とを選別する。冬の足音が彼らには聞こえているのか、黄昏た光の中でもまだ終わりそうな気配はない。
いつの間にか水谷くんの周りに子供たちが群がり、騒いでいる。よく見ると、何だあれは?、子供たちに紛れて素っ裸のぼさぼさ爆発頭が三個体いる。全身くまなく日焼けして保護色に包まれたボンバー・ヘッドが、夕陽に輝きながら寒風の中をウキャキャと駆けずり回っている。原始人だ!
水谷くんに助けを請われて行くと、やはり原始人を写真に収めようとしたらしく、それが騒ぎを誘発させたようだ。目の前で青鼻を垂らしながら原始人はギャハハと笑う。他の子供に比べて妙に落ち着きがない。一頻り騒ぐと、原始人は塒の乳母車に隠れる。帰りに塒の前を通ると、原始人はフェルトの覆いから顔を覗かせギャーギャー騒いだ。
どうも発情期のようだ。膣痙攣みたいな交尾の第二段階にいる犬たちが、尻をくっつけ合いながらラサの道の真ん中で立ち往生していたり、交尾第二段階にいる雌に他の雄犬が横から抱きついて腰を無駄振りしていたりするのを、よく目にする。
宿への道すがら、交尾第一段階の犬たちを見かけた。しかし、雄に変な癖があり、腰を振りながら後ろ脚を掻くようにばたつかせるので上手く交接できない。そのうちシラけてきた雌は、腰を引いて逃げてしまった。
同情していると、あっ、あれは!少し前に吠えかかってきた生意気な雄犬めが、贅沢にも交尾しており、今ちょうど交尾第二段階に入ったではないか。
男は途端に白けてしまい、女は恍惚とする。それを見つけたチベタン青少年たちは拳大の大きな石をふたりに投げつける。ボコッ。石が男の右胸に当たり鈍い音がした。必死になって男は右へ逃げようとし、女は左へ逃げようとする。尚も続く石の嵐に尻が繋がったまま、ふたりはじたばたし、男が強引に女を引きずると、堪らず女は喚き立てて男の後ろ脚に噛み付く。なり振り構わず必死で逃げようとするうちにペニスの膨らみが収まり始めたのか、突然尻が離れ、ふたりはそれぞれ反対方向へ一目散に走り去った。「ひでーことするな」と佐藤くん。「目茶苦茶するなあ」と中祢くん。でもチベタンたちはにやにやし、俺はアハハと笑って「ざまあ見ろ」と心の中で呟いた。
少し歩いた先の路地裏で、先程の彼が自分のペニスを嘗めている。色即是空空即是色、諸行無常の雨霰。止めを刺して吠えられた仕返しをしようと石を手にするが、鬼の心に一円の慈悲、彼のあまりに情けない吠え面に、同情してしまった。
部屋に戻ったものの手持ち無沙汰で、再び表へ出る。門の外でさっそくチベタンの少女や子供に取り囲まれ、くれくれ攻撃を受けたが、なんとか脱出して橋の方へ歩いて行く。 なんとなく景色がすっきりしている。そういえば禿山の背後にあった雲がない。注意深く見ると、茶色い山の上に白い尖んがりが僅かに覗いている。もしかして…。右側へは無理と顔を向けずに南側の視界が広がる橋の上を目指す。
橋の中程で右を振り向き立ち止まった。全開のヒマラヤだ! 広大なティングリ平原の向こうに白い巨人たちは聳え立ち、冷たい烈風を吹きつける。正面には巨大なチョー・オユー、左の方に離れてチョモランマの独特な三角形が突き出ている。ヒマラヤのオーラは疾風(はやて)となって耳許を吹き荒び、タルチョのはためく音を吹き飛ばす。なんにも無い大地に、ただ風が吹いている。

