第一章 巡礼

1993年5月31日〜6月22日

目次

諦めの国の勝手口
ピエロ見物
トツゲキ天国

往きはよいよい

風に吹かれて

足跡

諦めの国の勝手口

5月31日

ジグザグの急坂を上って川から離れると山は土色の地肌を露にし始めた。疎らな灌木の緑がくすんでゆく。空の青さは今までとは比べものにならないほど深く、光が煩く散乱している。サラサラした空気に、さほど息苦しさは感じられない。
程なく道路工事の現場に差し掛かかり、ぼろ雑巾のようなチベタン工夫たちが一斉に顔を上げる。視線をよこす彼らの向こうに埃っぽい街道の集落が控えている。ニェラムだ。
ニェラムから本当のチベットが始まる。丸みを帯びた禿げ山が居並ぶ巨大な谷は、石がちた土塊(つちくれ)と光の世界。貴重な緑色にも土色がにじみ、光の圧迫に喘いでいる。大きな自然だ。おりふし現れる遺跡のような土壁の集落やヤクの放牧に見飽きてしまっても、尚もじんわりとしか流れてくれない大味な景色を、ただひたすら気長に眺めているしかない。ただ漠然とガラス窓の外に目を向け、頭の中が空っぽになる。

ひときわ甲高くエンジン音が鳴り響いた。いつの間にか大きな丘の麓にいて、急斜面が目の前に迫っていた。上り始めると見た目以上に巨大で、山のようだが、それでも唸りながら車はジグザグに上ってゆく。
左手に大半が雲に覆われた白い山の塊が現れた。シシャパンマだろうか。だとすればその右奥の白い塊は……あっ、そうだ。記憶の地図を頼りに反対側を振り返る。すると、それまで一つ一つが圧倒的だった茶色い山々は、今や無数の丘の重なりでしかなく、その奥にひときわ高く盛り上がった白い輝きが遥か東方へ連なっている。国境のヒマラヤ___ネパールはあの向こう側だ。静かな感動と共に実感する、ヒマラヤを越えたんだ。
峠には大小様々なラプツェという石積みが林立し、その間を旅の安全を祈願する五色の旗タルチョが張り巡ぐっている。やがてヒマラヤは地面の下へ隠れ、そして石河原のような睡魔の巣窟を進むうち、眠ってしまった。

1989年9月、風太さんは語った。
ある朝の瞼や躯の異様な重さに耐え切れずに初めて勤めた会社から発作的に逃げ出したボクは、進む方向を見失っていた。そんなボクに、風太さんの言葉はとても刺戟的だった。七十年代のインドの旅、西表島でのヒッピー生活、住み着いた島での鰹漁、礼拝するアフガン難民、売春、雲南省の少数民族、チベットの話、……。
確かに奴隷を解放した功績はある。立派な道を作って発展したかもしれへん。でもな、その道をでっかいトラックがスピードだして飛ばして行きよるねん。もちろんトラックだけやあらへん、バスもや。そんなんが元からいたチベタンを脇に追いやって、ほん近くをビュンビュン飛ばしていきよるねん。ほんま危ないし、通った後は土埃が濛々としてな、それでもチベタン、黙々と五体投地しとんねん。いったい、誰の為の道なんや……。
風太さんがチベットを訪れたのは1987年のラサ大暴動の直前だった。
「あのチベタンがあそこまで怒るやて、ほんま、余っ程のことやで」
次の日、上海へ向かう風太さんと別れ、ボクは成都へ向かってウルムチを発った。
成都では初めてチベタンを目にした。大柄なラマ二人を、まるで天上人でも見るかのように離れたところから拝んだ。
大理に着くと、チベット入りを試みた旅行者たちの噂話が耳に届いた。みんな途中で捕まり、罰金三千元(当時のレートで約十万円)を支払わされて追い返されたらしく、唯一の成功例にしても、検問で見つかったときに高山病で倒れ、意識を取り戻した時に病室の窓からポタラが見えていたと云うものだった。
そんな大理で、ある一枚の写真を目にした。日本人男性が持ち歩いていた「とっておきの一枚」の真ん中に幼いチベタン少女が立ち、その後ろに丸裸の荒野と雲ひとつない碧空が写っていた。でも、何より魅せられたのは、その子の愛らしい笑顔だった。
日本に戻ると、どの本にもチベットは「外国人の自由旅行は禁止」と書かれていた。翌年も、翌々年も、そうだった。憧れが募る一方で、エンドレスに連なる夢の遥か彼方の諦めの国へ、チベットはどんどん遠ざかっていった。
四年後、再び日本を脱出した。夜遅くに転がり込んだバンコクの安宿で荷物を解いていると、ネパールから来た青年が、いとも簡単に諦めの国の勝手口を開けた。
「チベットなんて、みんな行ってるよ」
気がつくと、勝手口の扉の隙間からあお鼻たらしたチベタン小僧が覗き込み、親指立ててクチクチと笑っていた。

ピエロ見物

国境を発った翌昼、ラサに到着した。雪が降って道が泥の川に化けたり、崩れた道を川床に迂回したりで、大変な悪路だった。にもかかわらず、エンストなど車のトラブルや高山病に見舞われることなく、また心配していたシェカール手前のチェックポストもパスポートの簡単なチェックだけで済み、大きな停滞は一度も起こらず、済んでしまえば道中は順調そのもののようで、それが逆に物足りなく、肩すかしを食らったような気分だった。しかし、それだけによけい驚かされた知らせがラサで待ち受けていた。一週間前に暴動があったのだ。
カトマンドゥを出発したのは暴動の四日後に当たる。もちろんカトマンドゥの旅行者には暴動の噂すら伝わっていなかったが、チベット国境の封鎖の噂がその前日から急に囁かれ始め、私は当然無視を決め込んだが、中にはラサ暴動の可能性を言う人もいて、その規模によっては国境封鎖が長引くだろうと分析した。とはいえ、実際に行ってみると国境は開いていて、問題なく越境できた。なーんだ、やっぱり噂はガセだったんだ。噂を屑籠に捨てて、私はラサという観光地を無邪気に目指したのだった。
そうしてラサで最初に出会った日本人に、ネパールから来たことを告げる。と、彼はあからさまに驚いた。国境封鎖の未確認情報は、ラサではより断定的な響きをもって旅行者の間に流れていたのだ。そしてその根拠を訊いて、今度は私が吃驚した。
さて、「暴動」と聞いてTVニュースで観た天安門事件をすぐ思い浮かべたが、旅行者たちの話をまとめると、「暴動」という言葉は使いたくなくなる。チベタンのデモ行進は平和的で、武装警察が介入しなければ騒ぎは大きくならなかった筈だと、誰もが口を揃えるのだ。
ところが、デモ行進がパルコルに東から差しかかった時、いきなり催涙弾が南側から撃ち込まれ、武装警察が制圧に出た。逃げ惑う丸腰のチベタンを警棒で殴り、蹴り、蹂躙した。その様子をジョカンの屋上から隠れて撮影していた日本人は、催涙弾の直撃で老婆が死んだところをファインダーの中に目撃し、最低二人は確実チベタンが死んでいると言った。
チベタンの生活を調べに来ていた日本の大学院生は、ラサの平和は表層だけのことだと断言する。「この前のデモで相当ピリピリしていて、なかなか本音を口にしませんけど、でも、チベット人は怒ってます。ラサは穏やかに見えますが、マジで相当不満が溜っているのを話していてよく感じるんです」
また彼は、個人的な関心からチベタンたちに最も尊敬する人物が誰なのかを調査ついでに質問していた。「ダライ・ラマ五世とかパンチェン・ラマとか、あとミラレパ、パドマサンバヴァとかね、もう少し他の名前も挙がるかなと予想してたんです。でも見事にみんなダライ・ラマ14世でしたね。中国政府が恐れているのは何よりこの根強いカリスマ性というか人気というか、そこにあるんでしょうね」

そんなラサに着いた翌々日、ひょんなことからシンガポール人のシャンと日本人のマサトと私の三人は、一緒にカイラスを目指すことになった。おかげで西チベットへの足探しで多発する朝改暮変に七転八倒する毎日だったが、最終的には運良くチャーター・バスの切符を手に入れることができた。そのうえ出発までに少し時間ができたので、殆どラサ観光をしてなかった三人は、気分転換を兼ねてラサ三大寺のひとつデプンを参詣することにした。
参道を歩いているとチベタン姉妹弟が土産物を売り込んで来た。長女と次女はそろそろ微妙なお年頃の美少女で、一生懸命売り込んで来るのを可愛く思いながら、買う気もなく適当にひやかすだけで通り過ぎようとした。すると誰かが石を投げつけてくる。振り返ると、弟が精いっぱい凄みをきかせて我々を睨みつけ、刃の無いナイフで威嚇している。なんだか妙な気配を訝っていると、いつの間にか次女が泣きながら長女の背に隠れ、それを弟が庇おうとしている。なるほど。すぐに察しはついた。
シャンにも困ったもんだ。通じないのをいいことに、英語で街の娘に「あんた(の値段)は、いくらだ」と、フェミニストから袋叩きにされても仕方のない「ジョーク」を、彼はよく吹いていた。そして案の定ここでもやらかしたのだった。それも中国語で。彼のことだからチベタンの子供に分かるまいと高を括っていたのだろう。しかし彼女は脅え泣き、弟は怒った。
ところが、驚いたことに長女だけは思わぬ商談に大喜びし、終には逃げ腰のシャンから強引に約束を取り付けたのだった。自分が買われる立場でも彼女は積極的に交渉するのだろうか。約束の場所が彼女たちの家というのも気を重くし、脅え泣く次女と、怒る弟と、笑顔の長女と、三様の姿が頭の中で渦を巻き、チベタンに抱いていた暢気な幻想を打ち崩していった。

トツゲキ天国

6月11日

バスに乗り込むと早速トラブル。オレとシャンの席に、ぼさぼさ頭で公安服姿の若いチベタン男と民族衣装の若いチベタン娘が座っていた。ダブルブッキングかと思いきや、なんてことはない、二人は *票(ピョウ)を持っていなかったのだ。随分ごねられたが、周囲の加勢もあり、何とか後ろの席へ退いてもらった。
6時30分、全ての乗客が席に収まり、淡闇の中をバスが動き出す。影絵のようなポタラに再会を約束し、いよいよラサ脱出の感慨に耽っていると、郊外でトラックがバスを待っていた。荷台からはみ出して荷を満載したそのトラックに何かトラブルでも起こったのか、その場で三十分も待機させられたが、その後はなんのトラブルも無く、無事トラックと共にシガツェに到着。予定ではラツェまで進むことになっていたが、結局シガツェに泊まることになった。
大きな空き時間ができたので、シャンと俺はタシルンポを観光しに、マサトはカメラの電池を探しに出掛けることにした。
タシルンポは立派な伽藍の大寺院だった。しかし、デプンに続いてまた参拝時間を外したようで、殆どの扉に鍵が掛けられ、たまたま日本のテレビ局の撮影で唯一開いていたお堂も拝観料の未払いで追い出された。
どこをどう歩いているのかサッパリ判らず、そのうち入ってはならない所へ踏み込んでラマを怒らせ、投石から逃げ出して裏路地に逃げ込むと犬の集団が行くてを塞ぎ、ぎこちない空気に数匹が唸りだした。後ろを振り返るとシャンが壁の仏像を必死に拝んでいる。___スリルとサスペンスのラビリンス、タシルンポ・アドヴェンチャーランドへようこそ___ふと活字の映像が頭に浮かんだ。
ホテルに戻ると、暫くして帰ってきたマサトが「トモコとマリコに出逢ったよ」と言った。トモコといえばシャンがラサでべた褒めしていた女性で、マリコは同じく苦手だと言っていた女性だ。二人とも下で待っているというから興味津々で一階へ降りると、そこに見覚えのある顔、そう、ラサの鍋宴会で同席した二人だった。
彼女たちもカイラスを目指しており、「通路でもトラックの荷台よりはましよ」とバスをヒッチすることにした。そして夕食のあと食糧調達を済ませてから再びホテルを訪れた二人は、ドライバーと交渉して二百元で話を決めた。

6月12日

未明のうちに出発。やがて日が昇り、暫くしてナキウサギを見かけた峠道に突入する。峠に達すると、バスは大きなラプツェの左側を豪快に回り込み、乗客のチベタンたちが大喜びして「ゾー、ゾー、ゾー」と叫んだ。
ラツェの食事休憩はバスのクラクションに急き立てられて、慌ただしく出発。
やがて南下する中尼公路を外れて、そのまま西進する細い田舎道へ入る。途端に道の状態が悪くなり、バスの揺れが酷くなった。西チベットへの道が遂に始まったのだ。
少しすると先行していたトラックが石河原でスタック。みんなの助けを借りてすぐに路上へ復帰できたが、そのまま休憩になった。
トラックのドライバーが南伸介に似ていると、マリちゃんが言い出した。顔はそれ程ではないが、なんとなく剽軽なところと体型が似てなくもない。そんな訳で彼の呼び名が「シンスケ」に決定した。するとトモちゃんがラサを発つ時に座席で揉めた頭ボサボサ男を「ハレンチ学園」と命名した。その時は納得したが、彼の姿はむしろ「花の応援団」だな。
ヤルツァンポの渡し場に到着。乗客は皆バスから降ろされた。
いよいよ順番が巡ってきて、バスやトラックに続いて乗り込む。筏は満杯状態で、中年女性が一人で渡し代を徴収してまわる。間近で見るヤルツァンポは流れが速く、その藍色は光に疲れた目を癒してくれる。風が吹き抜け、ワイヤーが軋む。短すぎる船旅は終わり、対岸に着いた。ガイドブックに書いてあるようなチェックポストはなかったが、その代わり印象的な雪山が一つ、西の碧空に輝いていた。
次にバスが停車したのは、土壁の建物が数棟寄り添っただけの集落だった。
する事もなくぶらついていると、トモちゃんが「あっちで食事してるよ」と知らせてくれた。空腹ではなかったが、なんとなく行ってみると、大きな一室で乗客のチベタンたちがヤクの乾燥肉とカシュガルパンで食事している。その奥にマリちゃんの姿もあった。
チベタンは刃渡り十数センチもある自分のナイフを巧みに使い、乾燥ヤクを適当な大きさに切り取ると、その塊に噛みついてはナイフで切り取り、咀嚼する。妙にカッコいいので真似てみたが、手入れを怠った刃渡り数センチの五徳ナイフでは、どうもやりづらい。しかし見かねたチベタンがナイフを貸してくれた。これで様になる、と思いきや、今度は驚くほど切れ味が鋭く、自分の唇まで切りそうな気がして手がすくみ、動きがぎこちない。幸い遠慮して切り出した塊が小さかったので最後までやり通したが、いくら不慣れな事とて、なんだか男として口惜しいものがあった。
そのうちトモちゃんが戻り、マサトも現れ、四人が不慣れな食事をしていると、隣りにいたチベタンが美味いかと訊いてきた。四人して「好(ハオ)」と答えると、彼は大きな塊を一人ずつ切り取ってくれた。でも、俺は唸った。とろ〜んとした大きな塊が見えている。どう見ても生の脂だ。細菌、黴菌、ブドウ球菌、サルモネラ菌、赤痢菌、赤痢アメーバ、ウイルス、食中毒、肝炎、腸チフス、エトセトラ、エトセトラ、……。躊躇したあげく、肉で脂を挟みこみ、息を止めて一気に口の中へ。むわ〜ん。ぬるぬるした気分が舌に絡みつく。少しでも呑み込もうとすると吐き気が押し返し、それを我慢して殆ど噛まずに丸呑みし、急ぎバター茶で流し込む。口をすすいでもスッキリせず、以後、食は進まない。ちなみに、ここより先はコーケンまで飯屋がなく、したがってこれが本日の「ディナー」だと知ったのは、その後のバスの中でだった。
黄昏れてきた頃、宿に到着。気が付けば、もうたっぷり暮れていた。
漢族(ハンズウ)の男たちが *761を差し入れに持ってきた。ラツェのあと何も食べていないのではと心配してくれたらしいが、彼らの方こそヤク肉の「ディナー」を食べていないと言う。腹は減り気味だったが、彼らの心遣いだけで十分嬉しかった。
洗顔したくても犬が怖くて一人では外へ出たがらないシャンにつき合って自分も顔を洗ったが、井戸水はとても冷たく、用を済ませたシャンはそそくさと部屋へ戻った。窓の燈に背を向けて天を仰ぐと、光の川が見渡すかぎり大洪水を起こしている。星が抄えそうな気がして手を伸ばしてみると、指の間から光の雫がこぼれ落ちた。