9月25日

村は夢の帳の中にあり、犬たちも静かにしている。
村を抜けて平原へ出る。雲ひとつなく風もなく、ヒマラヤはまだ地球の影に潜んでいる。しかし東の空はもう白み始めている。
南へ延びる道をゆっくり進む。
視界の開いた西の方を振り向くと、山の稜線に向かって濃紺から紫そして薄紅へ、空が染まっている。澄み切った空のグラデーションを佇んで見ていると、顔を伝って冷気を感じる。月は高く、太陽は東の向こうに隠れている。この西空の色は一体どういうことなんだろう。 気がつくと、いつの間にかチョー・オユーの頂が輝いている。
やがてはっきりし始めた光の領域が、徐々に下ってヒマラヤを包み始める。チョモランマの奇妙な三角形が一部を明るく光らせている。右手のヒマラヤの一群は意外に高く、かなり早くから光に染まっている。西の空を振り返ると、グラデーションが幾分薄まっている。
一頻り写真を撮り、平原を足に任せて歩みだす。平原は何処までも陰の底。
籠を背負ったチベタン女性がヒマラヤへ向かってどこまでも行く。中祢くんもどんどん先へ進む。西へ目をやると鳶色の山並が光の領域に入り始めている。
小川を越え、何となく中祢くんの後を追う。遠く離れたところを男が一騎、ティングリへ向けて馬を歩かせている。
西の山並の麓まで光は陰を駆逐し、やがて気がつけば、いつの間にかすぐ近くにまで朝の光が届いている。
しかし、そこからなかなか近づいて来ない。
東の尾根を見上げる。この山さえ無かったら…。振り返れば、明るい朝日を浴びながら、ティングリへ向かう一人の男の後を、二頭の馬が離れて付いて行く。思いっきり飛び上がる。太陽は、見えそうで、見えない。
程なく陰から光の世界に解放され、間もなくダウンジャケットを脱ぐ。
何となく小川の辺りに四人が集まった。
「わたしはね、チョモランマを肴に一杯、一度これをやってみたいのよ」ラサでそう言っていた美希ちゃんが、用意してきた中国製白ワインのボトルを取り出す。いつの間にか籠を背負ったチベタン少年が側にいて、彼女がコルク栓を抜こうとしているのを真ん前に立ってじっと見つめている。
静かに栓を抜き、白いマグカップに注いで回し飲む。
ティングリ平原から黄色づいた光がなくなり、透明な光の中で一日が始まろうとしている。ヒマラヤが澄んだ光の中で白い輝きを放つ。チョモランマの頂上付近の気流が小さな雲を次々と作り、そして消し去る。紺碧の空に、白い星がはっきりと浮かんでいる。
さあ出発だ!「草原のマルコ」を心の中で口遊みながら車に乗り込む。車は軽快に飛ばして瞬く間にホテルから遠ざかり、ずんぐりした丘がゆっくり小さくなってゆく。そして丘の右手にチョー・ユーたちが再び現れた。
中祢くんが止まって欲しいと言った。停車して写真を撮る。チョモランマが裾のほうまで姿を見せ、西へ延びる稜線がはっきり判る。「ここからの方が眺めいいじゃん」と、佐藤くんは少々悔しそうだ。
いつの間にか川谷に入っていた。徐々に緑が減り始め、やがて谷が広がってくると、束の間ヒマラヤらしき白い三角形が谷間から覗く。 川から離れて谷の東斜面をゆっくり上り出すと、谷底はますます広がって草原のようになり、やがて右へ急旋回して西へ向かう。
西へ行く谷の向こうにランタン・ヒマラヤが見えている。この谷を辿ればペク・ツォやシシャパンマ北BCへ行けるが、更に先へ進めば、いずれヤル・ツァンポの谷がカイラスへと誘(いざな)う。
いよいよ最後の峠への登りが始まり、丸い巨大な丘陵を道はのたくる。そして最後の急坂を登り切ると、そこからは左へ緩やかに傾いた荒れ地の広がりが続く。
そのうち長く緩やかな登り道の先にヒマラヤの白い尖んがりが地面から迫り上がり、やや遅れて、今度は右斜面の背後からシシャパンマの巨大な山塊が少しずつ現れてきた。