6月13日

標高五千メートルの谷あいの道をのろのろ進み、途中、宝石のような湖の青さに感動する。そのうち野兎が頻繁に現れ始め、道近くの窪地にタルバガンのコロニーを見つけた。
しかし、暫くするとのウサギの姿は途絶え、少しして石だらけの広い荒野に出る。
バスが右折した。南ルートとの分岐で、これより北ルートを辿って北上する。ほどなく右手の河原に温泉が、しかし残念ながら素通りし、やがて大きくうねる広い傾斜地へ出た。
左斜め前の二人が窓の外を指して何やら話し合っている。なんとなく彼らの指の先を辿ってみると、キャンだ。遠くに一頭、バスと同じ方向にだく足で進んでいる。体毛の明るい色が保護色になり、一瞬でも目を離せばすぐ見失ってしまうだが、ふと前に視線をやると、稜線の上にも一頭、真っ青な空を背に頭をこちらへ向けて佇んでいる。しかし、やがてだく足のキャンが行き着くと、二頭並んで稜線の向こうへ姿を消した。
再び左手の離れたところを何か野生動物が軽やかに趨っている。大きな灰色の犬のような……もしかして狼?! 距離的にはキャンがいたのと同じくらいで、追跡しているように見える。周りに放牧の群れは見当たらないし、やはり野生の狼だろうか。
キャンと同じ稜線を越えて山吹色の平原に出た。それにしても、キャンが生き延びるだけの緑を、この光景は一体どこに隠し持っているのだろうか。全ての物に色があるというより、色んな光の集散が存在の全てに見える。たとえるならモニターに映るCGの世界。さしずめバスの窓はモニターで、エンジン音はドライバーのモーター音だ。一見単調な映像だが拡大すれば様相が変わるかもしれず、隠れキャラが潜んでないとも限らない。ほら、右のモニターをご覧あれ。あの丘に挟まれた奥まりに野生の馬が群れている。よく見るとその周りの斜面に植物らしい黒っぽい点々があるではないか。確かにあれくらいでは焼け石に水だけど、きっと他にも光の中に潜んでいて、その総量は意外に多いのかもしれない。
ところが、買いかぶりということも間々あることで、ほどなく目測以上に大きな丘の稜線を越えると、それまでの単純に定型化されたような黄金色の大地は、龍の背のように大きくうねるくすみ色褪せた荊棘に一変した。球状に茂る背の低い茨ようの植物が、どこまでもどこまでも続いている。このあまりに単純な回答に、思わず鼻で笑った。何が隠れキャラだ。あるところにはあるのだ。
野生動物も姿が増えた。もはや野兎など珍しくもなく、バスの前方では無数の地ネズミが慌てて右往左往し、まるで地面が沸き立っているようだ。右手の斜面を灰色の狐が逃げていく。再び遠くに野生の馬群。隣りでシャンは寝息をたて、通路でトモ・マリはうつらうつら、腰を浮かして前列を窺うと、マサトの横顔は無表情に外を眺めていた。
縦長の大きな湖が出現した。空を切り取ったような碧い湖面の周りを枯れ色の草原が取り囲み、美しい曲面が青黒い山脈に連なっている。所々に氷雪を纏った山脈が湖面に姿を落とし、その背後には隅々まできっちり青いチベットの空がある。
湖へ向かう途中で道は不意に曲がり、山の懐を行く。湖岸には湿原が広がり、火照った網膜を潤す。小さなツバメの仲間が機敏に飛び交い、ガゼルが楽しそうに跳ねている。鴨などの水鳥、鷹のような猛禽類、巨大な鴉、レイヨウの仲間、大鹿の群れ、野兎、……ああ、こんなに沢山いっぺんに、なんてこった、言葉が追いつかない。
湖の北岸で休憩。
地面に直径四センチほどの穴が幾つも開いてるのに気が付いた。立ったままじっとしていると、一匹の地ネズミが近くの穴から顔を覗かせ、暫く鼻を蠢かしてじっと辺りを窺っていたが、ふいに穴から出てきた。体長七センチほどの褐色の丸い体に、小さな耳、真っ黒い目、短すぎるのか尻尾は見当たらない。十分くらいは息をひそめて凝視していたが、我慢しきれず僅かに状態を屈めようとした瞬間、地ネズミは穴へ逃げ込んだ。すぐしゃがんで巣穴を覗きこんだが後の祭り、再び姿を現す前にバスが出発してしまった。
広々としたところで再び休憩に入る。
早速チベタンたちは石組みを作って持参のヤク糞や拾い集めた木切れなどを適当に積み、ハレンチ学園が大型のバーナーで豪快に火を点けた。そしてその間に近くの川から水を汲んでおいた大きな薬缶を火にかけて、放っておくと小さくなる火を頻繁にバーナーで炙り、火力を維持する。まるで示し合わせたようなスムーズな流れだが、働いているのはチベタンの女と数人の男だけで、残りの男どもは早々とくつろいでしまい、ヤクの乾燥肉や薫製肉を口にしている。
やがて湯が沸けば四角く固めた茶色い茶葉を割り入れる。いっとき待って、煮立ったところでバスのマネージャーが予めバターを入れておいたポリタンクに濾し入れ、蓋をしっかり閉めてごしゃごしゃと振る。途中でハレンチ学園が替わり、力任せにめちゃくちゃ振り回したがすぐ息切れしてマネージャーに返した。
マネージャーに続いて他のチベタン男も自分のコップに茶を入れに集まり、その様子に漢族たちもさっそく水筒代わりの容器を空にして順番を待つ。しかし、薬缶の中身を熱湯だと思い込んでいた漢族は、出てきた琥珀色に驚いて捨ててしまった。
ふと見れば、いつの間にか*ツァンパ入れと木の茶碗を敷物の上に並べて、女たちがバター茶の出来上がりを待ちながらお喋りをしている。その横でただ一人、黙々と汗をかきながらポリタンクをふり続けるマネージャーは、ようやくバター茶ができあがると女たちの茶碗に注いでやり、女たちと一緒にツァンパの食事を始めた。
ハレンチ学園の他に公安の制服を着た男がもう一人いる。少しだけ英語が話せるのだが、とにかくよく笑う明るい男だ。日本語を知っていると「ミシミシ」「バカヤロ」を繰り返すので、「ミシミシ」じゃなく「メシ」だと教えてやると「メシメシ」と言って可笑しがる。ところが、別の男が乾燥肉を掲げて「ミシミシ」と叫んだ為に、彼の「メシメシ」は「ミシミシ」に逆戻りしてしまい、ますます調子に乗って「ミシミシ」「バカヤロ」を繰り返す。もうどうでもいいやと一緒になって騒ぎ出すと、そのうち彼は「トツゲキー」と何度も叫んでは大笑いし始め、しまいには笑い過ぎて涙を流し、ハンカチで拭いながら尚もヒクヒク笑い続けた。かと思うと急に真顔になり、日本のポリスのことを知っていると英語で言う。「コウバン、キドウタイ、ケイサツ、……」
女たちが日本人四人を手招きしてツァンパを勧めてくれた。袋ごと手渡されて加減も判らず適当にマグカップにもらうと、もっと食えとどっさり入れ足してくれた。しかし、あまりに粉だらけで、これでは喉に通りづらい。そこで茶を注ぎ足して食べ易くしようとしたのだが、逆に足し過ぎてしまい、記念すべき初ツァンパを単なる不味いスープにしてしまった。後悔してももう遅い。こちらの反応を窺う女たちの目の前で大量のツァンパを飲み干し、笑顔を取り繕う。そして日本語で一言、「不味い」
「それにしても、絶対一緒には食べないなあ」だしぬけにマサトが呟いた。気が付けば、チベタンの食事風景から外れて漢族たちは彼らだけでかたまり、761や軍製の缶詰で静かに食事をしている。そういえば昨日の「ディナー」もチベタンだけで、漢族は一人もいなかった。
「どうして仲良くできないんだろうね」
マサトはそう言うが、本当に仲が良くないのか、あるいはどうなのか、俺は判断しかねる。たまたま漢族たちが単にヤク肉嫌いで、バター茶に使う茶が口に合わないだけかもしれないし、別行動即ち不仲では芸能マスコミを嘲えない。民族対立の図式はオールマイティーではなく、現に個人同士だと決して仲は悪くない。ただ、二つの食事風景の間には微かな緊張感があり、もしかすると歴史的怨恨と民族的蔑視とが鋭く向かい合っているのかもしれない。やはり集団を意識すると民族意識が頭をもたげるのだろうか。
さて出発の時間になり、笑い上戸の公安が大声で繰り返す。トツゲキー。トツゲキー。
通路を挟んだ隣りは二人の若い軍人だが、彼らは朝から元気がなかった。特に窓側の方は顔色が悪く、そのうち鮮やかな緑色の嘔吐を激しくしだして、酷い乗り物酔いだと思っていた。ところが様態の悪化は更に進み、気がつけば肌は土色で、まともに座っていられないほど衰弱が激しい。もはや素人目には高山病以外に考えられず、ようやくただ事ではないと気がついた。このままでは本当に死んでしまう。なのにもう一方の軍人は、心配どころか、もたれ掛かる彼を厄介者のように扱う。酸素が薄いというだけで、人間とはかくも簡単に壊れてしまうものなのか。窓の外で黄色い大地が嘲ら笑い、大空が碧くとり澄ましていた。
コーケンに到着。
記帳を済ませて部屋に入ると、四つあるベットの一つに高山病で死にそうな軍人が寝ていた。付き添いに民間人も一人いるが、軍人の姿がない。恐らく医者を呼びに行ったのだろうが、それにしても無責任ではないか。「どうして重病人の仲間をひとり外人だけの部屋に入れるんだ」と、マサトも憤慨した。
とはいえ、気分が悪くて朝から何も口にしていないと言うので、マサトがオレンジの粉末ジュースを作ってあげた。しかし、彼はそれを頑に拒否し、付き添いの用意した缶詰のパイナップルを少しだけ食べ、すぐに吐いた。何もそこまで片意地を張る必要なんてないのに、やはり外国人は不安なのだろうか、それとも外国人の作ったものは口に入れるなとでも教育されているのだろうか。あるいは単なるミカン嫌いなのか。よく解らん。
ようやく医者が来診し、その後から軍人も五、六人程ぞろぞろ現れた。
診察が終わると、医者からきつく諭されて彼は初めてオレンジジュースに口をつけ、粉薬を飲んだ。そして酸素吸入とブドウ糖の点滴を受けた。付き添いから経過を訊いた医者は、マサトの機転の良さを褒め、軍人たちの頼りなさを嘆いた。それでも最後まで何もせず傍観していただけの軍人たちは、退出する医者の後ろをぞろぞろと帰ってしまった。

6月14日

朝、バスに乗り込むと、空いている筈の通路の前半分が大量の荷物で埋まり、その合間に壮年の男女と老年のチベタン三人が収まっていた。むろん後から現れたトモ・マリは、暫しこの様子を呆然と眺めていたが、すぐさま何も言わずに彼らの荷物をどかして自分たちの荷物と一人分のスペースをなんとか確保した。それ以上は三人に詰めてもらわないと無理な様子だが、しかし、動く気配は全くない。さて、どうするか。
意地悪く眺めていると、トモちゃんがすっと立ち上がった。彼女の顔は既にこわばっており、眉間に皺よせて三人を睨みつける目が、どんどん尖っていく。そして、
「ちょっとぉ、後から来たくせに少しはどきなさいよ!」
やっちゃった。でも効果はてきめん、日本語だけど。彼らはもぞもぞと動きだし、マリちゃんが黙って荷物を動かした。
広い大地をとにかく走る。気がついてみると南ルートとの分岐から道らしい道が殆どない。辿るタイヤの跡が道ともいえるが、それすらも途切れることがある。
バスが止まった。遅れて来るシンスケ号(トラック)を待つだけのようだが、周りは何も無い光の吹き溜まり。遠く湖の辺りに時おり旋風による小さな竜巻が舞い、塩なのか、白い地面が湖の左に細く続いている。
このところトモ・マリの関心はバスのドライバー「シーナ」にある。二人によると、シーナは毎日服装を変えていて、なかなかの洒落者らしい。精悍な顔は眼光鋭く色黒で、どことなく椎名誠に似ている。長身で脚が長く、男の目にも確かにカッコいい。
さて、ようやくシンスケ号が姿を現した頃、チベタンの男たちは車座になって談笑していた。しかし、シンスケ号が真っすぐ車座に向かって来るので男たちは急いで立ち退く。
ところが、シーナだけは胡座をかいたまま動かない。シンスケ号はかなりのスピードでどんどん接近して来る。見ている鼓動もだんだん高まり、エンジンの唸りが耳を捕らえた。平然と胡座をかくシーナ。シンスケ号のスピードが上がる。何を考えているのかシーナはにやにやしている。信じられない思いで見ている間にシンスケ号はみるみる迫り、そして、とうとう、ぶつかる!……シンスケ号が止まった。シーナのにやけた顔が運転席を見上げている。シンスケも笑っている。シーナはむくっと立ち上がり、運転席から降りてきたシンスケと言葉を交わした。
さて、出発。
気がつくと、肘掛けに掛けてある水筒の肩紐がピンと張って動かない。紐の先は通路に座っているお爺ちゃんの分厚い綿入れだ。もしや下敷きに? そう思い、強めに引っ張り上げると紐伝いに鈍い音を感じた。お爺ちゃんも気がついて横に寄ってくれたが、持ち上げると、やはり縫い付け部分の糸が切れて肩紐が取れていた。
キャップについた紐一本で振り子のようにぶら下がった水筒を、お爺ちゃんはハハハと笑う。しょうがないから俺も笑う。肩紐を括りつけて応急処置をすると、お爺ちゃんは頷いてニコニコする。つられて俺もにっこり頷いた。
今日の宿泊地ゲルツェに到着。
通りすがりの中国人が案内してくれなければ絶対それとは気がつかない、ちゃんとした料理屋で、まともな中国料理にありついた。そのうえ店の主人も娘も愛想がよく、案内してくれた中国人も交えて気分よく食が進んだ。
店を教えてくれた彼は中央から派遣された漢族の地質学者で、チベットの地質調査をしているそうだ。京都大学へ留学したことがあり、その時に身につけた「懐かしい」日本語で彼はたどたどしく喋った。チベットの地下資源を開発して中国人民の未来に役立てることが、私の夢です。そう語る笑顔を前にして、気持ちが複雑に交錯した。
宿に戻ると、中庭にテントを張ってカンパが露店を出していた。覗いてみると、生活雑貨、化粧や装飾の品、文房具、ラジカセや電池、等など、種々雑多な品々が整然と陳列されている。ただ、鍋や薬缶の隣りに鞍があったり、蹄鉄がスプーンやフォークとひとまとめにされていたりと、まさに遊牧民な並べ方だ。
そんな中で一本のカセットテープに目が留まる。エスニックな弦楽器を構えた民族衣装の若者というケース表の印刷が民族音楽を期待させ、思わず手に取った。でも安っぽい電子音のチベット歌謡曲という可能性も無いわけではない。なんとか確認したいが、チベット語は知らないし筆談は無理。いわんや英語は全く通じない。戸惑ったあげく、結局口から転げ出たのは「好(ハオ)?」の一言。それでもカンパは頷いて、売り物のラジカセで試聴させてくれた。テープが悪いのか、スピーカーが悪いのか、両方なのか、音質は問題外だが、どこか懐かしく、妙に哀愁を帯びた曲調が気に入り、四元で買った。
テントには二人のチベタン女性も買い物に来ていた。銀やトルコ石や珊瑚石などの装飾品をその長身に数多くつけ、頭には板の庇のようなものをつけていた。
ところで高山病の軍人だが、今日は頬に赤みが差して元気を取り戻し、声をかけると笑顔が返ってきた。ちなみに、彼は青海省出身で、阿里の基地に転属になったとのことだ。

6月15日

通路の三人組が一冊の雑誌を回し読みしている。ふと目に入った表紙の写真は、カイラスではないか。気になって拝借するとチベット語の月刊誌で、やはりカイラスの特集号のようだ。所々に挿入されている仏や聖人等のイラストの中にはカイラスとマナサロワールの巡礼図もあり、*ゴンパの位置などが記されている。一冊欲しくなるが、彼らにとっては大切な一冊、まして表紙がカイラス、すなわちカン・リンポチェ、単なる本ではない。
西チベット出身のお爺ちゃんたちはカン・リンポチェを目指している。俺たちもカン・リンポチェへいくのだと言うと、お爺ちゃんは笑みを湛えて殊更大きくうんうんと頷く。本の表紙を少し掲げてから「トゥジュチェ」と礼を述べて本を返す。受け取ったお爺ちゃんは、神妙な顔で表紙のカン・リンポチェに額を当て、そして顔を上げてにっこり笑い、大事そうに鞄の中にしまった。
バスが止まった。
外に出ると、天気は下り坂のようで、時おり雨粒が風に飛ばされてくる。遥か遠くに小さく山並みが見え、その手前に大きな丘が重なりあい散在している。枯れ草色の平原には放牧のヤクが散らばり、騎乗の牧人が馬をあやつる。頭上には羊のような雲が無数に群れて、碧い空を埋め尽くそうとしている。まるで天国のようだ。色は美しく存在を誇示し、そこに在る厳しい現実をも覆い隠している。
「天国みたい!」
甲高い感嘆の声に驚き、振り向くと、マリちゃんが眼をキラキラさせていた。
軽い散策の後、バスから離れた草地で日本人の四人は通路の三人組からチベット語のレクチャーを受けた。石、羊、地面、空、ヤク、馬、雨、草、……、気まぐれに手に触れ目にしたものの名称を、彼らがチベット語で発音し、それを日本人がおうむ返ししていった。
そのうち、バスの周りにいつの間にか集まっている犬たちが目に入る。おおかたお零れを期待しているのだろうが、ふと思いついて、彼らをチベット語で何ていうのか訊き、さっそく試してみる。チュッ。チュッ。マサトもトモ・マリも加わって犬に呼びかけていると、何だ? と怪訝そうに振り向く。反応したと喜んでいると、おばちゃんも大きな声で鋭く「チュッ」と言う。すると犬たちの表情が一変し、いそいそと集まって来た。
犬たちは一定の距離を保って立ち止まり、その姿は遊牧の番犬として狼とも充分渡り合える逞しい肉体美を誇っている。が、牛みたいに口から涎をたらして、何とも間の抜けた眺めだ。しかし、考えてみれば、こちらも外国語とはいえ犬に向かって「イヌ」と大真面目に呼びかけて喜んでいるのだ、間抜けなのはお互い様というもの。とはいえ、発音の差で露骨に違う反応に、やはりチベット文化の犬なんだと妙に感心した。
道は広い平原から大きな丸い山の重なりを上がり始めた。そして何もない斜面でバスは止まり、小休止に入る。
これまでにもよく目にしていたが、車窓からは地表の所々に白いものが見え、てっきり塩だと思っていた。しかしバスから降りてみると塩ではなく、どうやら白っぽい苔のようだ。高地の乾燥にめげず、次々と斜面を這い上がってくる霧状の雲から水分を吸収しているのだろう。そう思い、しゃがみ込んで触ってみると意外に堅い。おや? 目を近づけてよくよく見ると、苔ではなく、密生した白い微小な花ではないか。一つ一つにちゃんと雄しべも雌しべも花びらもあり、なかなか可憐な姿だ。密集して強風と寒さに対抗しているのだろうが、案外雨を待ちきれずに雲のあるところまで来てしまった粗忽花かもしれない。
ところで、せっかくの陽光も強い冷風が熱を奪い、膝を抱えて丸まっても寒さは一向に治まらない。そこで試しに苔のような花植物の真似をして寝転がってみた。虚空の高みに雲が流れ、濃密な碧を超えて暗闇を感じる。視力が良ければ星が見えそうだ。この空と息苦しさは五千メートルを超えている。体の上を絶え間なく風がすり抜け、しばしば霞のような雲が視界を白くする。植物の知恵は物凄い。太陽が眩しすぎるけど、こうして大の字を描いているのが一番暖かい。ああ、地球との一体感。このまま植物になってしまおうか。気持ちいい。

6月16日

丈の高い茶色い草が所々密生する広い荒地を、遠く一人の男がバスと同じ方向に馬を馳せている。今、彼は馬の温もりを感じている。感じながら馬の躍動と一体になった全身を、風がすり抜けてゆく。そう思うと堪らない。俺は何故バスなんかに乗っているのだ。
建設工事の現場を通り過ぎて左折、崖沿いに進む。谷は急速に狭まり、いつしか川の右岸を行く。澄んだ流れはそれほど大きくなく、川辺には柳や葦のような植物が生えている。そのうち停車しているシンスケ号が目に入り、その近くの道端でバスは止まった。
小休止のつもりでバスから降りると、河原の端でシンスケ号が大きく傾き、シンスケが川の中に立っていた。近づいてよく見ると、右タイヤが前後とも川に落ち込み、特に前輪が深みに嵌りこんで車体が右前方に大きく傾いている。更に満載以上の積み荷が重心を高めて、見るからに不安定だ。タイヤの跡を見ると河原で方向転換してそのまま流れに突っ込んだようだが、切り返した跡もタイヤのずり落ちた跡も無いから、多分川の水深を甘くみて横着したのだろう。シーナとマネージャーが川の中に入ってシンスケと色々試していたが、シーナは早々と見限って一足先に水から上がってしまった。
マサトとマリちゃんと俺は川に突き出た草地で様子を眺めることにした。向いの小高い所では通路のお三方がピクニック宜しく事の推移を見下ろし、後ろの草地ではトモちゃんが腕枕して居眠っている。女たちは四方山話に忙しく、男たちは救出策で喧々諤々。そのうち匙を投げだしたマネージャーは、岸に上がって濡れた靴下を絞り始めた。
タイヤの下へ石を入れ込むべくジャッキで車体を持ち上げようシンスケは頑張るが、ジャッキの敷石がすぐ割れてしまい、てこずっている。見兼ねたマサトが素足になって手伝い、俺も石運びに加勢して拾ってきた石を次々川へ投げ込む。マリちゃんも石を運ぶ。女で働いてるのは彼女だけだ。ちまちま運ぶのは面倒だと大きめの石を抱えたが、少し運んだだけで息があがり、吃驚してるとみんなに笑われた。
時おり通りかかるトラックは殆どが素通りし、シーナはバスに乗ってどこかへ行ってしまった。そのうち手伝うこともなくなり、再び草地でのんびりする。川の中を覗くと小魚が泳ぎ、淀みには小さな川エビもいる。ふと頭の中に童謡の「故郷」が流れた。
バスが戻ってきた。中からスコップを二本放り出すと、シーナはバスを脇道に止めて水洗いし始めた。そしていつの間にか女たちも総動員して、もうオレはやる事やったもんね、といった顔で、自らもモップ掛けに余念がない。
一方、スコップを受け取った男たちは、張り切って左前輪の下を掘り下げた。交替しながら猛烈な勢いで、やり過ぎではないかとマサトが心配するほど、窪みはいつしか穴になり、ふと「総十四億大行進」という言葉が思い浮かんだ。
そのうち男たちは作業を止め、シンスケが運転台に上がってエンジンを吹かした……が、びくともしない。しかし、折よく通りかかったトラックにロープがあったので、それを借りてシンスケ号の尻に結わえて人力で引っ張ることになった。なんか綱引き競争みたいだが、思えばこのロープもシーナの手配かもしれない。
とにかく、バスを洗っていた女たちも加わり、全員でチベット語、中国語、日本語の声を合わせて一、二、三で引いたが、もう少しのところで止まった。そしてもう一度「一、二、三」……上がった! 拍手がなり、みんなの顔が思わず綻ぶ。男たちはシンスケの肩を叩き「百元???」とからかい、シンスケは照れ笑いしながら頭を掻いた。
その後バスの洗車を手伝い、簡単な修理にも手を貸した。そして出発。さっぱり小ぎれいになったバスは気分よく進んでいく。やがて視界が開け、前方に街が姿を現した。
突然、振動が収まり静かになる。久しぶりのアスファルトの感触だ。窓から見える建物は土壁でなくコンクリート製で、電気もありそうだ。窓の外をキョロキョロしてるうちにロータリーに面した敷地に入ってバスが停車する。とうとう終着、阿里に着いた。

往きはよいよい

6月21日

十一時頃、トモちゃんの姿を目にして声を掛ける。彼女ら三人は、ただだと言うガイドと一緒に行くそうだ。マリちゃんに荷物の大きさを呆れられ、トモちゃんの「ゴンパでどうせ会うよね」という言葉に見送られて出発する。
タルチェン・ホテルを出て右へ回り込み、そのまま進む。そして民家に突っ込み、さっそく道を見失った。すぐ現れたチベタン男性に「カンリンポチェ」と言いながら手で円を描くと、彼は行くべき方向を黙って指し示す。民家の裏手を抜けると直ちに巡礼路へ復帰し、そこからは大きく波打つ山裾の斜面に踏跡がくっきりと刻まれていた。
最初の大きな起伏を登り切ると、虚を衝かれて足が止まった。
昨日はただの暗闇だった。ところが今、深い碧が隅々まで埋め尽くす天空の下、山吹色に輝くバルガ平原が茫洋と横たわり、遥かヒマラヤが輝いている。極楽浄土の色合いに、西域の天女が空を舞う。吟遊僧ミラレパは、この光景に何を聴いていただろう。
灌木に覆われた斜面を歩いていると、ナキウサギの姿を頻繁に見かける。結構近づいても逃げないでじっとしている。やはり実物は写真より断然可愛い。
頻繁にナキウサギを目にしながら小一時間ほど起伏を上り下りし、尾根筋の手前で休憩をとる。視界の右半分は尾根で遮られているが、来た方を振り返り気味にラカス・タルやグルラ・マンダッタが望める。なのにバスの振動にやられたのかカメラが動かない。せっかくの景色を目の前にして悔しい気もするが、かえって気分は軽くなる。
尾根上のちょっとした峠に着いた。
平原からの風にタルチョがはためき、風の吹く先にカイラス南面が聳えている。初対面のカイラスはあまりに写真通りで、見慣れたものを見ているような気分になり、「ふーん」と鼻先で納得した。
峠には大きな丸い石があり、先程の休憩中に通り過ぎたチベタン少年が腰かけて休んでいた。やがて彼は石だらけの斜面を降りて行き、暫くして俺もその後を辿る。すると谷底で少年が俺を待っていた。その後も歩調の遅い俺を時々振り返っては立ち止まり、荷物を持ってやろうかと気遣ってくれる。嬉しいけれど遠慮した。
道の真ん中に何か宗教的な関門があり、人ひとり通れる隙間を少年に続いてくぐると、少年が振り返って俺の頭上を指す。彼につられて視線を移し、ギョッとした。大きなヤクの頭が出口の上に飾られ、黒い眼窩が虚ろに睥睨していた。
粗末な木橋でラ・チュを渡る。断崖の中腹にゴンパがあるのをひと目で登る気をなくし、ゴンパへ参る少年と別れて川沿いを進む。
小さな入り江で気分良く休憩。ゲルマン系のおばさんが通り過ぎる。歩きだして暫くすると、早くも少年に追いつかれた。
大きな巌を巻いてきた巡礼路が対岸に現れ、阿里ホテルの旅行代理店の女とチベタン男性が少年を待っていた。川幅がかなり狭まっているので、少年は飛び石伝いに川を跳び越え、渡渉場所を探していたおばさんも、少年の手を借りて急流を渡る。
俺は荷物の重さを気にして躊躇した。上流を見ると、川は幾筋にも分流して広い河原を作っているが、個々の流れは大したことなさそうなので、このまま谷を溯ることにした。
小さな流れを跳び越えてゆくと、幅五メートルくらいの流れにぶつかる。仕方ないので取り敢えず上流へ向かうと、やがて二股になった流れが行く手を遮る。上流を眺めて渉れそうな所を探し、目星をつけたら再び元来た方の岸へ戻り、そこを目指す。そんなことを繰り返していたら、そのうち気の遠くなるような大きな流れが現れた。
もう河原の中間あたりに来ただろう。そう思いながら漠然と流れを眺めているうちに、何気なく対岸を見やった。あれ? 河原の幅はそれ程広がっていない筈なのに、対岸の土手が遠退いて…、ハッとして振り返ると土手が直ぐそこにあった…。
上流を見ると河が括れて狭まっているが、幅十メートル以上の大きな一本の流れが両岸の切り立った崖の裾を洗っている。どう診ても、このまま溯れば行き止まる。対岸には巡礼のチベタンたちが小さく見えている。手を振る人影は少年だろうか。みんな楽しそうだ。そのうちトモ・マリたちも通るんだろうな。そして人とは違うところを歩いているこの俺を羨んだりするんだろう。でも、その本人は心細く途方に暮れているのだ。
暫く下流へ戻ったが、やはり無駄な足掻きだった。
仕方なく川幅のある程度狭まった所で素足になり、流れの中へ入る。痛っ!冷徹な水分子が戟を突きたてる。激痛に感覚が疲弊しかかっても、尚も情け容赦なくチクチク戟を刺す。流れの幅がもう一メートル広かったら堪らず走りだしていたに違いない。
我慢の甲斐あって刺戟的な徒渉を無事終え、やれやれ、それからは大した流れもなく順調…と思いきや、再び大きな流れにぶち当る。今度は迷わず分厚い本革製トレッキング・シューズのまま浅いところを慎重に進んだが、それでも素足にズック靴を履いて雪道を歩いているような痺れがした。
最後の二百メートル程を難無く越え、二メートル強の土手を攀じ登り、やっと本道に復帰する。ほっとした途端、忘れていた疲れがじんわり体に伸し掛かる。そんな俺を、あまりに歩き易い巡礼路が嘲ら笑った。
休んでクラッカーを食べていると、通りかかったチベタンおじさんが隣りに座った。タシデレと言うと彼はにっこり笑い、クラッカーを差し出せば一枚だけ手に取って食べる。一息つくと彼は立ち上がり、微笑んだ目で頷き、歩き始めた。
そのうちチベタンのおばちゃんと抜きつ抜かれつし始める。休憩しているおばちゃんを抜いて少ししてから腰を降ろす。そしておばちゃんをやり過ごす。暫くして歩き出すと、少し先でおばちゃんが休んでいる。やがて彼女がやっているように荷物を背負ったまま大きな石に凭れ掛かるのが、一番良い休憩方法だと解ってきた。
谷が右へ大きく湾曲する頃、一張りのテントが現れた。大きく開け放したその中では二人のカムパがバター茶を飲んでいる。好奇心で見ていたら手招きされた。
テントの中は意外と広く、真ん中に火が焚かれて薬罐がかけてある。また隅には何か白いものが入った瓶が幾つも並べられ、中身が気になり日本語で「何それ」と訊くと、カムパは「スークワイ(四元)」と中国語で答えた。一瓶手渡されて蓋を開ける。ヨーグルトのようだ。チベット語ではショーというらしい。五百ミリリットルはあるが、四元は高い気がする。それに彼らから匙を借りた時には肝炎の二文字が頭を過り、インドのラッシー屋のグラスとどちらの方が確率が高いだろうか、などと考えながら、でも平らげた。程よい酸味で旨かった。
向こうからチベタンがやって来る。ボン教徒たちだ。一見すると仏教徒と変わるところはないが、本に書いてある通り、巡礼もマニ車も左回りで、俺の左側をすれ違う。では仏教徒のおばちゃんとボン教徒の彼らとではどうなのかというと、成りゆき任せのようだ。
ボン教徒の一人がおばちゃんと立ち話をしていたが、俺にも寄ってきて懐から布包みを取り出し中身を見せた。それは水晶など貴石や宝石の原石で、どうやら売りたいらしい。興味がないので断った。
気がつくと、おばちゃんは道を外れて歩くことが多くなってきた。そのうち判ったが、彼女はヤク糞を拾っていたのだ。そろそろ目的のゴンパだろうか。
小さな流れを飛び石伝いに渡って土手を登ると、向かう先に丸太小屋がポツンと建っている。小屋の前には数人のチベタン女性が屯し、おばちゃんは彼女たちと知り合いらしく、彼女たちの隣りに荷物と腰を降ろした。
小屋の近くまで進むと、道端に座っていた男が立ち上がり、見覚えのある笑顔をよこす。それもその筈、彼はクラッカーをあげたおじさんだ。
片言の中国語と身振り手振りで、彼は恐らくこんなことを言った。わしらと一緒にここに泊まりなさい。ゴンパは金を取る。でも、ここなら金は要らない。それにカン・リンポチェにより近くていい眺めだ。斜面の下の方を流れる川の向こう岸にゴンパが見える。そして、彼の手の動きに釣られて振り返り、目を見張った。
カイラス!
それまで全く気づかなかったカイラス北面が、そこに聳えている。虚を衝かれて一瞬無感動に、そして全ての感情が一気に吹き出し頭の中が空になる。将棋の駒のような巨大な岩の衝立、その垂壁の氷雪模様に水平な地層が浮き出ている。たとえ予備知識も何もなくても、この北壁を初めて仰いだ者は、必ず時間の外に在る を感じるだろう。その が何なのか、解っていても言葉にできない。いや、言葉での理解は徒になる。そんな予感がする。
小屋は四方の壁と屋根、そして土間の真ん中に簡単な石組みの竈があるだけで、後は何もない。ゴンパに泊まらないチベタンがよく利用しているのか、ヤク糞の燃え残りや灰が土間中に散らばっており、寝る頃にはヤクの糞塗れ灰塗れになる。
おじさん夫婦とその三人の子供、そして年配の女性三人、彼ら全てが一家族かどうかは判らないが、俺を含めて九人が小屋に泊まった。 おじさん夫婦は持参したヤク糞や拾い集めた木切れなどで火を起こし、湯を沸かす。水汲みや椀の用意などは妻が一切取り仕切り、おじさんは羊の毛皮でできた鞴を使って火の調節に専念する。一方、おばちゃんたちは編み物をしながらの世間話で忙しいようだ。
湯が沸騰すると妻が茶葉を削り入れ、茶を煮出し、頃合いをみて人数分の茶を漉し入れる。そして少量の岩塩を加えて、暫し茶のひと時を楽しむ。
数杯の茶を飲むと、今度はツァンパを捏ね合わせながら椀の丸みで器用に一口サイズの団子にして食べる。俺だけがコッヘルでてこずっていると、おじさんが見兼ねてコッヘルを取り上げ、ツァンパの特大お握りを作ってくれた。さすがはツァンパ一筋ウン十年。容器の違いなんか関係ない。
おじさんが再び火を大きくし、妻が大鍋にたっぷり水を張って火に掛ける。大鍋の湯がグラグラしだすと、妻はツァンパの練り物を引き千切っては鍋に放り込んだ。
ある程度煮込んだのをコッヘルに分けてもらうと、いつの間に下ごしらえしていたのか、僅かにとろみの付いた白いヤク・スープのすいとんだ。ほんの申しわけ程度の肉片しか入っておらず、微かに塩味が利いているくらいで味わうには程遠いが、体が温まる。そして彼らの心遣いに、心がほっこりする。
おじさんに鞴をチベット語で何て言うのか訊いてみると、「ヒーダッ」と答えた。そして空気の出る筒の部分を指して「シェーンチ(シ)」と続ける。急いで帳面を取り出して記録する。それを見て、おじさんはチベット語の物の名前を次々と教えてくれた。
ヤク糞を手に取って「ジョア」、それを火に投げ入れて中を示して「メェ」、そしてその手を窄めて上に向け、広げながら上げて「バァ」。つまり、ヤク糞がジョアで、その燃えたのがメェ、バァは炎だ。でも、彼の説明がすぐに解ったのはジョアだけだった。
最初は燃えることか火のことだと思っていたメェを、やっぱり灰だと結論して安心していると、彼は燃え尽きた灰を指先に付けて見せ、「テー」と言う。あれ? 灰はメェじゃなかったっけ。怪訝な顔をしていると、さらにヤク糞の燃え残りを火から取り出して「メェ」と続けた。また炎であるバァは、はじめ煙だと僻覚えし、逆に煙であるコムバを家だと、二重の早合点を犯していた。
チベット語教室の先生は、そのうち子供らが専任になってゆくが、似たような勘違いはそこでも起こった。例えば、開け放した戸口に向かって「シ」と言うから、そうかと思えば、ちょうどそこで餌を啄んでいた鳥のことで、戸口はゴだった。また先生のブレスレットをつまむと「ラドゥ」と返ってきたが、体の部位の呼び方を訊いてゆくうちにラドゥが手首だということが判った。
あながち勘違いでない場合もある。ボールペンを指せば「ニュグ」と答えるので、そのまま書き留めようとして思い止まり、棒切れを拾って質問すると、これまた「ニュグ」。恐らくニュグは棒状の物を表しているのだろう。試しに違う先生にボールペンを示すと「ディイツ」と言った。鉛筆があればよかったが、とりあえずディイツは筆記具としておこう。