シシャパンマに気を捕らわれていると、何時の間にかチベット最後の峠が行く手に見えていた。向こう側から一台のランクルがやって来てスピードを落とす。するとチベタンが窓から紙片を放り投げ、そして再びスピードを上げて我々の車とすれ違った。
峠に降り立ち振り返る。大きなシシャパンマだ。前回は分厚い雲に殆ど隠れ、果たしてそれがシシャパンマかどうかさえ判らなかった。それが今や殆ど全開状態だ。前を横切る小さい雲が少し目障りだが、これで良しとしなければ我が儘すぎる。
目をそのまま左へ転じれば、ラッシュアワーの波打つ茶色い大地の上に、ヒマラヤが遥か東へと連なっている。東の目の前には五千メートル級の無名の山群が盛り上がり、頭上には蒼穹が広がっている。
足許に小さな紙片が落ちている。拾って見ると白い紙に馬の絵が印刷されていた。
車に乗り込み峠を一気に下る。もう高度を上げることはない。
ニェラムに到着。
ニェラムの雰囲気は随分変わっていた。コンクリートの建物が目につき、ホテルの看板まで幾つかある。前回入った飯屋のような木造平屋建の店はもう見当たらない。飯屋はコンクリートの建物の一階にテナントとして入り、数も格段に増え、客引きめいたことまでしている。そのせいか以前より活気がある。
漢族料理の飯屋で昼食を取り、小一時間して出発した。
乾燥した大峡谷から雲が次々と湧き上がってくる。徐々に植物が増え始め、スイッチバックしながら一気に谷底へ降りる。
対岸へ渡り、キャンプサイトのような河原を右に見ながら進む。緑は一層濃く、谷も再び険しさを増して深く切れ込んでゆく。
知らぬ間に川は道より先に下へ下へと落ちてゆき、そして道も落ちてゆく。いつしか周りの峻嶮は蒼々として瑞々しく、尚も道は落ち続け、二千メートルの落差を一気に谷ごと下っていく。
雲の下へ出る頃、胸の辺りに妙な苦しみを感じた。気圧の変化に肺が戸惑っているようだが、すぐに慣れる。空気に水気を感じ、心なしか微かに甘い。
高地では見かけなかった花が咲き、小鳥の姿が増える。植物の背丈が一気に高くなり、いつの間にか樹木がある。辺りは滝の見本市だ。空気が湿り、何より濃い。この翠嵐はもはやチベットではない。
やがて車は小雨の中をダムに着く。車から降りると、自分の体臭が匂ってきた。

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続き…☞

足跡

※旅游証

入境許可証のこと。未開放地区の旅行を許可した証明書で、本来なら航空券の購入にも必要。実はこの日、許可書がないために買えなかった外国人が別の窓口にいた。本文に戻る☝

※ダム

ネパールとの国境の村。中国名ジャンムー、ネパール名カサ。ちなみにネパール側の国境の村はコダリ。本文に戻る☝

※ランクル

当時、チベットを走る四輪駆動車の大半が、黄土色したトヨタの中国製ランドクルーザーだったことから四駆の代名詞に。「ランクル」はチベットの欧米人にも通用し、世界で最も有名なガイドブック「ロンリープラネット」のTIBET篇にも当時すでに使われていたように記憶している。本文に戻る☝

※コルラ

ゴンパなど宗教物や聖地の周りを右回り(時計回り)で廻ること。ボン教徒は左回り(反時計回り)。本文に戻る☝

※雲南省

日記では甘粛省になっていたが、その後ご本人からの指摘があったので訂正します。本文に戻る☝

※チョルテン

仏塔。ストゥーパ。この寺の仏塔はデカイです。本文に戻る☝

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