6月22日

四時三十分頃起こされ、真っ暗い中でツァンパと茶を摂り、二度寝する。
六時頃ごそごそしだし、おばちゃんたちが小屋を出発する。
六時半頃、おじさんと子供らと共に小屋を発つ。大きな北斗七星が頭上に輝き、カイラスは銀色に光っている。辺りはさりげなく明るさを増してゆき、小さな流れを丸木橋で渡る頃には淡い透明な光に包まれていた。
岩場の登りが始まり、忽ちおじさんたち親子との差が開く。体の筋肉がまだ寝惚けており、脚に力が入らない。いつの間にか親子の姿が視界から消え、気がつくと凍てついた静寂の中を独り黙々と歩いていた。
何げなく顔を上げる。カイラスが黄金色に輝いて、束の間、立ち竦む。他の山は未だ地球の陰で眠っている。
時には幾筋にも分かれながら、道は勾配を変えて岩の間をのたくる。ザックがどんどん肩に苦しくなり、指先が冷たくなる。弱気になって振り返ると、思いの外小屋は小さい。気を取り直して登り始める。時々立ち止まってはカイラスを仰いで自分を励まし、オムマニペメフムを唱えながら進む。いつしか霊峰は白く輝き、深い碧空にいよいよ冴え渡る。
しかし辺りは暗く、岩だらけの殺伐とした世界。目の前に現れ続ける登り坂にいつしか感慨も失せ、意識が内へ向かう。そんな意識を、呼吸の乱れや肩の痛み、指先の痺れが、現実へ引き戻す。そしてオムマニペメフムはいつしか南無阿弥陀仏になり、やがて唱えることさえ困難になる。筋肉が疲れる前に息が乱れ、百メートルを全力で走った直後のように喘ぇ喘ぇ吐ー吐ー、歩行困難に陥る。
そのうち衣服や靴、ぼろ布などが辺りに散らばり始める。
「死の象徴ゆえ速やかに通り過ぎるべし」
しかし、ガイドブックが記すほど不気味ではなく、寧ろプラスチックのゴミに興醒めさせられる。
気がつくと西の山並みが黄色い陽光に染まりつつある。しかし辺りは暗く、寂寞たる冷気の淵の底。そのうち登り坂の向こうに峻嶮な黒岩の障壁が現れると、意識が蠢き角をだし、呼吸に合わせて乱れゆく。そして平坦な所へ。
「もっと光を」などと言っていられたのは、ほんの束の間だった。
いい加減にしろ。邪魔するな。どうしてお前はそこに居る。そこをどけ。早くどけ。今どけ。殺すぞ糞ったれ。俺の太陽を返せ。光を返せ。苛々ぶつぶつ声に出さずに吐いていると、本気で腹が立ってくる。そのうち、クソ、鼻クソ、バカ、アホ、ボケ、カス、シネ、などと罵詈も低級になり、「おお、シネは命令形の動詞だ。名詞じゃない」と息も絶えだえに知性が呟き、最後には、あー、もー、うー、だー、と悟性が呻く。荷物を谷底へ放り投げたい衝動で、理性は今にも爆裂しそうだ。
それにしても不思議だ。自分自身では抑え切れない感情の暴走が、カイラスを目にした途端ピタリと止み、再びシャンティーが訪れる。そうでした。現状を恨んで何になる。そうでした。全てを受け入れ前向きに、ポレポレ参りましょう。ビスターリ。ビスターリ。そして何度目かのカイラス北面を、最後に見納めた。
やや下り気味になった道を気分良く歩いていると、視界の遠くに保護色のような巡礼者らが蠢く急坂が見えた。坂の先、右手前方には本当に登れるのだろうかと訝ってしまう急斜面が更に控えている。丸石の堆積の下を伏流する水音を踏み越え、間もなく急坂にたどり着く。 珍しく土塊た急坂は五百メートル程続いていた。何度も立ち止まりながら、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、進んで、何とか登り切ると、再び岩だらけの急斜面が始まる。
歯抜けた階段のような道が岩の間を縫っている。既に五メートルを進むのがやっとで、子泣き爺のように荷物が重くのしかかり、気が遠退きそうだ。
それでも脚は惰性で動く。しかし惰性の勢いはすぐになくなり脚が止まる。膝が小刻みに震え、太ももに力が入らない。困った、脚が膠着した。
振り返ろうとしてふらつき焦る。そっと顔だけで今登ったところを見下ろし、途端に降りる自信をなくす。じっとしているだけで脚の筋肉が引き攣りそうになる。それでも平衡を保っていられたのが不思議なくらいで、茫然と立ち尽くすのみ。___とにかく休もう。答えに辿り着いても、動けない。
くらっ。後ろに蹌踉めき、反射的に前かがみになって岩に手を掛ける。そのまま四つん這いのまま近くの岩まで何とか進み、岩の上で荷物を投げ出し横になる。重力から解放された快感で、冷えた岩肌は苦にならない。下半身が麻痺したように感覚が無く、遂に脚は逃亡したかと、ぼんやり考える。
再び荷物を背負う。重い。五メートル足らずで堪らず岩に腰掛ける。時々太ももから力が抜けてゆくような感覚に襲われるが、休み、休みし、少しずつ登る。
ラマが降りてくる。中年ラマが少年ラマを立ち止まらせ、俺のために道を空ける。彼らの所まで一メートル。でも彼らの引き締まった優しい表情に応えたい。声にならないタシデレに、彼らは笑顔で頷き返す。大きなお世話だと思わなかった自分が、嬉しい。
呼吸は乱れっ放しで、思うように脚に力が入らない。今や連続して十歩も難しい。峠までもつだろうか。___もしも、登り切る前に動けなくなったら___頭が一瞬痙攣しそうになる。顔を上げると岩の山巓が陽光に包まれている。気を入れ直し、頑張る。
いつしか両腕を岩に突いていないと歩けなくなり、ただ、ただ次の目標の岩を目指していた。
ある時、そんな岩越しの上の方に、今までとは異質の何かが見えていた。それはじんわりと正体を明らかにしてゆく。やはりそれは、大きなラプツェとそれに絡まるタルチョだった。つまり、そこがドルマ・ラ、てっぺんだ。
相変わらずの山陰で冷えきった重荷を、一歩、一歩、一歩、休憩、一歩、一歩、休憩、そして一歩と、漸進していた。寒い。目の前しか視界に入らなかった。
突然、辺りがパッと明るくなり、温もりが体を包み込む。太陽だ。やはりこの世に無限は存在しない。原初の安堵が湧き起こり、細胞が溜め息を吐く。嗚呼、暖かい。気持ちが根っこの方で力強く立ち直る。もう大丈夫だ。
再び膝に手を突きながら二本脚で数歩進んでは休み、また数歩進んでは休みして、やっと手を伸ばせばラプツェに届きそうな所まできた。なのに息がなかなか治まらず、焦れったい。
再び歩きだす。一歩、二歩、三歩、……四歩、…んー駄目だ。暫く突っ立っていたが、堪らず岩に腰掛ける。文字通り目の前なのに届かない。何だか可笑しくなってきた。焦ることはない。時間は十分ある。
落ち着いて再び歩きだす。そして、漸くてっぺんに立った。
息が治まってから少し離れた所にある平たい岩まで行き、倒れ込みたいのを我慢してザックを下ろしてからゆっくり岩に座る。そして体を横たえた。背中に岩の冷気が拡がり、視界一杯にどこまでも深く碧が染み渡った。
持参したタルチョをラプツェに括り付け、ぎこちなく五体投地をする。そして761を食べながら休憩していると、少し離れたところで食事をしているチベタン一家の子供が近づいて来て、はにかみながらツァンパのお握りを差し出した。トゥジュチェと言って受け取り、チョコレートを代わりにあげようとすると、子供はケラケラ笑いながら家族の方へ逃げ帰った。そんな様子を笑って見ている親たちに、会釈して礼に代えた。
四十分程休憩して再び歩きだすと、すぐ岩場の下りになり、急勾配の細い踏跡を岩の間に辿ってゆく。足許に気を配っていないと岩の出っ張りに躓いて寿命が九分縮まる。そんな岩場が延々と続き、本当に胃に穴が空いたかもしれないと真剣に思い、勿論膝はぼろぼろのガクガクで痛くて堪らない。
聖湖ガウリ・クンドが右手に現れる。ヒンディーはここで沐浴をすると本には書いてあるが、湖には氷が浮かび、生半可な信仰心では心臓麻痺を起こしそうだ。
一寸した氷河を徒渉して暫くすると、そのうち視界がどんどん開けて明るい緑の谷が姿を見せ始め、膝を少しでも庇うために岩に両手を突きながら降りて行く。
下から一人の女が上がって来る。この峠はこちらからの方が右回りより数段きついだろう。黙々と息を弾ませる彼女にタシデレと挨拶をする。彼女は吃驚して顔をあげ、一瞬立ち止まったが、少し笑うと再び登り始めた。そして俺は残りの斜面を何とか下りきり、谷底へ降り立った。
小風に揺れる小さな花に蝶が舞い、芝の緑が目を優しく包み込む。大きな中洲ではチベタンの家族が食事をしている。荷物を下ろし、川の水で顔を洗う。素足になって火照った足を川の水に浸すと、冷んやりして気持ち良く、足の裏が生き返る。それにしても長閑だ。脚の下やすぐ側で小鳥が餌を啄んでいる。
「お前ら俺を誰だと思っているんだ、怖ーい人間様だぞ」
草の上に寝転がると、少し眠ってしまった。
午後一時、キリがいいので出発する。他の巡礼者は左岸を選んで行くが、そのまま右岸を南下する。芝生のような草地を川の小さな分流が網の目のように流れ、ぴょんぴょん跳び越えながら気分よく進む。 やがて山寄りに進路が移り、タルバガンを見ながらゆっくりと、時には立ち止まって、観察しながらのんびり歩く。
タルバガンのコロニーには必ず一匹の見張り役が岩の上にいて、俺が近づくと「チッ、チッ」と警戒音を出す。その声は注意していないと小鳥の鳴き声と勘違いして聞き過ごしてしまう程、鋭く甲高い。俺が接近するに従って「チッ、チッ」の間隔が狭まってゆき、ある一定の距離まで来ると、ひときわ甲高い鳴き声と共に巣の中へ姿を潜める。この時、勿論全員が最寄りの巣穴へ駆け込むのだが、中には巣穴の脇で振り返ってこちらの様子を窺う好奇心旺盛なのもいる。一度逃げ込まれても、そのままじっと距離を保っていれば、そのうち姿を現す彼らから警戒音以外の鳴き声も聞こえだす。低めの「ギッ、ギッ」といった声や、同じ「チッ、チッ」でも高さやリズム等に変化があり、これはもうタルバガンの井戸端会議だ。後ろ脚で立ったり、追いかけ合ったり、挨拶のキスをしたり、それでも見張り役は岩場の高みで真面目にじっとしていたり、野生動物の社会とはいえ、人間社会と根本的なところで共通するものを感じて興味は尽きない。
暫くすると再びおじさんの家族と合流し、ゆったりしたペースで進む。
休憩中に川の瀬で子供たちが汚れ切った髪の塊を解したり体を洗ったりし始めた。その時、長男の胸が少し膨らんでいるのが気になり、よく見ると、あら、股間にあるべきものがない。女の子だった。着ている服がどう見ても男物なので、彼女の上に兄がいるのかもしれない。そして末弟の服が同じボロでも一番ボロボロ。いかにもお下がりの歴史を表していて、なんとも微笑ましい。
知らなければ見落としかねないカイラス東面が、山の切れ目に覗き、そこから白濁した赤紫の濁流が川へ斜めに流れ込んでいる。簡素な木橋を渡って土手を登り、そのまま高台を進む。そして気がついた時、川の色が白濁した赤紫色に一変していた。
子供たちが遅れだした。でも大人たちは意に介す様子もなく歩き続け、当の子供たちも遅れを気にせず巫山戯合っている。結局、余計な心配なのか。
やがて大人たちは道を外れてヤク糞を拾いだす。試しに俺も探してみるが、意外と見つからない。そのうちゴンパに着き、休憩に入る。少しして子供たちも到着した。
火を起こして湯を沸かし、茶を煮出す。俺のコッヘルも当然のように駆り出され、ツァンパの食事が始まる。さすがに三食続くと飽きてくるが、腹の調子は頗る良い。そのことをおじさんに伝えると、ツァンパは腹に物凄くいいのだと、彼は力を込めて言った。
同じ方向に進んでいるので歩いていると判らないが、こうして停まっていると、巡礼者は意外に多い。一緒に食事を取ったり、そのまま通り過ぎたり、単独だったり、何人かの集団でいたり、手ぶらだったり、荷物を担いでいたりと、様々だ。
町育ちのようなチベタンの若者三人が立ち寄った。
手ぶらの彼らは器を借り、うち一人は俺のコッヘルをわざわざ選んで使った。なのに食べ終わるとそのままで洗おうともせず、感謝の素振りもせず、悪びれもせず、さも当然のことのように終始振る舞った。
洗えとは言わないが、礼の一言もないのか。ブツブツ文句を垂れながら小さな流れでコッヘルを洗っていたが、そのうち心が静まり、”腹の立つ彼ら”を漢族の悪影響だけで自動的に片付けてしまう色眼鏡に気がついた。冷静に考えてみれば、彼らより先に立ち寄った中年の男たちも同じ態度で、ただおばさんがコッヘルを洗ってくれたから気にならなかったまでのこと。否、それ以前に絵に描いたようなチベット遊牧民の姿に目が曇っていた。精悍そうな遊牧民だろうと軟弱そうな町育ちだろうと同じチベタンのこの態度は、つまりチベタンの常識なのだろう。大袈裟にいえば、厳しい自然を互いに助け合って生きて来た人々が、代々受け継ぎ培ってきた生き抜く智慧の結晶。窮すれば余裕ある者を頼り、余裕があればそれを必要とする者に施す。礼をする必要はなく、そんな余裕は来るべき時にとっておけ。礼の一言に拘泥るなんて、つまらん優越感のなせる業。物慾の思うつぼだ。な〜んてね、帰国したら教祖になって金儲けしようかな。
罰当たりなことを考えながら、ふと顔を上げると、三人が俺のザックを取り囲んで荷物を物色している。そしてあっという間もなく食料袋を見つけ出した。やばい! 物持ちなところが目立たないよう注意してきたのに。急遽切り上げて駆け寄った。
「これくれ」「これはOK」と片言の英語で片っ端から求めてくる。冗談めかしてはいるが、手にした物をなかなか離そうとしない強かさだ。NO!NO!NO! 冗談じゃない。残った食糧は可能な限り世話になった家族にあげるのだ。片っ端から回収して元通りに収めると、彼らは何か悪態のような言葉を吐いて行ってしまった。何とでも言いやがれ。ふん、と後ろを振り返り、はっとした。その場にいるチベタンたちが、みな無表情にこちらを見ていた。
クチクチクチクチ…。悪夢のようだ。クチクチクチクチ…。期待と作り笑顔で子供たちが親指を突き立ててくる。物乞いを始めたのだ。クチクチクチクチ…。目を背けると大人たちの無表情な顔がこちらを見ている。仕方なく一個ずつチョコレートをあげ、無駄とは判っていても日本語で「これでおしまい。特別だからね」と念を押した。
歩き始めて少しすると、子供たちが道端の岩に腰掛けてた。近づいて行くと、ニヤニヤしながらひそひそ囁き合っている。嫌な予感は的中した。クチクチクチクチ…。姉の作戦なのか、必死で笑顔を取り繕って腹が減ったと演技する。やれる物をあれこれ考えながら、でも、意固地に「駄目だ」と彼らから逃げた。
そろそろ疲れが出始めてきた。川の両岸は高さを増して切り立ち、段丘状の高台をゆっくり進む。時おり地面の上に横線と楕円の弧を描いた何かの跡を目にする。
休憩中のおばちゃんたちに追いつき、その横で一息入れる。彼女たちも疲れている様子で、気つけ薬のような粉を小さな入れ物から少量出すと、口に放り込んでいた。
再び歩きだして程なく、左足の裏に激痛が走った。小石でも入ったのだろうと道端に腰を下ろして靴を脱ぐと、靴下に紅い染みが広がっている。吃驚して靴下を取ると血豆が潰れた様になっていて、足の皮が大きく剥けていた。一気に気持ちが萎えかけたが、通りかかった一人のおばちゃんの笑顔に救われた。刺すような痛みは、痛覚が麻痺して何とかなるだろう。
と思っていると、ザックに妙な感じがする。見ると、バスの中で応急処置をした肩紐の結び目が解け、ねじ込み式の蓋に付いた紐だけで水筒がぶら下がっている。結び直しても、暫くするとまた解け、それから何度も結び直しては苛々し、気持ちにも疲れが出てきた。
再び子供たちに出会う。姉と上の弟は完全に膨れっ面で黙っている。末の弟は最初こそ媚びるように、しかし、すぐヒステリックにクチクチと叫び出した。
やがて視界が歩く速度で徐々に開け、グルラ・マンダッタが、ラカス・タルが、そしてバルガ平原の遥かヒマラヤが現れる。ただし出番が遅すぎて、感動するには既に疲れ過ぎていた。それにサングラスの汚れで西日が乱反射して眩しく、それがまた疲労を高める。
なかなか沈まない真正面の落日に苛々しながら、視線を落として波打つ山裾の一本道をただひたすら前に進む。すると、いつしか前方に五体投地を繰り返す二つのシルエットが見えていた。追いつくと、ジャンパー姿に革の前掛けをしてジーンズをはいた若者が、汗だくになりながら一心に、ゆっくり丁寧に五体投地をしている。タシデレと声を掛ける。彼らの全身は夕陽に包まれ、汗の煌めきで金色の笑顔が輝いていた。
感動はすぐさま無感動な現実に掻き消され、ただ足が前へ出るに任せる。
何度目かの小休止で子供たちに追い抜かれる。タシデレと言っても、もう返事は返って来ない。
少しして道から外れて蹲っている子供たちを目にする。気になって近づくと、疲れ果てて茫然としている。膨れっ面をする余裕すらもない。急いで食糧袋からパンを全て取り出して三人に配る。ついでに自分も少しだけ口にする。中国製のパンはぼそぼそして美味くはないが、彼らは黙々と食べる。水筒も彼らに回す。返ってきた水筒の水を最後に飲もうとすると、一口にも満たず内心慌てた。でも、これで彼らも幾分元気が取り戻せるだろう。これでいいのだ。そう納得して先にその場を発った。
恐らく、それから暫くしてからのことだろう。よくは覚えていないが、ある時、いつの間にか見えていたタルチェンのシルエットに気がついた。しかし、それからが本当の長丁場だった。
どこまでも、どこまでも、ひたすら、うんざりする程、歩いても歩いても、タルチェンは逃げていく。喉はからからに渇き切り、疲労困憊、それでも未来永劫タルチェンには近づけやしない。どうしてだ。頭はぼーっと空回り。西日がますます強烈になり、眩しくて前が見えない。視野にあるのは、自分の足許。
道端で休んでいると、巡礼者が次々と通り過ぎる。みな軽い足取りで、例外なく嬉しそうだ。二人連れの男がハローと言って前方をさし、「タルチェン!」と無邪気に笑う。それを見て俺は泣きそうになった。自尊心が許さなかっただけで、本当は「助けてくれ」と叫びたかった。でもまだまだ極限ではないことも解っていた。ただ、再び歩き出した記憶が残っていない。記憶が、途絶えた

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「阿里へ行くのか」
突然の声に頭を上げる。目の前に男が立っていた。その後ろに白いテントの屋根が土壁越しに見えている。茫然としていると、男が言った。
「阿里へ行くのか」
「………ここは、タルチェン…」
「そうだ、ここはタルチェンだ」
ややあって、男が阿里行きのトラックを斡旋しようとしていることを、ようやく理解する。気がつくと、既に目の前にタルチェン・ホテルの裏口があった。

風に吹かれて

6月23日

1時40分起床。中庭でホテルのマネージャーと巡礼のことで立ち話をする。案の定、荷物が多すぎると指摘された。彼は一周58キロを10時間で廻るそうだ。
3時頃、荷駄を背にヤク三頭が戻り、やや遅れてトモ・マリや*園さん、ヘレン、初日に少しだけ同行した少年、他の白人ツアー客たちが一度に戻ってきた。早速テントのレストランで軽食をとりながら「巡礼」話で盛り上がる。
世話になったおじさんが訪ねてきた。部屋でクラッカーを食べながら片言の会話を交わしていると、おじさんは持参した紙袋から何かの野草を取り出した。おじさんはその草の匂いを嗅いでみせ、グッドだと言いたげに親指を立てる。何となくガンジャ(大麻)のような匂いが鼻をくすぐる。手に取ってみると似てなくはないが葉の形が違う。試しに「公安」と言いながら手錠をかけられて逮捕される格好をしてみると、おじさんは真顔でうんうん頷く。うーん判らない。ちなみに、タルチェン周辺で摘んだものだそうだ。
そうこうしていると、三人のチベタンが部屋に入ってきた。眼光鋭く、大柄で、妙に迫力がある。でも、たどたどしい「会話」からは好奇心いっぱいの素朴さが滲み出ていて警戒心がすぐに解け、逆にこちらのチベット語への好奇心が動いた。
コルラ中に教えてもらったチベット語と彼らのチベット語にはいくつかの違いがあった。
例えば「ナチョ・モゴド」。「耳」を表す「ナチョ」に「わからない」の「モゴド」をくっつけて、相手の言っていることが「わからない」とか「理解できない」の意味だとおじさんに教えられて、その通り連発していたら、三人組の一人は耳を指して「アムジョ」だから「アムジョ・モゴド」だと訂正し、更におじさんと少し議論しだした。チベット語の方言差が大きいことは知っていたが、四人ともンガリの出だと言う。もしかすると方言の違いではなく、元々「ナチョ」と「アムジョ」とが違う意味で、どちらかが「(聴覚がなくて)聴こえない(聴こえる?)」といった意味なのかもしれない。
ふとダムでもらったお守りを思い出し、試しにそこに書かれてあるマントラを読んでもらった。
「オム・ア・アーホム・ベヅァ・ゴル・ペマセテホム」
ちなみにお守りをくれたアムド出身のチベタンの読みは
「オム・ア・ホンホ・ハチャ・マラ・ゥワラィヤ・ホンペッ」
カタカナ表記とはいえ、明らかに違う。もしかするとンガリの彼は字が読めず、当てずっぽうなのかもしれない。あるいは「南無阿弥陀仏」を「ナンマイダ」と言うようなものかな?
四時までに男たち四人は部屋を去ったが、服務員の子供と遊んでいるうちに六時を過ぎた。少し迷ったが、何故かカメラが動き出したので、裏山に登った。
頂上までは急斜面を小一時間ひたすら登るだけでどうってことないが、頂上からの眺めは予期せぬご褒美だった。遥か南東にタルチェンからでは見えないマナサロワールが見え、北には予期していなかったケンタ・ゴンパ、その向こうにカイラス南面の独特なドームが峻秀と構えている。そして何より、南に壮大なバルガ平原が横たわり、その向こうにグルラ・マンダッタや国境のヒマラヤがずらりと居並んでいた。
ひとしきり写真を撮り、テラス状の頂上で大の字に寝転ぶ。音もなくヒマラヤ颪が躯を撫でてゆく。地球は大きいなあ。たちまち呟きは碧い風になって天空を舞い上がっていった。

6月24日

前日までとはうってかわって重苦しい曇天の下、トラックが動き出す。カイラスは雲の中。だが昨日登った手前の禿げ山が見送ってくれる。改めて見上げると意外に高かった。
幌なしの荷台には冷たい横風が遠慮なく吹き込み、予想以上に寒い。前側に座れたので走行中は運転席が風避けになって何とか凌げるとはいえ、小雨が降りだして雹や雪に豹変すること二回、肌の露出を少なくしようと丸くなる。だが少しでも気を抜けばドラムカンや鉄の囲いにゴンゴン頭を打付け、全身が飛び跳ねる。そんな状況にあってもトモちゃんはグーグー眠り込み、途中の休憩さえ気がつかなかった。
荷台には他にチベタンたちやウイグル人の男も一人乗っていた。みんな縦揺れの激しい後部を避けて前寄りの場所を確保し、揺れと寒さをじっと耐えている。ただ、チベタンたちの黒っぽい服装は見るからに分厚くて保温力が十分ありそうだが、一人ウイグルの男だけは前開きのジャケットの上に何も羽織るものがなく、見るからに寒そうだ。
そんな中、幼妻のような娘が布でぐるぐる巻にしたものを大事そうに抱えていた。気になって何が包んであるのか無遠慮に見せてもらうと、幾重もの毛布の奥に赤ちゃんの寝顔があった。
また、三人の青年が最後部で転げ回りながら大はしゃぎしていた。囲いに括りつけたロープを手綱に見立てて乗馬の真似をしているのだが、彼らは兄弟だろうか、傍らで両親と祖母らしいチベタンが無口に蹲っている。三兄弟の一人が山下達郎にそっくりなので、彼らを「タツロウ兄弟」と呼ぶことにした。休憩中も大騒ぎして地ネズミを捕まえようとしたり、走行中に帽子が風に飛ばされてもガハハハと笑って気にしない、なんとも天真爛漫な兄弟だが、ある所で遠くの方を指差して騒ぎ始め、トラックのドライバーに大声で何か言って停車させた。すると三人は荷台から飛び降りて南へ疾走。何事かと眺めていると、そのうち赤茶けた荒野の中で黒いゴマ粒が走り続けているのか五体投地でもしているのか何をしているのか判らなくなり、10分近くして判った時には極端に長い袖を揺らしながら女走りで戻ってくる姿だった。一度も休憩せず歩きもせずトラックまで走りきり、さすがに顔が汗だらけで紅潮していたが、この薄い空気の中では信じられない心肺能力である。たとえ私に体力があって、オオカミに追われなどして強制的に走ったとしても、途中で心不全おこして倒れるが必定、オオカミに食われてお陀仏である。
雲にいくぶん明るさが増してきた頃、チベタンおばちゃんが一人途中乗車した。
彼女は液体クレンザーのボトルを持ち込んでいたが、振動のせいか蓋から白い中身が少しずつ漏れてくる。そのうち容器に沿って流れ始め、彼女が指でいくら拭っても拭っても、白い液は止めどなく溢れ出る。あっ、園ちゃんが指先に少しつけてペロリと舐めた。
「おいしい!」
吃驚して見ていると、またペロリ。おばちゃんも笑って見ている。あれ?クレンザーじゃないのかな。俺も嘗めてみた___この味は…
「ヨーグルトだね」と園さん。
「うん。これヨーグルトや」
おばちゃんの方を見ると、手でコップのような形を模して私のザックをポンポンと叩く。意味が判らずキョトンとしていると、今度は何かを飲むまねをしてポンポンと。ようやく理解してマグカップを取り出すと、車の振動で攪拌されて液状になったそれをなみなみと注いでくれた。零さないよう気をつけて口にふくむと繊細で滑らかな感触が口の中に広がり、これは美味である。さらに二口目を味わう。酸味は控えめで滋味豊かな感触が舌から喉へ伝わり、柔らかな余韻が堪らず三口目、四口目、そして気がつけば大きいマグカップは空になり、最後の一滴を啜った。でもおばちゃんは山羊乳から作ったと笑いながらもう一杯注いでくれた。目を醒ましたトモちゃんやマリちゃん、ヘレンも含めて廻し飲みして美味しいオイシイと騒いでいたら、いつの間にかチベタンたちも自分のコップを持ち出して、荷台は忽ちヨーグルト・パーティーとなった。
いつしか雲の覆いに亀裂が入り、しだいに碧空が広がってきた。
チベットの草原は美しい。それに比べて我々のなんと醜いことか。埃塗れになりながら、おんぼろトラックの荷台に揺られて、エンジンを唸らせ、サスペンションを軋ませ、土埃を巻き上げ、のたり行く。人間の作り出した文明は強力だが、巨大な自然を前にすると、あまりにも見窄らしく猥雑だ。いくら足掻いたとて、しょせん人間は孫悟空でしかない。
川を突っ切り、やがて砂漠地帯に入る。
いつしか太陽は大きく傾き、辺りは黄金色に輝いている。そして白い輝きを西の空に残して太陽が沈む。ますます碧い空に鮮やかな茜雲が浮かび、三次元の白い月が頭上でますます明るくなる。もう直ぐ阿里だと、ヘレンが上機嫌で口遊む。タツロウ兄弟は騒ぎ疲れて今は静かだ。ウイグルの男は終始無言で寒さに耐えている。いつの間にか体は揺れに馴れてしまった。もうそろそろかと時折振り返り、何度目かに見覚えのある岩山が目に入り、その麓に町が見えた。
阿里に凱旋気分で到着する頃、町はもう薄暮に包まれていた。

6月25日

目が覚めると10時。何となく頭がくらくらする。今さら高度障害もなかろうに。風邪だろうか?それにカイラスの達成感が大きすぎて、どうも気合いが入らない。
それでも前日の日記を書いているうちに気分が上向いてきたので、気合いを入れて荷物のパッキングをやり直し、急な出発にも対応できるようにした。
更にその余勢で頭髪を水で濯ぐ。チベットに入ってから一度もシャワーを浴びずゴワゴワでジャリジャリの髪を、このさい徹底的に洗ってスッキリしたいところだが、用心して今回は我慢した。
その代わり、靴下は覚悟を決めてしっかり洗った。何せチベットで履き続けた靴下である、乾燥した大気であろうと脱げば臭いが鼻腔をよぎり、つい出来心で鼻を近づけると軽く目眩がした。これは何かの罰ゲームか。しかし、これはまだほんの序の口。洗剤を溶かしたぬるま湯で洗い始めると、汚れた脂身の如き滑りがぬるぬると指の間から全体に絡まり、いくら濯いでも汚い滑りがぬめぬめぬるぬるぬらぬら…いい加減根負けして洗面器に浸けおきし、手を洗い、よせば良いのに手を鼻に近づけてしまった。そこはかとなく漂う臭いに、気力が萎えた。
7時、公安が部屋にやって来て手伝うからと言うのでトモ・マリ、園、ヘレンに声をかけ、皆でトラック探しに出掛ける。
私だけ一応「脚」を確保してはいるが、いかんせん酒の勢いみたいな口約束ではあまりに心許ない。旅の途中は何が起こるか判らないから。実際、バザーに着くなり公安の彼はトイレへ行くとバザールの中へ入ったきり戻ってこなかった。彼は何しに来たのだろうか。結局みんな自力で探し、朝からまともに何も食べていなかった私も、強烈な空腹と呼吸困難に喘ぎながら、なんとか声かけを試みる。結果、*ラサ方面に収穫がなかったものの、新彊方面のトラックは簡単に見つかり、その後の飯屋にいたドライバーの話もあわせると、今この街にいる*新彊行きはすべて28日出発とみて間違いなさそうだ。今回は「脚」の確保までには至らなかったが、少なくとも新彊は何とかなりそうな感触が得られた。
夕食はヘレンの希望でチベタンの経営する飯屋へ。
少し落ち着いた頃、一人のチベタン男性が店に入ってきて、そのまま店員と立ち話し始めた。するとヘレンが立ち上がり、男に声をかける。彼はヘレンが会いたがっていた英語の話せるチベタンだった。
今でこそ「ビジネスをして生活も上手くいくようになった」が、こう見えても三年間ムショ暮らしをしたことがあると、彼は言った。インドに亡命した兄がいて、以前その兄を頼って亡命を試みたが、国境で捕まった。そして三年間…。
「俺の夢はインドへ行って兄と一緒に暮らすことだ」
オーディオ・セットのテープが終わり、彼はテープを替える。久しぶりのインド歌謡が流れてきた。

6月26日

今日、三人の新顔が現れた。日本人とドイツ人の男性とイギリス人の女性である。彼らはトラックをヒッチしてカシュガルからやって来た。ただ、阿里に着いたのが深夜だったため野良犬に追われ、やむなく建物の屋根の上で夜を明かしたそうだ。彼らはカイラスへは寄らずラサへ直行するつもりでいる。
けっきょく新顔三人はパスポートが公安預かりになって身動きが取れなくなり、男二人は取り敢えず洗濯などして体勢を整えていたが、イギリス女性は頭痛と疲労とでダウン。またヘレンも胃腸の調子を崩し、ラサへの“脚″探しに駆けずり回っているようにも見えたが、園さんは優柔不断に頼ってこられて困ると愚痴をこぼしていた。園さんも、ただでさえトラックが見つからないのに今になってラサへは許可証が必要だと公安から横槍され、苛々がかなり鬱積している。トモ・マリは見つけたトラック・ドライバーに一日待ちぼうけを食わされて惰眠。みんな大変だけど、俺だけドライバーとの再会の約束を果たし、明日また会う約束をして暢気な寧日を送った。
食欲のないヘレンを残して七人でバザールへ行き夕食。その帰り、英語のできるチベタンと待ち合わせしているトモ・マリに誘われて、日本人五人で“喫茶”店に入った。
“喫茶″店と書いたが、実際は安っぽいピンク色のカーテンとベニヤ板で仕切られたボックス席が並び、ぺらぺらの仕切りには水辺の風景写真のポスターが貼られていた。隣りではチベタンらしき男一人と派手な女二人がビールを飲んで騒ぎ、確かに妖しいのだが、それにしては妙に明るく、店の空気はあっけらかんとしていた。
取り敢えずのビールを飲んでいると、そのうち英語のできるチベタンが友達を連れて現れ、さっそく「ディスコへ行こう」と言い出した。彼らの頭はとにかくディスコに行かないと収まりがつかないようで、我々も特に異論がないどころか興味の方が大きいから話はすぐ決まり、妖しげな”喫茶”店をあとにして阿里唯一の歌舞庁へと繰り出した。
ロータリーを人民軍の方へ曲がって少し歩くと電飾の看板を掲げた店があり、四、五段ほど階段を上った入り口で口を半開きにした素朴な顔のチベタンたちが群がり物珍しげに中を覗いてる。隙間から明るいダンス・フロアが垣間見えた。
好奇の視線を引き連れて中に入ると、五〇帖程のフロアにはミラーボール等それなりの照明が施され、壁際に並べられたソファーや長椅子では阿里っ子たちがビールを飲みつつ休憩している。流れているのはタンゴやワルツ等のいわゆる社交ダンスの曲で、踊っているのも舞踏するカップルばかりである。ただしカップルといっても男女とは限らず、むしろ男同士や女同士のカップルの方が多い。軍服姿のおじさんカップルも時々かかる軍楽曲に汗だくになりながら笑顔で踊っている。もし文明開化の日本で“鹿鳴館”が庶民にまで広まっていたなら、こんな感じになるのだろうか。ビールを飲みながら様子を眺めていると、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」が唐突に始まった。
フロアの様子が一転した。それまでいた社交ダンスのカップルたちはさっと消え、替わって若者達が整然と並んで同じ踊りをやり始めた。踊りそのものは「サタデー・ナイト・フィーバー」みたいな70年代だが、まるでマイケル・ジャクソンの「スリラー」みたいな世界が目の前に現れた。
その後は鹿鳴館に戻ることなく八〇年代後半のアメリカン・ポップスを中心にディスコサウンドが流れ続けたが、そんな光景を呆気にとられて眺めているうちに、あることに気がついた。確かに振り付けそのものは難しくて、すぐその場でマスターできそうもないし、それだけに踊っている彼らには踊る“資格”を持つ優越感が漂っている。だけど彼らは曲が変わっても同じパターンを延々繰り返している。さしずめディスコで盆踊りとでもいうのかな。でも、本当に楽しそうな顔をしていたのは彼らより社交ダンスしていたカップルの方だった。一人の娘が壁際で小さく踊りながら、間違える度に照れ笑いをして恥ずかしそうに周りを見回している。やがて彼女もフロアの隊列に参加して鼻を二センチ高くするのだろうか。
そのうち見飽きてきて、ビールを飲んでばかりもいられないので、既に好き勝手に踊っているトモ・マリや園さんたちに加わって踊りだす。
が、一分も保たず息が上がって喉も渇き、椅子に倒れ込んで仕方なくビールを呷る。
二回目は一曲踊りきり、ビールを流し込み水分を補給する。
三度目以降セーブしてやっと馴れてきたものの、既にアルコールと酸欠のハイブリッドなハイテンションに昇りつめ、いつの間にか見知らぬチベタンたちに取り囲まれて踊っていた。赤いベストのおじさんが奇妙に腰を使った難しい踊りで挑発する。ふん!なめんなよ!前衛すぎてメチャクチャな踊りで対抗する。赤い服の可愛いチベタン娘は何とか三顧の礼で一曲だけ付き合ってくれた。はにかみ笑いが何とも愛らしい大童な瞳の美しい女のコで、なんとももはや、いやいや、食べちゃいたい。
ホテルへの帰り道、赤いベストのおじさんと「北国の春」を歌った。おじさんは異国の言葉で高らかに、俺は日本語交じりのデタラメに。頭の上では星どもが酔っ払って千鳥足だけど、最高の満天だった。

6月27日

昨夜のこと。午前1時の全館消灯から程なく1人の男性が入ってきて別のベットにもぐり込んだ。そして今朝まだ暗いうちに部屋を出て行った。
朝食から戻るとトモ・マリはもう出発してしまって居なかった。挨拶なしだが、まあカシュガルで再会できる。
園さんとチェンマネしてそのまま部屋で話し込む。そこで初めて昨夜の男が*ピエールだと知る。そして服務の小姐たちが遊びにきて要領を得ない四方山話。腹が減ったので時計を見ると、2時ではないか。園さんがウィグル・バザールにうどんの美味い店があると言うので、さっそく二人で食べに行くことにした。
玄関先にいた公安にハローと挨拶。すると彼は振り返るなり「ミス・トモコは何処へいった」と訊いてきた。もう出発した事を告げると、一瞬信じられないと言いたげな顔が呆れ果てた表情に変わり、彼も一緒に歩き出す。そしてロータリーで別れるまで、延々トモちゃんに対する不平不満を愚痴愚痴ぶつけてきた。
「それにフランス男がプランへ行ったじゃないか。なぜ知らせないんだ。*彼女は報告すべきだろう
どうやらアリに戻ったあと彼女から何の報告もなかったようで、それが彼の機嫌を損ねたようだ。
「君たちの責任感は全く信じられない。もう君たちとは一切かかわらないから」
それはありがたいが、頻出する”responsibility”が耳にこびりついてうんざりである。真面目で悪いヤツではない。だけど、こうして旅人にとっての「嫌な公安」を旅人自身が育ててしまっているのかもしれない。
店では、ちょうど新鮮な野菜が入ったらしく、*ジャオ飯を作っていた。優柔不断な空腹は目の前の誘惑にあっさり降参し、急遽予定を変更してジャオ飯を注文する。
はたしてこの選択は正解、いや、大正解であった。本来は妙めるところを圧力釜で炊き込むから旨味がしっかり染みわたり、それでいてサッパリして安い油の臭みもない。もっともウイグル人の好みは判らないが、日本人には断然こちらの方が合っている。ちなみに、園さんはパキスタンから陸路で入り、最初の滞在地であるカシュガルに一日いただけで即チベットへ向かっている。だからジャオ飯が初めてだったらしく、ウイグルにこんな美味しいものがあったのかと感激していた。
なんだか無性に新彊が恋しくなった。あそこにはハミ瓜がある。だけど旬には少し早いからスイカかなあ。あ、ブドウもあった。甘ったるいワインも今の俺には垂涎ものだ。昂奮気味に新彊の話をしていると、店の若い男がやって来た。
「おいしいか?」
「おいしい!」
俺の言った「凄くおいしい!」には目もくれず、男は「そうか」と頷く。
「どこから来た」
「ジャパン」
男は後ろを振り返り、客の男たちに大声で何か言った。「こいつら日本人だってよ」とでも言ったのだろう。男は彼女に向き直って再び続けた。
「いくつだ?」
「24」
「結婚してるのか」
「うん」
男はまた振り返って客に報告し、また向き直る。
「こいつとか?」
「うん、私の夫」___ご紹介にあずかりましたハズバンドです。
店の男は客たちのところへ行った。妙にテンションが上がった様子で何を話しているのやら。それにしても園さん、姉さん女房じゃなかったっけ?
ちなみに服務の小姐たちには恋人同士ということにされてしまったが、彼女とは何となく波長が合うというか、気が合うと云うか、その後バザールの奥にある店でコーヒーを飲みながら気が付けば三時間も話し込んでいた。これほど楽しい会話は何年ぶりだろう。もし、その後のやるべき用事が無ければ、あと何時間しゃべったか判らない。いっそ俺もラサに行こうか?そのあとはゴルムドから敦煌まわりで…___そんな考えも過りはしたが、再びあの道中を戻るのかと思うと二の足を踏む。だけど新彊方向も大変さは同じだろうし…。そんな微妙な気分を持て余しながら店を出た。
買い物ついでにラサ行きのトラック探しを手伝う。でも見かけるトラックはみな新彊行きで、ラサ方面は一台も見当たらない。そうこうしているうちに約束していたドライバーと合う時刻になった。しかし、約束した店にドライバーの姿はなく、店員に訊いても現れた様子はない。暫く待ってみたが、ドライバーは現れなかった。
さて選択肢は三つ。一つは別の新彊行きトラックを保険として探す堅実路線。二つ目は約束のドライバーの男気をあくまで信じる浪花節。そしてもう一つがラサへ戻る演歌道で、これが一気に台頭してきた。浪花節に勝ち目はなく、アナタぁ〜恋しい〜ラサの宿〜♪と歌い上げる演歌歌手の傍らで堅実路線が苦悩している。
「とりあえず荷物を部屋に置きに戻ろか」
問題を先送りしたまま、優柔不断な足取りで宿に向かった。
裏門をくぐると、こちらに向かって歩く伸介が見えた。間にカイラスを挟んでいるせいか、妙に懐かしい気がする。
「ハロー!元気だった?」
「ハロージャパン!」
そのまますれ違いかけて伸介が立ち止まり、躊躇しつつも何か言いたげに近寄って来た。実際には限られた英単語で表現を組み立てていたのだろうが、注意深く言葉を選んでいるふうにも見えた。
「トゥモロウ、ユーゴー、カシュガル(カーグリック?)、アイゴー、カシュガル、トゥモロウ、テンオクロック、OK」
よくよく訊けば、伸介は明日10時にカシュガル(もしくはカーグリック?)へ向かって出発するから一緒に行こうと誘っているのだった。でも、どういうわけか値段の事になると何も言おうとしない。まさか「ハウマッチ?」を知らないわけではなかろう。
「彼、信用できるの?」
「大丈夫でしょ」
勘もあるが、これは見栄からでた言葉。不安が全くないわけではない。でも、それ以上に抗えない別の引力に惹かれて、交渉の約束をしたドライバーがいるからと、答えを保留してしまった。
とはいうものの、約束のドライバーには結局出会えなかった。
一方、ラサ行きのトラックが見つかった。それも明日出発という申し分のないタイミング。最初は前席に1人しか座れないからと断られ、園さんが後ろ(荷台)で構わないと食い下がってもドライバーは強面のまま顔の前で手を振るばかりで目を合わせようともしない。それでも粘り続けるうちに根負けして、ドライバーは彼女を指差し「ユー、フロント」と運転台を指し、そして俺に「ユー」と言って荷台を指差した。そういうことなら話は早い。「一人250元」で手を打った。
小腹を満たすつもりのシシカバブで満腹になり、結局それが夕食になった。そして彼女の買い物を済ませると、二人して何もすることがなくなり、何となくホテルに向かって歩き出した。時おり立ち止まり、ゆっくり、ゆっくりと。
むきになって話し続けた。会話を途切れさせたくなかった。それでもどこかぎこちなく、次第に居心地の悪い間が拡がって、焦れば焦るほど言葉が遠ざかリ、無口になった。
「あのドライバー、ホントに信用していいの?」
「うん…」
「私は止めといたほうがいいと思う」
「うん…」
「危ないよ」
「大丈夫やろ、…たぶん」
「…」
「…」

「最後になっちゃったね」
「うん…」
ビリー・ジョエルの”the Stranger”が流れだし、哀愁たっぷりの口笛に胸の内が共鳴する。頭の中で苦笑しながら見失った言葉をもどかしく探すけれど、一度切れてしまった糸は元に戻ることはなく、ようやくつかんだのは、歌の一節だった。
I am sailing, I am sailing,
Home again cross the sea.
I am sailing, stormy waters,
To be near you, to be free.
ふと顔を上げると、いつの間にかホテルの裏門が見えていて伸介が立っている。もう迷いはなくなったと、思った。

6月28日

九時、園さんとホテル近くの小吃屋で朝食を取り、半時間ほどして店を出て彼女と別れる。
「後ろ姿を見てしまったら負けやね」くるり、背を向けてホテルへ戻った。
10時頃ホテルを出る。
ロータリーを曲がったすぐ先で朝食と買い物をする伸介と *板前を待ち、さて、いよいよ阿里を発つ。軍の演習場の横を通り過ぎると、辺りは赤茶けた荒野になり、暫くは阿里の広大なゴミ捨て場と化していた。
道路工事の現場へ差しかかる。工夫の大半がウイグル人で、奇妙な光景である。
一人の工夫がトラックを止めて水を分けて欲しいと言って来たが、伸介はにべもなく断り再びトラックを走らせる。少しして伸介が板前に向かって怒鳴ると、板前は窓を開けて荷台を覗き込み、誰も乗り込んでいないことを確認した。
阿里大坂でエンジン・チェックを済ませ、広い不毛の谷へ。そしていつの間にか峡谷になり、しっかり整備された道を下り切ると緑のある開けた谷へ出る。するともう少しでちょっとした町にたどり着く。ルトク(日土)である。
馬牧場の脇を通り過ぎて崖を回り込むと、程なくして黄褐色の眩しい光景の中に黒い点がチラチラと現れては消え、現れては消えし、意識すると見えなくなる。幻覚だろうか?と思っていると、また出し抜けに現れては消えを繰り返し、時には複数になり、そのうち黒点が次第に大きくなって明らかに暗い色面に変わった。もしかして…。あれよあれよと暗い色面は更に大きな不定形になり、明らかに山辺から垣間見える濃密な紺碧色へと一気に変貌する。やはりパンゴン湖だ。落っこちた宇宙の欠片のような湖は、岸近くを通る時には浅瀬の澄んだ水が透明なエメラルド・グリーンを見せていた。
停車して車から降りると音がなく、神秘的な影と光を目の前にして腰を下ろす。そしてオンボロ伸介号を振り返る。我々人類の誇る機械文明はまるでゴミ屑だな。ならば、この鉄くずなしに生きることもままならぬ人類とはゴミ屑以下か。ゴミには再利用という手があるけれど、人の死はその後の世にどれほど活かされただろうか。歴史は繰り返す。争いの歴史。板前が聖なる湖に向かって立ち小便している。エントロピーの増大ってやつですか?ケッ!小便はションベンだ。
湖を離れて沙漠に入る。
道端で干からびていた禿鷲の屍を伸介は拾って荷台へ放り込んだ。
湿地帯の広がる川谷に入る。潤い豊かな風景に体中の細胞がほっとする。電柱の列が水中だろうとお構いなしに突き進み、半野生の馬たちが草を食んでいる。やがて谷は草原になり、*ドマル(多玛)に着く。
ドマルは村ともいえない居留地で、唯一ある飯屋で卵炒飯を食べた。
胃袋が満たされたせいか、睡魔でうつらうつらする。何故か必ず伸介の方へ体が倒れてしまうのはシートの加減だろうか、その度に板前が心配そうに引き起こしてくれるのだが、直ぐにうつらうつらと伸介に寄り掛かっていく。
太陽が傾き出した頃、何ひとつ無い原野でトラックが止まった。それまで調子良く走っていたが、ついにトラブルである。
左後輪のチューブ交換に板前がもたついていると伸介が怒鳴り飛ばした。すると板前が口答えしたため口喧嘩になり、一気に険悪な雰囲気になった。初日からこれですか…。厭な気分で眺めていると、伸介はシャフトを交換しだす。やれやれ、時計は七時過ぎを指している。機嫌の悪い伸介は俺にまで怒鳴り散らした。
なんとかタイヤを取り付ける段になったが、今度はネジ山がどうしても噛み合わない。どんどん時間は過ぎてゆき、八時を過ぎた。
時々トラックが埃を巻き上げて素通りして行ったが、そのうち一人のドライバーがトラックを止めて手伝ってくれた。伸介たちを見ていると、ネジ山をヤスリで削っている。基礎的な加工技術の大切さをしみじみ思う。ああ、これが日本製なら…。そんな愚痴を基礎的な工作技術もない青二才が零した。
そのうち手伝っていたドライバーが去り、やがて日が沈むと急に心が痩せ細る。本当にこの先、大丈夫だろうか? やはり園さんの尻を追いかけるべきだったのかも。それでも意識野の彼方から「野宿」の二文字が姿を現した頃、ようやく修理は完了した。
後片付けしながら禿鷲の屍を取り出した伸介は、翼を毟り取って付け根の方の太い骨だけ取り出し、その骨を運転席の窓枠に取り付けた。一種のお守りなのだろうか。とにかく、無事トラックは走りだし、あれよあれよと暗闇の中へ滑り込む。
何処とも知れずトラックが止まる。ヘッドライトを消すと伸介と板前は何も言わず車から降りた。
ここはどこだ?真っ暗闇で何も見えない。二人が荷台へ上がって無言で何かしている物音と振動が伝わるだけだ。まさか、ここで身ぐるみ奪われて捨てられるのか…。だからお金の話になると口をつぐんだのか? そう言えば今なにかを地面に降ろした音がしたけど、まさか銃じゃないよね…。でも何かの拍子に伸介が俺の所持金の額を知ったとしたら、あり得ない話じゃない。いや、いくらなんでも荒唐無稽。大丈夫。考えすぎ。朧げな運転台の外は虚無の暗闇、気がつけば音もなく静まり、まるで時空の外へ連れ出されたような錯覚に陥る。息を殺して冷たい窓に顔を寄せ、そっと外を窺う。やはり真っ黒い闇で地面も見えないが、二人の気配もない。まさかの冗談が少しだけ現実味を帯び始めた。
ところで今何時だ?休憩にしては長過ぎる。苛つきを覚えた頃ようやく思いが及んで時計を見ると、既に一時を過ぎていた。ひょっとして車中泊? それならそれで一言くれよ。後の祭とはいえ漸く納得のいく解釈を得て安堵すると、今度は深々と寒さが染みてきた。ふと園さんの姿が思い浮かぶ。今ごろ何してんだろう…。その夜は寒くてよく眠れなかった。

6月29日

何度目かの目醒めで冷えきった身を起こすと、右の山辺が眩しい光に縁取られ、黒い地面に明るい空の断片が散らばっている。冷えた窓に顔を寄せる。直ぐ下に布団で作ったような分厚い筒型の寝袋が並んで見え、黒髪が覗いている。後方にはトラックが二台停まっている。他は左の窓から覗いても何もなく、ただ美しい眺めを望むだけである。
やがて太陽が姿を現し、他のトラックがエンジンを暖め始める。伸介と板前も起き出して出発の用意を始める。そのうち他のトラックが出発し、そして一番最後に伸介号も出発した。
川沿いの道で板前がラジエーターの水汲みに行く。手伝うよう伸介から言われた。どうやら仲直りしたようだ。
広い谷を横断し、峠を越えて再び荒れ果てた広野へ下る。そして気がついた。峠にはためくタルチョを見ていない。いつの間にかチベット圏外へ出てしまったのだ。
トラックはひた進む。ただひたすら真っすぐな一本道。剥き出しの大地のど真ん中を5キロ間隔の道標が何食わぬ顔をして一列に並び、右手の巨大な山脈は寂蓼とした眺めの行く手へ嶺雲を纏いながら無骨に横たわっている。散漫に見渡すうちに、ふとここが *アクサイチンだと思い当たる。争うほどに執着する価値は地図以外に見い出せない。命の定着を拒絶する五千メートルの高地には亡くなった兵士たちの魂が空しく吹き溜まり、時世は移ろう。行く手を塞ぐ崑崙が地の果てでずり落ち、地獄道が六道冥府の奈落へと一直線に向かって行く。
再び峠を越える。漫然と前を眺めているうちに、草花の茂る川谷を走っていた。
やがて黒褐色の岩の障壁が行く手に現れ、右下から左上へ、途中で折れ曲がることなく真っすぐな急坂が黒い壁にくっきりと見えている。今までの峠坂に比べてかなりの急勾配だ。
トラックが勢いよく坂に突っ込む。エンジンがひときわ高い唸りをあげ、ゆっくり車体を進ませる。
長い長い一本調子の上り坂。どう考えても坂道発進は出来そうにない。もし途中で止まれば一巻の終わり。停まるなよ、停まるなよ、頼むから停まるなよ。唸り続ける伸介号は人が歩くのと大して変わらず、ひたすら遅い。それでも一度も止まることなくなんとか登りきると、道はすぐ右に折れて勾配が緩くなる。エンジン音が低くなって安心していると、今度は眼下に凄まじい下りが現れた。
急壁を蛇腹道が続き、所々に土砂崩れの跡が見えている。伸介はエンジンを切って重力だけで降りて行く。悪路だろうとスピードが上がる。ブレーキが遅れて伸介はサイドブレーキを引き、ロックしたタイヤを滑らせながら危うくのところでヘアピンを凌ぐ。張りつめた空気に車体の軋む音とタイヤの音だけが響き、伸介の真剣なハンドル捌きがまるでサイレント映画のように映る。最後のカーブにさしかかるとチョークを引き、曲がり切るとエンジン・キーをまわす。“静寂”が破られた。伸介と板前が緩んだ表情を見合わせた。
峠を下りきり、深く切れ込んだ峡谷のどん底を行く。
崩れ落ちた岩や大きな石が無造作に転がる道を暫く進むと、右から左へ、ガゼルらしき生き物の群れがトラックの前方を横切り絶壁の中へ姿を消した。伸介と板前がそれを切っ掛けに話をしだした。
ところが、ヘッドランプの不調を直している時のこと、伸介が俺に向かって何か言った。何を言ったのか聞き取れずにキョトンとしていると、見かねた板前が黙ってドライバーを差し出す。すると伸介は大声で怒鳴ってそのドライバーを払いのけ、自分で別のドライバーを捜し始めた。全く、いつまで怒っているのだ。
0時過、麻扎に着く。テントの飯屋で食事をし、奥の簡易ベッドを借りて寝た。

6月30日

まだ暗いなか目が覚めて出発に備えるが、何時まで経っても一向にその気配が起こらない。ゆっくり朝食を済ませると漸く動きが出てきたが、伸介と板前はトラックの整備に取りかかる。少なくとも慌てることはなさそうだ。
移動中は真ん中の席に座っているので、昼間はフロントガラスから見える範囲が外界のほぼ全てだが、夜になると心許ない前照灯にぼんやりと浮かんだ地面だけが全てになる。あとは真っ暗で何も見えない。もちろんフロントガラスに顔を寄せれば星や月が光っているし、実際にやろうとしたことも一度だけある。もっとも、その時は腰を浮かした瞬間、大きな揺れにバランスを崩してフロントガラスに顔をぶつけた。あの揺れの中では銀河鉄道の気分は無謀な望みなのだ。たとえ暗闇に浮かぶ朧げな地面に退屈しようとも、不意に現れる大きな石や凹みを避けなければぐらんぐらんと横揺れ縦揺れ斜め揺れ、おまけに跳び上がることもある。さらにカーブに気付かなければ無事では済まされない。心許なくとも朧げな命綱から注意の手を離してはならないのだ。こんなキツイ仕事を12年間やってきた経験があるといっても、それが活かされるのは片目ヘッドライトのおんぼろトラックが動いてこそ。あとどのくらい乗らなきゃいけないのか判らないが、伸介号、頑張ってくれよ。
「少なくとも俺が降りるまではな。あとは知らん」罰当たり!
ボンネットを開けて二人は整備に余念がない。大口を開けた伸介号はどことなく気持ち良さげだが、パッキングをやり直そうと荷台に上がった俺は、げんなりした。罰が当たるのに執行猶予はないらしく、ドラム缶から漏れだした油で荷物がべっとり汚れている。調べてみると、ザックカバーの上から更に頭陀袋のカバーもしていたお陰でザック本体の汚れは少なくて済んだ。仏のお慈悲に感謝する。いや、ここはもうイスラムの地か? よく判らん。
ところで、ここには麻扎という地名はあっても生活の気配がまるでない。大きな川の蛇行でできた広い河原の北岸で、峡谷を流れてきた渓流が合流する谷口にあたり、対岸には黒っぽい褐色の山々が聳えている。一泊した飯屋ともう一張り別の飯屋を除けば100メートル程先に軍の施設があるだけで、物寂しく静まりかえっている。いささか期待外れの眺めだが、さすがにトラックが30台ほど連なっている光景は思いもよらないものだった。伸介号の整備がまだ終わりそうにないので、少し散策してみることにした。
トラックはみな峡谷の方を向き、中には整備中のトラックもあるが、多くは静かに佇んだままで、あまり人影は目につかない。そして先頭まで来ると、その先にはやはりゲートがあった。
赤白の単なる一本の棒切れ…。ふと無性にゲートを開けたくなり、周囲を見回す。誰もいない。更に近づき、道の行方を眺める振りをしてもう一度あたりを窺いながら、でも結局ゲートの脇を抜けた。
「ふん、どんなもんだい」一人うそぶいて道の真ん中で振り返る。そしてシラケた光景に素知らぬ振りで背を向けた。
両側に切り立った岩壁の底を渓流が流れ、その左岸を黒い土塊の道が渓谷の奥に続いている。また峠越えか…。

7月1日

一夜明けるとトラックの数が一段と増えていた。近くの軍施設からもトラックがぞろぞろと移動して来る。総台数なら優に百台は越えているだろう。民間のトラックの間をゆっくり軍のトラックが進み、何となく空気が騒めき立っている。伸介と板前もエンジンの最終調整を軽く済ませると、伸介号を少し前の方へ移動させてそのまま待機した。
九時、ゲートが開きトラックたちが一斉に動き出す。エンジンが唸りクラクションが鳴り響く。何故か心まで騒ぎ立つ。さあ、第一コーナーを制するのは誰だ!
最初の上り坂でいきなり伸介号がストップした。こんな時は降りて何か手伝わないと伸介が怒り出すので板前に続いて降りる。危ないから引っ込んでろと怒鳴られた。
狭い悪路へ百台を超すトラックが一気に殺到すれば、当然大渋滞になる。のろのろ進んで行くと道路工事にぷつかり、大きなごろた石の涸れた川床をゆっさゆっさと道代わりに進む。
あらゆる方向に車体が大揺れし、身体を揺さぶる。ドライバーの伸介にぶつからないよう確りシートに捕まった。ところが信じられない現象に、俺は狼狽する。突然の睡魔。まさか!悪路馴れした体がこの大揺れを揺り籠にしているのだ。真剣に運転している伸介の隣で不意にカクンと折れる腕を必死で突っ張り、睡魔に悶絶しそうになりながらも辛うじて大揺れに耐えた。が、ついに揺り籠の大波に上体がハンドルへ覆い被さるように倒れてしまった。慌てて上体を起こした俺を伸介が怒鳴りとばす。しかし、異国の言葉に睡魔はびくともしない。それからは時おり板前が腕を掴んで助けてくれるが、睡魔の悶絶地獄はいつ果てるとも知れず続いた。
そのうち川床から本来の道へ復帰し、ようやく大揺れ睡魔地獄から開放される。そして滞りがちな車列の進行は、一時間ほどして再び仮の凸凹“道”に突入する。途中、一度だけ大砲のような音が谷にこだました。工事に発破を使っているのだろうか。
昨日辺りから現れ始めた雲がどんどん重苦しくなって来て、その内とうとう雨が降りだした。何とか峠口に辿り着いたが、既に道は泥濘み、車の流れは更に滞りがちになる。
止まる度に車列の横をゆっくり追い越してゆく軍のトラックを眺めるうち、学生の頃の記憶が蘇る。馬力のない車を運転しながら、クルマなんて走ってなんぼやとヤツは口癖のように言った。ため息をして伸介と板前を盗み見る。ごく普通の日常のような顔が動く軍のトラックを眺めている。雨は本格的に降り続け、止みそうにない。
もう峠道の中腹辺りまで来たのだろうか。まるで見当がつかない。既に車列は極端に進まなくなり、軍のトラックばかりが横を通り過ぎてゆく。
雨はいつしか霙に変わり、とうとう雪になった。気温がどんどん下がり、脚を冷やす。足元のすきま風が更に熱を奪い去る。次第に尻も痛くなり始める。伸介たちの水筒が空になり、俺の水筒もこの状況では心許ない。
あっという間の白い地面に、おそらく工夫たちのテント小屋だろうか、そのうちの一つは他より大きくて、小さな煙突から湯気が立ちのぼっている。最後のナンを齧る。水筒は既に空っぽだった。
曇りガラスの向こうで、黒い革ジャンの将校らしき男が緑色の分厚い外套の軍人たちに頻りに指示を出して軍用車両をどんどん先に進ませている。腰を浮かせて尻を揉むついでに曇りガラスを拭く。雪の中を無意味に動き回る男たち。これは夢だ。道路工事の発破の音が、辺りに木霊した。
伸介がテント小屋へ開水をもらいに行った隙にトラックから降りて身体を解す。谷の向かいも車列の先も雪雲って霞んでいるが、雪は小やみになっていた。尻を揉みながら谷を見下ろすと、すぐ下の道にトラックが一列に並び、更に折り返した下の車列がうっすら見え隠れしている。音もなく雪が舞う。すぐそこに見えているあそこからここに至る数時間の道のりが思い出せない。
そのうち伸介が戻る。しかし持参した水筒は空っぽ。飲む水はない。トラックは遅々として進まず、こんな調子で、もし今日中に峠を越えることができなかったら…。不安が過る。
思い出したように少しずつ近づいてくるテント小屋を眺めるうち、軍人たちが頻繁に出入りしていることに気がつく。軍のテントにしては見窄らしいが、奴らはきっと暖をとり、茶を飲み、何か食っているに違いない。急激に、そして猛烈に麻扎で食べたご飯が恋しくなる。腹へった…。ついに空腹の蟲が動き出した。
突然伸介が俺に向かって何か言う。意味が解らず見ていると手で丸い形を作り、そして俺の足元を指差した。「あ!」指差した先にあるのは俺の”緊急用”袋である。その中身は初日の車中泊に懲りて用意しておいた”緊急”セットだが、そこに食糧も入れておいたのだ。でも、この場ですぐ食べられるものは既に食い尽くした筈だけど…そう思いながら袋の口から中をのぞくと、「あった!」まだ缶詰が残っていた。
手に掲げた缶詰に三人の顔が緩む。深みどりの地に白抜きの漢字がデカデカと印刷されているだけで中身は不明だが、記憶が正しければ豚肉の水煮だと店の女が言っていた。とにかく肉は肉だ。肉!肉!肉!不慣れな五徳ナイフの缶切りがもどかしく、途中で強引に折り曲げるようにしてこじ開ける___あれ?半透明の液体に浸っているのは人参と白菜と、その他の野菜と___それだけ。肉は、ない。ま、いいか。今は贅沢言っている場合ではない。五徳ナイフで掻き込むようにして食べると、味が全くしない。味付けも素材の旨味も何にもない単なる野菜の水煮。おまけに冷たい。この状況なら普通は涙が出るほど美味く感じるんじゃないの? この期に及んでも尚我が侭な味覚を腹の足しにはなるだろうからと宥め、三人で回し食べる。最後に板前が食べ、残った汁を窓から捨てようとするのを伸介が慌てて止める。缶詰を取り上げると汁をごくごく最後まで飲んでしまい、空いた缶を窓から無造作に捨てた。
期待外れの缶詰は空腹を満たすどころか却って刺激してしまった。ただひたすら圧力鍋のふっくらご飯が目に浮かび、ガラスの曇りが湯気立つ炊きたての匂いを生々しく蘇らせる。しかし、緑色の人影が幻影を掻き消す。軽く喉が渇き、微かな頭痛。尻も痛い。苛々の矛先が収斂する___人民軍はバカの集団か?
「なにが解放軍や」呟いても凍てつく渋滞は動かない。
ぶるん。前のトラックが身震いし、ゆるゆる前へ進みだす。もう止まるものと思いながら見るとはなしに見ていると、まだ進む。これまで数メートルですぐ止まっていたから慌てることはなかったが、今は止まる気配がなく、伸介もエンジンをかけ、ゆっくりクルマを進める。まだ進む。まだ進む。ゆっくりでも流れる雪景色に感慨を覚える。クルマって動くものなんだ…。目障りだったテント小屋がやって来て、わずかだが通り過ぎた。
そういえば横を通り抜ける軍の車両を見なくなって久しく、目障りだった軍人の姿もまばらになった。もしかすると優先した軍の通行が完了したのだろうか。だとすれば次は民間の番! いよいよか__という期待は、時間とともに諦めに変わる。五千メートルの気配漂う峠道に、小止みの雪が時おり思い出したように舞う。身体が小刻みに震えている。
急激な冷え込みに危機感を覚え、板前が小用を足しに降りたのを機に防寒着をとりに外へ出る。そして荷台に上り、薄く積もった粉雪の上に立つ。あたりは墨絵の世界に包まれ、色褪せた車両の色も薄墨の濃淡に滲んで見える。だが、景色に魅入る間にも身体が冷えてゆき、諦めてザックに向かうと頭陀袋も口紐もバリバリに凍りついている。瞬く間に素手の指先から感覚が奪われた。

五時、全く動かない。
六時、動きなし。
七時、動きなし。
八時、動きなし。
九時、動きなし。
見捨てられたように待ち続ける。遠慮もなく暮れてゆく峠道はやがて暗闇に包まれ、板前の用意した分厚い布団や毛布を足に掛けてひもじさと寒さにじっと耐える。また雪が降ってきた。

7月2日

真夜中の二時傾、最後のヘアピンまで辿り着く。
目醒めて六時、直ぐさま十メートルほど前進する。
数時間後、再び五メートルくらい進み、それ以降は全く動かなくなる。
雪は既に止み、気温の上昇と共に雲も上昇しながら薄まってゆく。谷を挟んだ向かいの黒山は嶺雲の下から白い雪肌を覗かせ、眼下の谷には雪の斜面を泥濘で汚れた車列が大蛇のようにうねっている。
伸介が先頭の様子を探りに出掛ける。板前も俺もトラックを降りて立ち小便。
七月の粉雪を頬張る。喉の渇きが少しだけ和らいだ気がするが、やはり腹の足しにはならない。
あー腹減った。腹減った。腹減った。考えまいとしても麻扎のご飯が頭から離れずつきまとう。腹減った…。
いつの間にか、ぼんやりと見つめる坂の先で白い峻峰が白天を指している。
やがて無気力な視界の向こうからトラックがやってきて左横を通り過ぎてゆく。更に二台目、三台目、…、何台目かで対向車なのだと合点する。だが、それ以上踏み込んで考えることはなく、ただご飯を思い描いて空腹に耐える。それもしても、頻繁に往き来している軍人たちは何をしているのだろうか。目障りだ。
十二時頃、伸介が戻り、三時か四時には動き出すと伝えると、再び様子見に向かった。
取り敢えず見通しがついて気分的に楽になったものの、断続的に現れ続ける対向車が次第に腹立たしくなる___いい加減こっちも通せよ。空腹の苛々も加わり、おそらく交通を取り仕切っているであろう軍人たちへの憤懣は、やる方なく膨れ上がるばかりだが、いかんせん腹に力が入らない。
「鳴呼、こんなことなら、もっとたらふく食っておくんだった…」
コンコン。不意に運転席のドアを叩く音がする。窓から覗くと3人の若い軍人だ。
「要??(要るか)」
訊かれるまでもなく俺の視線は彼らが手にする大きな入れ物の中身に既に釘付けである。*稀飯だ!
「要要!」
「要!」と耳元でも板前の大きな声がした。
しっかり前払いで稀飯と搾菜の漬物を二人分受け取り、さっそく口にする。軍人たちが前のトラックへ向かうのを見るとはなしに眺めながら気が付けば最後のひと滴を愛おしく啜り、ため息をつく。もちろん満腹にはとうてい及ばず、二人掛かりで運んでいるあの大きな容器ごと買い占めたい、金ならいくらでもあるから___そんなことをぼんやり考えていると、手にしていた容器を板前が取り上げて窓から投げ捨てた。戻って来た時にもし余っていたら買おう。そう思って待ち構えていたが、揚々と引き上げてきた彼らの容器は空っぽであった。
とはいえ人心地がつくと脳の血流も良くなり、飯一杯で「人民軍はいいヤツらだ」と豹変している自分に気がつく。情けない。
対向車を観ていると、車の殆どは東風など中国製トラックだが、たまにベンツ製の大きなトラックも過ぎて行く。満載の荷は野菜や果物、材木、ワイヤー、鉄鋼材、衣類、恐らく穀物の詰まった袋など、生活材に食料に建築材に白人のバック・パッカー三人に大型のザック数個に、とにかく色んなモノが運ばれている。満載の荷の上に子ヤギを繋いだトラックを見たが、寒さと揺れで死んでしまわないかと心配である。
やがて伸介が戻り、いきなり十メートル前進する。その後もじりじりと前進して行き、漸く動く気配が出て来る。そして、朝から見続けていた曲がり角へ遂に達した。
左へ曲がると勾配はほぼ無くなるが、泥濘みが酷く、今にもスタックしてしまいそうではらはらする。しかし確実前進しているというだけで嬉しくなり、前のトラックが止まる度にクラクションを鳴らし、ここにいる皆が興奪している。
岩の垂壁を少し巻く。それまで閉じていた左半分の視界が一気に開け、峠に着く。伸介と板前が、顔を見合わせて笑った。
ここからは本道を一旦外れて一直線に下る長い急坂を一気に降りて行く。本道の先を見やると、反対側から上って来たトラックの列が延々と続いていた。
タイヤ交換を手伝ったりしながら進んで行くと、再びちょっとした渋滞にぶつかる。先頭を見やると、軍のトラックが民間のトラックとすれ違い切れずに立ち往生しているようだ。時間が掛かりそうなので川へ降りて顔や手を洗う。あれ?___いつの間にか周辺の山が植物に覆われ緑色をしている。川上を見上げると、谷の奥に赤茶けた禿山が覗いていた。
再び車列が動き出し、途中、軍トラックとの一寸したトラブルがあったが、それを除けば道中は順調そのものであった。
道幅が広くなり、やがて柳の並木が現れ始めると、程なく久しぶりに町らしい町の庫地に着く。トルコ系の顔、女服やスカーフの派手な色、ムスリムの白い帽子、人民帽とは一味違うウイグル帽、ここはもう100パーセント新彊人の町である。食事を済ませて出発すると、すぐゲートがあって脇に公安が立っていた。少し緊張したが問題なく通り過ぎる。
谷の景色から再び緑がなくなり、川を左に見ながら先を急ぐ。
土色の集落陟卡孜を通り過ぎ、暗闇の中を最後の峠道に差しかかる。情報では三千メートル級の峠だが、通が確りしているので難無く上って行ける。
峠の下りで横転している軍トラックを見かける。積み荷の野菜が路上に散らばり、窓から外に出ようとドライバーがもがいている。しかし、前を走っている軍トラックは止まる様子もなく素通りし、伸介もそのまま通り過ぎた。
峠道を下りきり、少しして休憩に入る。満天の星空だが辺りはひっそりと暗闇に身を潜め、ただロバの形容不可、再現不可、理解不可の“嘶″が谷に不気味に木霊している。なんとなく辺りの暗闇でモゴラが蠢き、黒い山影の向こうからアンギラスがぬっと今にも顔を突き出しそうな、そんな気がして少し怖くなる。
怪獣の谷を発ち、いつの間にか眠ってしまう。
気がつけば暗闇に照らし出された黄褐色の砂が静かに、でも激しく後ろから吹き飛ばされるように追い越してゆく___後ろ向きに走っているのか?運転室の中は妙に生々しく、静寂の中でエンジンだけが一定の唸りを上げている。伸介も板前も押し黙っている。頬をつねる。それなりに痛い。夢ではないとは思うけど、でも、どうして後ろ向きに…?まさか、俺、死んじゃった? でもちゃんと脚がある。黒いシルエットの二人は身じろぎ一つしない…___混乱した頭で確固たる証拠を求めて外に目を凝らす。そのうち暗闇に慣れてきた目に、ぼんやりと浮かび上がった路肩が、確信を持って後ろに流れているのが見えた。伸介号は確かに前進している。不意に微かな振動が路面の凹凸を伝えた。
追い風の中をトラックは走っていた。砂でよく判らないが、道は舗装されているようで、揺れも振動も殆ど無い。いくら目を凝らしても路肩の背後は全くの暗闇。タクラマカン砂漠だろうか。もう足を踏ん張る必要はない。シートを掴んでいる必要もない。安心して背もたれに身を任せると、伸介号は風砂に乗って飛んで行く。俺は再び夢路に迷い込んだ。

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続き…☞

足跡

※票

中国語で切符のことを言っているのだと思っていたが、後で調べてみると切符は「机票(機票)」。おそらく略した言い方なのだろうが、もしかすると正確に聞き取れなかっただけかも。本文に戻る☝

※761

軍用の高カロリー・バー「圧縮干粮」のこと。パッケージに印字された「761」から勝手にそう呼んでいた。軍用品なので半端なく硬く、重量もカロリーもカロリーメイトの比じゃない。現在は90式が使われているらしく、旅行者には市販バージョンの「圧縮餅干」が有名みたい。本文に戻る☝

※ツァンパ

チベット語: རྩམ་པ་ rtsam pa、英語: tsampa、中国語: 糌粑 zānbā
主にオオムギの変種であるハダカムギの種子を脱穀し、乾煎りしてから粉にした食べもの。コムギなど別の穀物を用いる場合もある。元々チベット人の主食で、バター茶または湯とヤク・バターを加えて練り、粘土状にしてから食べるのが一般的。日に3回ほど食し、年間を通じて食べる保存食でもある。遊牧チベット人は、粉にしたものをヒツジの皮袋に入れて保存し、携行する。(wikipediaより編集 )本文に戻る☝

※ゴンパ

チベット仏教の僧院。本文に戻る☝

※園さん、ヘレン

二人ともアリから一緒に来たカイラス仲間である。詳細はいずれ、そのうち… 本文に戻る☝

※ラサ方面に収穫がなかったものの

この時の状況を整理すると、園さんとヘレンがラサを、トモ・マリと私が新彊を、それぞれ目指してトラックを探していた。本文に戻る☝

※新彊行きはすべて28日出発

一カ所だけ峠にゲートがあり、それが開くタイミングに合わせてドライバーたちはアリで待機しているのである。本文に戻る☝

※ピエール

ヘレンと同じくアリで出会ったフランス人。彼もカイラス・ツアーのメンバーだったが、知ってか知らずか、帰路も全員一緒に帰るというツアー条件を無視して1人プランへ行っちゃったのである。本文に戻る☝

※彼女は報告すべきだろう

伏せておくほどの事ではありませんが、いずれアップする予定…だけど、もう少し先になるかと思われ…汗 本文に戻る☝

※ジャオ飯

おそらく炒飯のことを中国語で言ったのでしょうが、ここではウイグル風ピラフのこと。ウイグル語で「ポロ」というそうです。本文に戻る☝

※板前

ドライバーの助手につけた渾名です。本文に戻る☝

※ドマル

地名は全て後から地図などの資料と照らし合わせて推定したものです。それでも村の名前は間違いないと思いますが、峠の名前は全く自信ありません。本文に戻る☝

※アクサイチン

インドと中国が帰属を巡って争っている地域の一つで、インドがラダック北部の「荒地」と認識していたところに中国が勝手に道路(新蔵公路)をつけ、そのことに後から気づいたインドが主権を主張して中国と武力衝突した(1962年中印国境紛争)。このとき中国が勝利し、以来、中国が実行支配している。本文に戻る☝

※稀飯

中国粥(中国語)。もうちょっと正確には、穀類の粒を生の状態から煮たものが「粥」で、炊いたものを煮たのが「稀飯」というらしい。また稀飯は、粒が完全に崩れてないと却って消化に悪く、胃液を薄めるだけと云うことになりがちだとか。本文に戻る☝

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